第17話 ディナーは文明の味



「残念ながら、カイトさんは中枢の製造が終わるまで離れるつもりはないそうです。夕食は届けておく事にしました」


 夕食という事でアドラーが案内されたのは、AI中枢からは少し離れたエリアの建造物。このあたりは木が少なく、複数の建物が並んでおり、かつては人間の居住区だったのでは……とうかがわせる趣があった。そのうちの一つが、エクターに与えられた家だった。


 訪れたのは、家主以外ではアドラーのみ。他の参加者の不在をエクターが確認して、二人きりで夕食と相成った。


 普段、エクター一人で暮らしているためか、家はそんなに広くなく、食堂にアドラーとエクター二人でテーブルを囲むと、それだけでちょっと手狭だ。それでもよく掃除が行き届いており、柔らかい白い光に照らされた屋内は、もう日が沈んでいるにも関わらず昼のように明るかった。


「そっか。残念だけど仕方ないなぁ。あ、ところで夕飯は、もしかして森の子機達が作ってるのか?」


「いえ、それなんですが、母上が専用のドローンを組んでご自分で作られるんですよ。私が森に来てから、母上以外が作った食事を口にした事はないですね」


「え、まじか。AIに人間の味覚わかるの?」


「流石にそれは。過去の人間の料理レシピを元に、出来上がったものの酸味や苦みが基準値を超えないようチェックして作ってるという事です。……それでもレシピをアレンジすると酷い味になる事が多々あって、そういう時は人間とAIの違いに悩んだりしますね」


「……苦労してるんだなあ、お前」


「ははは、でも昔の話ですよ。最近は、本当にそういう事はないです」


「本当だなぁ?」


 エクターの思い出話に、二人そろって笑いが浮かぶ。フォーレックスの抜けたところを見ているアドラーには、その様がアリアリと想像できた。人知を超えた超AIといっても、面白い所はあるようである。


 そうしていると、エクターの家の扉がノックされる。家主が迎えに行くと、そこには夕飯の入ったトレーを抱えた小さなドローンの姿。料理を受け取ると、ドローンは手を振るような仕草を見せて、森の奥へと走り去っていく。それに手を振って見送り、エクターはまだかまだかと目で訴えるアドラーの元へと戻った。


「はい、これが今日の夕食です。ふふ、アドラーさんの事を考えてか、二人分にしてもちょっと重いですね」


 銀色のトレーがテーブルに置かれ、その蓋が除かれる。途端、ホカホカの蒸気と共に、鼻腔を刺激する旨味が、食堂一杯に立ち込めた。


「おおー」


「これはご馳走ですね!」


 アドラーのみならず、エクターも笑みを浮かべる。


「本日のメニューは、野鳥の丸焼きと、卵と木の実のキッシュ、野草のサラダ、パン、といったところですかね?」


 エクターが今日のメニューを見渡してアドラーに説明する。メインディッシュの野鳥の丸焼きは、森に自生するハーブで丁寧に臭みを取っているのが見て取れるがそれだけではない。カリッと火の通った艶やかな皮は、それがただ焼いただけでなく幾度も油を掛けまわし調理された事を示している。その手間により、単なる鳥の皮がまるで芸術品のように油で照り輝き、見るだけで食欲が刺激される。卵と木の実のキッシュは、一見すると質素だが、これはメインディッシュの濃さを考慮しての事だろう。いきなり油ぎった鶏肉を食べる前に、これで胃を慣らしてくださいね、というコックの気遣いが見て取れる。


 そしてサラダだ。一見大したことがないように見えるが、これこそが本当に手間暇がかかっているぜいたく品だ。そもそも、外の世界の汚染環境で、一体どれだけの植物がそのまま生で食べられる? いくら丸薬を用いたとしても、いやそもそもその前に、これほど瑞々しく青青しい若葉など、アドラーはこの森にくるまでついぞお目にかかったことが無い。彩りも緑一色ではなく、濃淡に加え赤や黄色の差し色もあり彩り豊か。草、というと苦いという記憶しかないアドラーでも、ちょっと食べてみようか、と思ってしまうほどに、盛りつけられたサラダは涼やかで、清涼な存在感を放っていた。


 ごくり、とアドラーが唾をのむ。


「え、これ普通にうまそうじゃん。本当にAIが作ったのかこれ?」


「当然です。材料だって森でとれたものですよ。しかし母上奮発したなあ。さ、食べましょう」


「お、おう」


 促されて席に座り、されどどれから食べようかと思案するアドラー。迷い箸という訳ではないが、僅かながら食卓に並んでいる料理の価値がわかってしまうだけにたじろぎする。


 村の料理はよく言えば素材を生かした……悪く言えば、調理と呼べるものではなかった。調味料も僅かばかり、調理器具も限られ、なにより料理の知識の多くが失われてしまった現在においてはストレートに、煮る、焼く、蒸すがメインだ。食材だって可食部が極端に限られ、そこに創意工夫は挟まるもののそれはあくまで少しでも食べられる部分を増やそうという者であって、いかにおいしく食べるか、というものではなかった。街で食べた料理はおいしかったが、それでもやはり工夫にも限界がある。


 この料理は、それとは違う。食べられる、栄養がある、だけではない。味や、見た目にもこだわっているのが、アドラーの知識でも理解できる。


 悩んだ末に、まずは比較的原型をとどめているサラダに手を付ける。フォークを刺して、適量分取り皿に移す。記憶の片隅に残る、舌を染める酷苦を追いやって、しゃくりと口にした。


「うめえ……!」


 苦みがない訳ではない。だが、それ以上に瑞々しさとほのかな甘みが口の中に広がり、苦みはむしろアクセントになって爽やかさを引き立てている。食感もいい。しゃくしゃくとこぎみよい音を立てるものの繊維は柔らかく容易く噛みきれ、口の中に残る事はない。物質化した水を食べているかのような食感にアドラーは夢中になった。村にはえている野草とはもう存在の次元が違う。これが野菜というものだろうか。


 続けて、キッシュ、というものに手を伸ばす。カリカリに焼いた皿のような生地の中に、溶いた卵と木の実を混ぜたものが詰めてある、というところまでしかアドラーには見て取れない。なんだかんだ考える前に手に取り食べる。まずは、サクリ、という生地の食感。ただ硬いだけではなく薄い生地が何層にも分かれて生み出す軽やかな食感は、これまでの人生で体験した事のないものだ。そして、その後口に広がる半熟卵のとろとろとした食感。固と柔、二つの異なる食感が混ざり合い、さらに両者に共通して芳醇な臭みのない脂肪の香り。確かに軽い食感、量だが、少量でもお腹を満たせるだけの満足感がある。そして咀嚼を続けていくと、解れていく生地と卵の中に残る、ナッツの食感が最後まで楽しませてくれる。全体的に脂っこいが、だからこそ一口で食べきれるだけの量で纏めてあるのか。ただ量が多ければいいというものではない事を、アドラーは初めて知った。


「うめえ……言葉が出ないくらいうめぇ……」


「ははは、大袈裟ですよ」


「いや大袈裟って」


 からからと笑うエクターに内心、ちょっと引くアドラー。外の世界ではこんなものいくら金を積んでも……いや食べられるのかもしれないが一体いくらかかるのか考えたくもない。恐らくずっとこの森で暮らしているエクターには分からないだろう。そもそも蛍光色が混じってない卵をアドラーは初めて食べた。


「……」


 ごくり、と唾をのんでメインディッシュの鶏肉に目を向ける。


 丸々と太った鳥の丸焼き。羽が三枚ではないし脚が多かったり少なかったりしないし首が一本だが、多分鳥である。


 慎重にナイフを皮に差し込むと、パリ、という固い触感。それを突き破った先は、やわらかいがつまった、肉の手ごたえ。ジューシーだが決して脂ぎっていないそれを、適量の皮と一緒に口に放り込む。


 途端、味蕾を満たす旨味の洪水。酸っぱいものを食べたわけでもないのに、口の中に唾液があふれ出してくる。


「美味しいなこれ。いやほんと、うんまいわ。こんなに柔らかくて旨い肉、初めて食べた」


「本当ですか!? よかった、食べ応えがあるかちょっと心配だったんです。僕に合わせた量だったから」


「そりゃちょっと食べ応えはないけど、そりゃ贅沢ってもんだよ」


 そもそも外で食べる肉など、これに比べたらゴムか木片である。もとは生き物であるのは同じなのに、あまりに無慈悲なビフォーアフターの差であるといえよう。


「いいなーエクター、こんな旨い物毎日食べてるのか? いや大丈夫かそれ逆に。外の世界で生きていけねえぞ」


「そんな大袈裟な」


「いやいや全然大げさじゃないって……うん? あれ、なんか足りなくない?」


「足りないって、なんです?」


「いや何って……」


 もう一度、テーブルの上を確認するアドラー。


 空になった、キッシュの皿、サラダの皿、食べかけのチキンの皿と、飲み水の入ったコップ。何回みても、それだけだ。


「あっれ、忘れてるじゃん、丸薬。それともここじゃ丸薬の形してないのか?」


「丸薬……?」


「毒下しだよ。無しに食事したら大変な事になるだろ?」


「え」


 エクターの笑みが引きつる。アドラーはそれに気が付かず、見落としたかなーと皿をどけてテーブルの上を確認している。


「ちょ、ちょっと待ってください。外の世界って毒消しのみながら食事してるんですか?!」


「え、普通の事だろ? ……ってかなんでないんだ? 子機にもってこさせられない?」


「無いですよ、ないです! ここじゃそんなの飲んでませんから!」


「………え? 本当に?」


「というか外じゃそんなのが必要なんです? 毒のないもの食べればいいじゃないですか」


「毒の無い食べ物、ねえ……そんなのあるのかなあ……?」


 アドラーの知る限り、水も草も魚も鳥も獣も、全部全部毒消しなしで食べれば数日後には腹を下し、最悪嘔吐や血便を伴ってベッドの上だ。それでも食べ続ければ、当然死に至る。


 それが常識だ。


 だが。


「……ここじゃ、それが非常識なのか」


 かつての文明の名残が残る、このアルテミスの森。そこでは、人も動物も毒なんて気にせずに食べたいものを食べ、それが当たり前なのだ。


 恵まれた事だとは思う。だがそれはアドラーから見ての話であって、客観的に見て、どうなのか。


「古く懐かしき世を知る者よ、ね」


 アルテミスは、過去を知るフォーレックスをそう呼んだ。繁栄を知る者とは言わなかった。そしてフォーレックスも、過去の出来事を繁栄とは口にしていない。


 過去を過ぎ去った栄光だと思っていたのは自分だけだという事に、アドラーは遅まきながら気が付いた。

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