第15話 銀のタンポポ
その後、エクターの案内でアドラーは森の観光と洒落こんだ。
危険な動物云々はエクターなりのジョークだったらしく、道中は至って快適である。時折遭遇する小さな銀色のドローン達に手を振りながら、柔らかい日の光の中を二人、連れ添って歩く。その少し後ろを、鹿のようなエクターの護衛機が見守りながらついてくる。
危険など何もない。見渡す限りの平穏と穏やかさが、この森には満ちている。
このような場所もあるのかと、アドラーは感じ入っていた。
アドラーの認識では、森というのは非常に危険な領域のはずだった。もちろん、村の近くに森はないから、その知識は”冬の氷”からの土産話である、という前提になるが。
”冬の氷”が話す思い出の中でも、それは特に苛烈な物だった。人の棲まぬ地に広がる、広がり続ける汚染樹の森。ブリガンダインの森、と呼ばれるその森には、動物のように動き回る食獣植物が無数に存在し、無防備に入ればまず命はない。多種多様な、形状の定かではない樹木が生い茂る森の地面は、無数の根やツタが這いまわり、水気を帯びた苔が足を滑らせ、ともすれば脚を奪われ転倒したが最後、重装備であっても群がってくる捕食者の餌食になる。そしてそんな森に住まう生物も尋常ではなく、鉄と見まがう強度を持った人間ほどの大きさの人食い蟻と”冬の氷”は一戦を交えたのだという。
拡大を続けるブリガンダインの森を放置すれば、人類の生息域が脅かされる。故の森の伐採作業。しかしそこで体験した悍ましいまでの死闘は、”冬の氷”をもってして「騙された」「二度とやらない」と言わしめるものだった。詳細を伏せた語りであっても、それはアドラーの背筋を振るわせ、記憶に焼き付いている。
それに比べて、この森はどうだ。
森とは、本来このようなものだったのだろうか。それともこの森が、特別穏やかなのか?
どっちにしても、人類の失ったであろう物の大きさを、どうにも実感として感じられてやまない。人類の繁栄をしらないアドラーがそうなのだから、それを知るフォーレックスの気持ちはいかほどか。彼女がアルテミスにみせた過剰なまでの敵意も、その理由を考えると正当なものなのかもしれない。同時に、アルテミスがフォーレックスにたいし懺悔のような態度を見せたのも、それによるものなのだろう。
知らぬ、という事が悲しく感じた。アドラーは、彼女らの気持ちを真に理解してやる事はできない。
「どうされました?」
「あ、いや。綺麗な森だと思ってさ」
「そうでしょうそうでしょう!! エルフを名乗るAIが管理する自然区域は他にもありますが、そこにも決してここは負けていませんよ!」
「そうか……」
ならば人類に解放してもいいんじゃないか、と口が滑りかけたが、すんでのところでそれをアドラーは飲み込んだ。多分、ここの美しさは、人間……正しくは、繁栄を知らぬ人間が立ち入ってないからこそなのだ。それぐらいの事は、アドラーにもわかる。
「ところで、どこに案内してくれるんだ? それともこの道中がお勧め?」
「いえいえ違いますよ。もうすぐつきますので……あ、ほら、見えてきた!」
エクターがぴょんぴょんと跳ねて先を示す。小走りで歩み寄ったアドラーが小さな隆起を乗り越えると、とたんに視界が明るく開けた。
目の前に広がっているのは、森の中に広がる、ちょっとした広場。並び立つ木々が、そこだけぽっかりと場所を譲り、日の光が丸く降り注いでいる。
その日の光に照らされて佇むのは、草木ではなく、奇妙な銀色の人工物。細い円柱の先に球体を取り付けた、見た目の印象だけでいえば花のつぼみのようなものが複数、一定間隔で立ち並んでいる。ぱっと見では、何の用途に使われているのかわからない。
「これは?」
「ふふふ。そろそろ始まりますから、見ていてください」
むふふふ、と何か隠し事をたくらむ子供のような笑顔のエクターに首を傾げて、隆起に腰を下ろして銀色の蕾を見下ろす。と、何か頭上でチカチカ煌めく物に気が付いて、アドラーは空を見上げた。
広場が広がっているとはいえ、角度と位置の関係でアドラーの頭上は木々の梢が空を覆い隠している。だがその木の葉の間を、陽光を遮りながら数多くの何かが通り過ぎていくのが見えた。それが時折陽光を反射し、キラキラと輝きを放っている。そしてそれは広場の上の空洞へと向かっている。
呼応するように、銀の蕾が動きを見せた。球体にいくつもの切れ目が入り、ゆっくりと綻んでいく。本物の蕾さながらに、球体の外殻が開いて花のような形状へと変化していく。
そして開き始めた花に誘われるように、日の光と共に無数の輝きがゆっくりと舞い降りてくる。
小さな菱状の本体に、羽毛のような羽を持った小型ドローン。それが風にゆられるような動きで、ゆっくりと、次々に木々の枝をすり抜けて舞い降りてくる。まるで光の種が、花に舞い降りていくような、不思議な光景だった。
「へえ……。エクター、これは?」
「母上の情報収集用ドローンです。いんふら? が全滅した今は、こうやって小さなドローンを各地に放って情報を収集してるんです。そして彼らは、毎日この時間になったらここへ戻ってきます。全部じゃないですよ。ローテーションで、常に複数のドローンが各地で情報収集に励んでいるんです。どうです、秘境ぽいでしょう?」
とっておきの宝物をみせる子供の顔で、してやったり、と笑うエクター。
アドラーが秘境探しをしているのは、たしかにここの子分の前で口にしていたが、それを把握されていたとは。それにこのサプライズ、大人しそうに見えてなかなか悪戯小僧らしいな、とアドラーは苦笑した。
そうこうするうちにドローンの回収は終わったらしい。すべての銀の綿毛が花に収まり、内部できっちりと整理されて並ぶ綿毛が風にそよいでいる。恐らくはそうして情報と電力のやりとりを行い、また時間が来たら飛び立っていくのだろう。
「こうやって見ると、植物のようでなかなか愛らしいでしょう?」
「うーん。愛らしいかはともかく、なかなかの眺めだな。機械的な挙動がないのがすごく自然に見える」
「そうでしょうか? フォーレックスさんも、機械とは思えない滑らかな動きをしていたと思いますけど」
「あー……確かに」
思えば、確かに動物的な有機的な動きをしていた……と言えなくもない。ただ普段鞍の上にのっているから、あまりマジマジと見たことがないのだ。
「そもそもなんでアドラーさんはスーツを着ずにフォーレックスに乗っているんですか? あれだとちょっと辛くないです?」
「無いんだよスーツ。フォーレックス見つけた施設でも、俺が着れるようなサイズがなくてさ」
「そうなんですか? ……欲しいですよね、スーツ」
「そりゃなあ。あれば、フォーレックスが加速する度に失神しかけるような目に合わなくなるらしいし」
「え、毎回そんな目にあってるんですか?!」
「逆に聞くけどエクターは大丈夫なのか? にたようなのに乗ってるけど」
ちらりと、背後からこちらを見守っている鹿のような機体……ホーンズに視線を向ける。姿を見せた時、エクターは彼? に跨っていた。それなりの速度が出ていたにも関わらず、エクターがそれに苦しんでいる様子は見受けられなかった。アドラーなんて毎回毎回歯を食いしばる思いをしていたのに。
「僕は大丈夫ですよ。ホーンズが気を使ってくれているし、それにフォーレックスさんみたいな対AI戦を想定したガチガチの戦闘仕様じゃありませんから」
「えー、いいなあ。というかつまり、フォーレックスの奴、俺の事気にせずにぶん回してるって事かよ……」
「あわわわ、違いますよ、多分! フォーレックスさんのスペックだと、スーツ無しでの搭乗を想定してないというか。タイプREXのドラグーンは、単機で何十、何百機というドローンを駆逐し、敵AIコアへ突入する事を想定して開発された機体です。当時の人類の持ちうる技術を注ぎ込んだ、搭乗者の安全すら度外視した超スペックの、いってみれば特攻機なんですよ。アドラーさんを背中に乗せるにあたって、相当神経をとがらせてるはずです」
「そっかあ……」
エクターの言葉を受けて、フォーレックスの普段の言動を思い返す。
妙な人間臭さと過剰気味の行動に印象が上塗りされているが、彼女は常にアドラーの事を気にかけ、彼が鞍に居る時は可能な限り配慮して動いている。それは彼女が人を乗せなければいけない、という定義に基づいているとはいえ、それなりの負担になっているだろうに、それを彼女が表に出したことはない。
気安さにかまかけてつい扱いがぞんざいになってしまっていた自分を反省し、アドラーはもうちょっと優しくしてやろうと誓った。
そうこうしているうちに、再び花びらが閉じて球体に戻る。みれば、空から差す光も赤みを帯びてきていて、日が傾いてきているようだった。森にも、夕暮れの気配が立ち込めてきている。生き物が、家に帰りたくなるような、そんな穏やかな空気。
「そろそろ良い時間ですね。晩御飯にしましょう。ご馳走しますよ!」
「えっ、マジか。普段いいもの食べてそうだよなお前。期待しちゃうぞ」
「ははは、そんな事は。場所が場所だから、どうしても人間が食べられる物って限定されちゃうんですよ。あ、でも今日は皆さんがいらっしゃるから、母上が本当にご馳走を用意しているかもしれませんね!」
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