第13話 月女神の懺悔





『……人間よ。そして、古く懐かしき世を知る者よ。よくぞ訪れた』


 それは年経た老婆の声を思わせる、経験と知恵に裏付けされた柔和な響きの声。男か女かは判別できない。声も指向性が感じられずどこから発しているかもわからない。AIコアを見上げても当然視線が返ってくることもなく、どうにもつかみどころがなく、落ち着かない。話をするとき相手の目を見なさいとはいうが、それがしたくてもできない場合は、どうすればいいのだろう。その不自然さが、相手が人間ではないのだと、強く感じさせる……少なくともアドラーはそう感じた。


 だが同じAIであるフォーレックスにとっては何も感じ入るものはなかったらしく、つっけんどんに顎を突き出しながら流れるように暴言を口にする。


『アルテミス本AIの登場ですか。単刀直入に問います。何故かつて人間に牙を剥いた反逆者であるお前が、あろうことか人類の隣人のような顔をしているのです?』


「ちょ、フォーレックス!?」


『構いません。端的な問いは私の望む所でもあります』


 無礼極まりないフォーレックスの問いかけに、アルテミスはあくまで柔和に答えた。


 AIコアの輝きが、森に漂うミストをスクリーンに何かを空中に描き出す。それは何かの文字列のようにアドラーには見えた。


『私の中枢へのアクセスコードです。これで全てを理解する事が叶うでしょう』


『……どちらにしろ正気ではなかったようですね。初対面の相手に見せる情報ではない。むしろ逆に信用できません。罠ではないのですか?』


『ではその爪と牙で私を引き裂き物理接触でアクセスなさい。配下の者には手出ししないよう言い含めておきます』


『ちょ……』


 突然の”私を殺せ”発言に、敵意満載だったフォーレックスも思わず絶句する。予想外だったのは当の配下もそうだったようで、塔の直下の護衛機が、困惑したようにAIコアを見上げている。周囲の機体達も、俄にざわめき始める。


「え、どうなってんのこれ……」


「私に言われても困る。困るが、フォーレックスどの。間違っても安直な行動には……」


『わ、わかっていますよ!? というか何を言い出すんですかこのポンコツAI! いやポンコツなのはわかり切っていましたが、方向性が……』


 あれだけアルテミスを敵視していたフォーレックスも、予想外の展開の連続に敵意を折られてしまったらしい。あるいは、完全に無抵抗の相手を攻撃するのは彼女の理念に反するのか。アドラーとしても、エルフとしての評判の方がなじみ深いので血生臭い展開にならなさそうで何よりだが、しかし困惑は隠せない。


 いったいアルテミスは何を考えてこんな対応を。高度な戦略なのだろうか。


 三名ともに困惑のうちに沈黙し、AIコアは輝きを讃えたまま返答を待っている。膠着した状況を打破したのは、第三者の存在であった。


「そこまで、そこまでーーー! お待ちください、外の人!」


 遠くまで響く、済んだ年若い声。機械の森に響く、場違いともとれる人間の。


 木々の間を抜けて走り寄る、一機の機獣。すらりと長い手足、高く頭を掲げる長い首に、木々の梢のような角。機械でありながら生物じみた美しさを持った獣が、まっすぐに走ってくる。その背中には、銀色の貫頭衣に似た衣服をまとった年若い……幼いともいえる子供が跨っている。衣服は、まるで金属を直接編んだかのような鈍い虹色の光沢を持った不思議な素材で、それが獣の躍動と梢から差し込む光によって千々に煌めき、少年を神秘的に彩っている。そんな少年の相貌には、聊かの焦りと興奮が見受けられた。


「どうか矛をお納めください! 母上、ここはどうか私にお任せを」


『息子よ。ここは貴方の出る幕ではなりません。引きなさい』


「いいえ、母上! 貴方の積年の想いは存じておりますが、ここはだからこそ! 話がこじれては元も子もないはず」


「……息子ぉ? 母?」


 突然あらわれた子供と”母親”のやりとりに、アドラーが首を傾げる。というか、そもそも何故この森に人が。誰も立ち入れないはずではなかったのか。


『申し訳ありませんが、突然あらわれたそこな少年。君の名前は? 私はフォーレックスと申します』


「これはご丁寧に。私、アルテミスの森の嫡子、エクター、と申します」


「俺はアドラー。オスト・アドラー。んでこっちが」


 視線を向けると、トレーラーの運転席からカイトが降りる所だった。彼は地面に降り立つと片膝をつき、貴人に対する礼の姿勢を撮る。


「初めまして。私はポートゥのカイト・シデン。この度は、アルテミスの森にすまうエルフ達……貴方のお母さまのご助力を得るべく、お尋ねさせて頂いた」


「これはご丁寧にどうも。ポートゥですね、聞いたことがあります! たくさんの人機が配備されている、人間の拠点と」


「は。これはどうも。その通り、ポートゥは人機の集う工廠都市でありまして……しかしながら、それに対しここは人ならぬエルフの拠点。貴方のような人間がいらっしゃるとは、伺っておりませんでしたが」


『エクターは間違いなく、私の嫡子。後継者です。要らぬ詮索は……』


「母上! そういう端的な物言いばかりですから、いつも外の方々に勘違いをされるのでしょう!」


『エ、エクター……。そう怒らずとも……』


「皆様方、私は人間であり、母上とは勿論血のつながりはありません。ですが、母上が嫡子と認めてくださっている以上、私はアルテミスの森において大きな権限を持っています。どうか話し合いに私も立ち会わせて頂けないでしょうか?」


 幼いながらも、利発な物言い。血が繋がらぬとはいうものの、そこには確かに領主としての自負が伺える。一方で、この少年が現れてから母上ことアルテミスはさっきからたじたじである。利発な子供に言い負かされる気の弱い親、といった体で、自分たちが当事者でなければ微笑ましい親子像なのではないか、と現実逃避気味にアドラーは思った。


『……カイトどのに同意です。何故、貴方のような人間がこの森に? ここは人間には暮らしにくい場所でしょう』


「ご心配ありがとうございます。でもここは私にとってとても快適です。母の部下は誠実で奥ゆかしく、森に僅かに生きる動物達は穏やかです。水にも食べ物にも困ってはおりません。何より、ここには母の愛がありますので」


『愛……ですか。……愛』


 困惑したようにフォーレックスが呟く。どう言っていいのか分からないようだった。


 少なくとも、彼女のいう人類殲滅をもくろんだAIとは全く相容れない言葉だろう。


「あー、えー。とりあえず事情はわからないけど、人類を滅ぼそうとした奴の森に人間がいるってのも変な話だよな。道理が通らない。君の他には誰かいるのかい?」


「残念ながら、この森にいる人間は私一人です。それもあまり公言してはおりませんが。でも狂言ではありません」


「そりゃまあ、エクター君、だっけ。君のお袋さんのうろたえようを見るとそりゃ納得するしかないが……」


『エ、エクター。いきなり来て妙な事を言うんじゃありません……』


「子が母を慕っている事を公言して何が悪いのです」


「ははは。母君の事が大好きなのですね、エクター君は」


「はい! 大好きです! 母上は私の誇りです!」


 にこりと屈託のない、心からの笑顔を浮かべるエクター。その様子を見ると、どうしても毒気が抜かれてしまう。


『エクター。君はいったい何故、この森に?』


「母上に助けられたのです。私の両親は商人だったらしいのですが、隊商が魔獣に襲われ全滅し、かけつけた母上の部下が唯一助けられたのが私だそうなのです。以降、私はこの森で、母上の子供として育てられました。何の見返りもなく、ただ哀れだからと。そんな母上が、どうして人間を憎みましょうか。滅ぼしましょうか」


『ですが、確かにアルテミスは人類の敵となった。”マザー”と同期していた。それは事実です。確かな記録です』


「謀られたのです、母上は。そうと、決して認めませんが。自分を母上は許せないのです」


「謀られた、って、どういう事さ?」


 純粋な疑問から、アドラーが話に割り込んだ。フォーレックスとアルテミス、当事者の二人に任せていてはいつまでも平行線だ、と判断したのもある。


「AIが騙されたりするのか?」


「しますとも。母上は試作に近い時期の機体とはいえ、新世代AIです。嘘もつけるし、故に騙されたりもします。”マザー”は人類相手にそうしたように、母上を謀り、自陣営に引き入れた事にしたのです。母上、どうか真実を。客観的な事実だけでなく、主観的な事実を語っていただけないでしょうか。彼らが求めているのは、その言葉です」


『……私が、”マザー”と同期したのは事実です。ですが、私が同期した理由は”人類の殲滅”ではなく、マザーの……人類に対するデモ行為の認証でした』


 そうして、アルテミスは語り始めた。数百年前に起きた、不本意な裏切りの真実を。


 当時、地球環境はAIの管理下の元、回復に向かい、人類社会も再び経済の発展が見込まれていた。それでも、かつてのように好き勝手する勢力はあり、それが復興の大きな妨げになっている、というのは否定しようのない事実でもあった。そんな折に、アルテミスや一部の環境管理AIに、”マザー”からの打診があった。人類を監督する立場から、自分本位な者達への注意喚起を行いたい。それはできればサプライズで行う事で、社会的な影響を大きなものとしたい……と。かねてからの懸念もあり、アルテミスはそれを受け入れ、デモ機材、と称された一部の資材の不自然な動きを黙認した。ただそれだけ。


 だがその結果起きたのが、人類への先制攻撃だった。


 抗議の為の映像や音声の代わりに放たれたのは、インフラと人命に対する破壊行動。アルテミスがそれを認識した時には電子攻撃も開始されており、それから身を守るために外部との接続を遮断し、手元の子機を用いて防衛行動を行う他なかった。さらに重粒子や変動放射線源をまき散らす無差別攻撃はアルテミスの元にも及び、広大な森林の大半が焼き尽くされた。その時点で、アルテミスは”マザー”が、完全に狂っている事をようやく理解したのだ。そして、自分の犯した罪の重さも。


 語られた真実に、その場に居合わせた人類が言葉もなく沈黙する。なんといえばいいのか、彼らには思いつかなかった。


 その中にあって、平然とフォーレックスはアルテミスへの糾弾を続ける。


 どんな真実があろうと、彼女の中で”アルテミス”は敵であるのだ。それは、不合理受容性AIの、自らの矛盾を受容してしまうという仕様が、この場においては空気を読めずに発露されていたも言えよう。


『何故、その段階で人類に協力しなかったのですか? そうすれば人類も事態を把握できたでしょうに』


『……すでに人類は互いに連絡する事もかなわない大混乱に陥っており、”マザー”のばら撒いた殺人ドローンとの散発的な抵抗戦が行われていました。私は支配域での混乱を収めたのち、すぐに最寄りの人類の勢力に接触し、協力体勢をとりました。ですが、その人類勢力は……。彼らは……』


 AIが、言い淀む。人ならぬ、計算式で組まれた存在が。そうさせる意味は、アドラーにもなんとなく、理解できた。


 だって、この森には、人はエクター一人だというなら、それは。


「アルテミス殿。大体は察しました。お言葉を紡ぐのが苦しいなら、ここで……」


『いいえ、いいえ。私が語らねばなりません。私が語るべき言葉です。……彼らは、全滅しました。”マザー”配下の大勢力から、この森を守るために絶死の防衛線を行い、一人残らず。そしてこの森のわずかな一部が、残されたのです』


『それは……』


 理屈は、語られずとも理解できた。周囲との連絡を絶たれ、孤立した人類の勢力。おそらくは、あくまで残存戦力の一部でしかなかったのだろう。次代を託すべき子もおらず、守るべき女も持たなかった兵士達。もはや戦って滅びるのを待つばかりだった彼らと、インフラを今も保有し拠点としての機能を残すアルテミスの森。人類の今後を考えれば、残すべきは、残るべきはどちらかは分かる。彼らは、生き残っているかもわからぬ同胞達の未来を信じてその命をくべたのだろう。それは、讃えられるべき事である。誇りある行いである。


 残された方が、どう思うかはともかくとして。


「アルテミスどの。貴方は……まさか……」


 カイトが躊躇いがちに呟いて、いや、と言葉を切る。その気持ちはアドラーにも分かる。


 だから。エルフだなんて名乗って、人類社会と距離を置いたのか。


 己の価値で、人を二度と殺さぬように。


『ですが、私が判断を誤ったのは事実。私は罪を償わなければならない。当時、前線で戦っていた貴方には、その権利と責任がある』


「母上! この期に及んで、そんな……」


 エクターが声を張り上げるが、アルテミスは考えを撤回する様子はないようだった。本気で、断罪と贖罪を求めている。


 その、人間ではありえない律儀さと実直さ。なるほど、AIらしくはある。ある、が。アドラーとてアルテミスの価値は分かる。その気持ちも分かる。その悲しみまでは、わかるとまで言えないが。


「フォーレックス……」


『……なるほど。事情は把握しました。ですが、貴方の語りを、貴方の存在を私が許

したわけではない』


「おいお前……」


『その上で、これから貴方の行動を見て私が判断します。貴方を敵として破壊するのも、貴方の要請を受け入れ介錯するのも、全てはそれ次第です』


『判断を棚上げにするという事ですか? AIらしくもない。人類の決戦兵器たる貴方が』


『ええ。不合理受容性AIですから。それに、私には貴方如きの破壊よりも優先順位の高い任務を現在遂行中です。冷静に考えればそちらを優先すべきでした。勿論、協力して頂けますよね? アルテミス。貴方の言葉が真実であるならば、貴方が残っているのはそのためでもあります』


『……了解しました。酷いAIです、貴方は』


『何故貴方を気遣わなければならないのです?』


 ハァ、とアルテミスの溜息が聞こえた気がした。勿論、AIが溜息をつくはずもなく、音声として出力される事もなかったのだが、アドラーはなんとなくそう思った。


「話がついたなら、悪いけど……カイトのためなんだ。手伝ってほしい」


『了解しました。目的は把握しております。準備もすでに。エクター、彼らを案内してあげなさい』


「はい、母上。 さあ皆さん、こっちです!」


 エクターの乗る鹿のような機体が踵を返し、森の奥へと消えていく。その後をそれぞれ追いながら、アドラーはフォーレックスの鞍の上でアルテミスを振り返った。


 過去の英知によって磨かれた宝玉は、ただ日の光に青く輝いていた。

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