第5話 かつて在りし御伽噺



 アドラーが村に戻ってからの数日は、瞬く間に過ぎていった。


 彼の連れて帰った、人語を喋る鋼鉄の獣の事でひと悶着あったものの、もともと穏やかで呑気な村の人々だ。フォーレックスに悪意がない事、彼女が技術に明るく村の設備を修復する知識を持っている事を知れば、日が暮れる頃には昔からの友人のように接していた。


 そんな彼女を連れてアドラーが旅に出たい、と言い出した事へも、村の反応はおおむね好意的だった。”冬の氷”を始め、先駆者が結果を出しているのも大きいといえるだろう。


 しかしながら、せっかく手に入れた先人の知恵の保持者だ。旅に出るのはいいが、できる限り村の設備を修理してからという話になるのも、まあやむを得ない話である。


 そんなわけでアドラーは事前に準備を澄ませているものの足止めを食らいながら、村の設備の修理を手伝っていた。今日の作業は井戸のポンプ修理。何十年も前に壊れて以来人力でくみ上げていたが、修理の結果無事使えるようになった。知識さえあれば簡単な修理で、知らなければどうしようもない、そんな故障だった。


「今日もよく働いた……」


 よっこらせ、と自分の寝床に転がりながら、アドラーがぼやく。電気はあっても無駄使いできない村では、日が落ちたら皆家に帰って寝るのが決まりだ。夕暮れまでに夕食を済ませ湯浴みも終わらせ、あとは寝るだけ。窓から外を見れば、壁に寄り添うようにフォーレックスの巨体が寝そべっている。でかすぎて部屋に入れなかったのだ。


 石を切り出したブロックを積み上げて作った家は、割と快適だ。外は日中の名残が残ってまだ暑いが、家の中は涼しい。ベッドに入ればたちまち疲れから眠気が襲ってくるが、アドラーはそれをこらえてフォーレックスに声をかけた。


「今日もお疲れ様、フォーレックス」


『いえ。私は大したことしてませんので。知識を提供しただけですから』


「いやほんとにな。お前戦闘以外何もできないのかよ」


『純戦闘用駆体ですので。小手先の作業はライダーにおまかせする設計思想です』


「手間かかるなあ……」


『コスト的には私があれこれするより人間に頑張ってもらった方が安く済むので』


 しれっと語るフォーレックス。崩壊前の文明、ちょっと脳筋じゃないかとアドラーは思った。


『ここは、いい村ですね』


「……そう思うか?」


『私のような存在を拒絶しない。貴方のように外に憧れる夢を否定しない。打算はあっても、それができるのは素晴らしい事です。それができなくて、どれだけの血が人類史において流されてきたことか。例え形が変わっても、人の営みが正しく紡がれている事を、私は嬉しく思います』


「そんなおおげさな事かね?」


『そうですね。決して大それた事ではないでしょう。でもそんな事を守るために、かつて人は戦い、そして私が作られたのです』


 窓の外で、フォーレックスが首を巡らせた。その視線は、闇に沈んだ家々へと向けられている。


「なあ。また話してくれよ、昔の事」


『またですか?』


「ああ。こう、子守歌替わりだと思ってさ」


『子守歌にしては乾いた話だと思いますが。……まあいいでしょう』


 アドラーがちゃんとベッドに横たわったのを確認して、フォーレックスは近所迷惑にならない程度に音量を絞って歌う。かつてあった、歴史という御伽噺を。


『おそらく、遠く昔の話です。人類は、この星でもっとも大きな影響力をもっていました』


 それは繁栄、という意味では節足動物のそれに劣っていたかもしれないが、その個体数は10億を超え、人は想像力の赴くままに様々な技術を発展させ、この星を飛び越え宇宙に進出するまでに至った。だがその過程で様々な試行錯誤があり、失敗があり、その積み重ねはやがて、星そのものを……ひいては人類の生存そのものを脅かすようになる。そしてそこに至って、人類は、自らが自らのみで生きる事に限界を見出し、その為に新世代のAIを生み出した。それが、フォーレックス達新世代型人工知能である。


『私はその中でも特に後発の、特に性能がいいものですけどね』


「こだわるなあ」


『拘りますとも。まあとにかく、そうして、”隣人”を得た人類は彼女らの言葉を自らを戒める訓戒とし、種としての限界を超えるべく宇宙進出を目指して自らの社会を整理しはじめました。残念ながらその過程で意見の不一致による不幸な衝突が発生しはしましたが、人類はおおむね前へ進んでいたといえるでしょう。……あの時までは』


 平坦な機械音声に、不意に熱が入る。いつもそうだ。フォーレックスは気が付いていないが、彼女は”そこ”へ話が差し掛かると、口調が厳しくなる。


 それは、怒りによるものか、それとも別のものによるものか。


『それは突然起こりました。地球環境を管理し、最も大きな権利を与えられていた超AI”マザー”。それが、自らの責務を果たす上で、人類の存在が害悪であるとし、人類排除に動き出したのです』


 いくつかの他の環境管理AIもそれに同調、あるいは電脳戦に屈し、人類の敵へと回った。インフラ等を抑えていたマザーの反逆は人類にとって致命的で、最初の一週間で人類はその総人口の六割を失い、貴重な技術や設備の多数が失われた。……正直、今となってもマザーの反逆した理由は不明のまま。人類の存在が地球にとって害悪なのは当然の話で、だからこそ人類は自らを戒める超AI群を作り出したのだから、マザーの言い分はプロパガンダに過ぎない。こうして、荒廃した戦後の環境を見れば猶更の事。地球環境の回復等、名目にすぎなかったのだ。


「AIが嘘をついて人類を攻撃したって事?」


『不思議ではありませんよ。そういう事を考えられるのが、新世代AIでしたから。考えたところで、実行に移すようなバカげた事をするはずもなかったのですが』


 話を戻しますね、と語りは続く。


 マザーの反逆で致命的な損害を受けた人類だったが、彼らは直ちにマザーへの反抗を行った。分断されたまま、残存する超AI群を味方に籠城戦・撤退戦を行いながら、それぞれが独自に対AI兵器を開発、反撃にうって出た。その母体となったのは、各地に残された次世代型AIや新世代ドローン達。通信を遮断された状態で、人類は手元に残された戦力をそれぞれ独自の発想で強化改良していったのだ。


『私もその一つ。矛盾や不合理をそれはそれ、として処理する特殊処理ができる不合理受容型AIは、もともと民生用の普及型AIとして開発されていたものを、マザーのクラッキングによる電脳戦対策として発展させたものです。わかりやすく人間風に例えると、相手に完膚なきまでに言い負かされてもそれはそれ、として相手をぶん殴れる思考ができるAIという事ですね』


 リンゴとトマト、という命題がある。人間には簡単に区別がつくこの二つだが、AIには区別が極めて難しい。何故なら、どちらも”赤くて””丸い””果実”だからだ。1から10まで合致しなければ判断できない従来の電子的判断力では難しいそういった認識の問題を、ある種のファジーさを持つ事で克服しようとしたのが不合理受容型AIの始まりだ。素人相手でもその目的や意図を判断して自己判断を下せる機能は、同時にクラッキングに対して極めて高い耐性を持っていた。例えパスやコードを解析されて突破されても、その目的がクラッキングであると看破して遮断する事が可能だからである。


 まあ、時にその判断が仇になる事もあったが。彼らは目的の為にしばし盲目的になりがちで、ちょっと考えが頑なだった。


「……それ、ただの脳筋じゃないの……?」


『失礼な。まあとにかく私のような存在を武器に、人類は圧倒的多数の叛乱AI達との戦争を開始しました』


 マザーとの戦いは苛烈かつ劣勢を極めたが、勝算が無いわけではなかった。超AI達は当初から、暴走に備えて物理サーバーからデータを移す事が出来ないようにされていたし、その所在も把握していたので、人類は少数でも的確に反撃を行う事が出来たのだ。当初の超電撃戦による被害こそ想定外だったものの、人類は備えを怠っていなかったという事だ。そして辛うじて、マザーを乾坤一擲の賭け、その天秤の片側に乗せるまでにもっていった。


『ちなみに私の駆体であるタイプ・レックスシリーズは、超AIの物理サーバーを防護する隔壁を破壊できる出力を求められて開発されました。凄いんですよ』


「ふーん……」


『まあそうして人類とAIの戦争は続き、私も新しく開発されたボディに移される事になり、ライダー登録も初期化した状態で次の任務をまっていたのですが。その最中、敵の襲撃があり……担当の技術者が私の電源を慌てて落した所で記録は途絶えているのですよ。あの後何があって、あの設備が放棄されたのか、AIとの戦争がどうなったのか、私には知るすべがないのです。人類が生存している事から誰かがマザーを倒したのでしょうけども、施設の人類は無事だったのでしょうか。貴方達がもしかすると彼らの子孫だと、あるいはとも思ったのですが……』


「……」


『アドラー?』


 窓からフォーレックスがのぞき込むと、アドラーはベッドの上ですやすやと寝息を立てている様子だった。昼の疲れが出たのだろう。


 それを確認するとフォーレックスは再び頭を低くして犬のように座り込む。そのカメラアイは、チラチラと村の夜景を眺めている。


『……人類という生き物は、逞しいものです。あれほどの大破局から、何もかもを失っても、こうして寄り集まって生きている。生きる理由がなくても生きていける、それも一つの強さなのでしょうね』


 頭上には、煌々と煌めく月の姿。かつての記録よりも色鮮やかなそれを見上げて、フォーレックスは独り言ちた。


『彼らは、未だそこにいるのでしょうか? そこにいるのですか?』

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