第2話 鷲と竜



『……TYPE-REX、Ver4……。……起動します』


 ドズン、と足踏み。ギギギギギ、とオイルで固まった歯車を無理やり動かすような音を立てて、ヨタヨタと巨大な影が動き出す。その冷たい鋼鉄が俄に熱を持ち、風が起きる。


 その熱で固まった関節がほぐれたとでもいうように、段々とその動きが滑らかになっていく。ついには流水のような動きで床に降り立ち、尾を巡らせたその巨体が、首をこの狭い空間にあって高く掲げた。その眼窩に灯る鬼火のような青い光が、”東の鷲”を見定めた。


 ああ、しまった、と”東の鷲”。動きが鈍い間に全力で走れば、あるいは逃げ切れたかもしれないのに。


 まさか、こんな特大の魔獣が動き出すなんて。


 全長は、村で一番大きい村長の家の幅ほどもあるか。高さも二階建ての家ぐらいある。腹を引きずる事もなく太い二本の脚で巨体を軽々と支えている様子は、見るからに機動力と出力その両方で優れているのが見て取れる。恐らく、村の周囲に張り巡らせた防壁を余裕で飛び越えられそうだ。あるいは、体当たりで粉砕できるかもしれない。


 並大抵の魔獣の襲撃を防げる防壁に対してその評価ができるという事は、つまり魔獣としても規格外という事でもある。


 手にした自動小銃なんてこんな怪物に効くはずもない。そこらの雑魚魔獣なら柔らかい急所があるが、この暗闇で、この巨体の攻撃を搔い潜って見知らぬ急所を射抜くなんて奇跡、期待できるはずがない。それでも、無抵抗という訳にもいかない。少なくともこの怪物を起こしてしまった責任が”東の鷲”にはある。村の住民が異常に気が付くまで、生き延びて戦う義務がある。


 悲壮な覚悟を決める少年を高みから見降ろし、目覚めた巨獣は牙を剥いて唸った。その喉の奥から、人ならざる言葉が紡ぎだされる。


『……何故民間人がこの施設にいるのですか?』


「……。…………?」


『避難民が紛れ込んだのですか? 今現在当施設は暴走AIの襲撃を受けています、危険です、すぐに避難を……うん? なんですかこの惨状は? 私が起動するまでに何があったのです??』


「……なんだ、コイツ?」


 一向に襲い掛かってこない巨獣に、”東の鷲”が拍子抜けしたように息を吐く。むしろ巨獣の方が困惑したように首を巡らせ、周囲をきょろきょろと確認している。まるで親から引き離され、小屋に移された家畜の子のようだ。落ち着かなさそうに脚をばたつかせるせいで埃が舞って、思わず”東の鷲”は咳き込んだ。途端、巨獣がぴたりと動きを止める。


『失礼。ご迷惑でしたね。しかしこの状況はいったい。差し支えなければ説明を願いたいのですが』


「……。うん? あれ、もしかしてコイツ、俺に話しかけてる? いや、まさかな……」


『? 変わった言語を使いますね……。訛りがひどいのでしょうか? ですが、ライブラリーで対処できなくもない。……もしもし、聞こえますか?』


「?!」


 驚愕のあまり小銃を取り落とし、背後の壁際まで飛びすさる”東の鷲”。突然、鋼鉄の怪物が流暢な人語で語りかけてきたらそうもなる。


『おや、驚かせてしまいましたか。私は危険ではありませんよ、大丈夫ですよー。落ち着いて、落ち着いてください』


 そんな”東の鷲”に、巨獣は頭を下げて彼に視線を合わせながら、やはり流暢な、どこか女性的な響きの声で語りかける。勿論それで”東の鷲”が冷静になれるはずもなく、彼の脳裏を母親の語った昔話が高速で再生される。曰く、人食いの怪物は、決まって聞こえの良い女の声で旅人を誘うのだと。


 ついでにいえば、背を低くしたその姿勢は野生の獣が獲物に襲い掛かろうとするまさにそのポーズなのだが、巨獣は全くその事に思い当っていないようだった。


『怖くない、怖くないですよー。私は貴方と話がしたいだけ、話がしたいだけなのですよ。わかりますか? わかりますよね?』


 猫撫で声で、幼子に語り掛けるように話す巨獣。本獣としては最大限の信愛表現なのかもしれないが、見た目が牙を剥いて唸る得体のしれない怪物だ。


『……ふむ。どうやら、互いの認識に相当な隔たりがある様子。貴方は、どうやら私の事が恐ろしいらしい。違いますか?』


「……だったら、どうする?」


『そうですね。どのような形式なら、貴方は私と冷静に会話ができますか?』


「お前は。……お前、魔獣とは違うのか? 人間に、会話を求めてくる魔獣なんて、聞いたことがない」


 勿論、目の前のコレが、初めての会話を求めてくる魔獣、という可能性もある。だが魔獣が恐ろしいのは、一切のコミュニケーションを……ひいては命乞いなど気にも留めずただひたすら人を殺戮するからであって、そうでないのならば。


『私には、貴方のいう魔獣というのが何なのかはわかりませんが』


 そこで一端、言葉を切ると巨獣はその場にかがみこんだ。まるで馬が、飼い主に騎乗をねだるかのような仕草。そして、馬のそれと同じところにある鞍らしき造形物。どこかバイクや車のそれと似た部品が見受けられるそれが何かを求めるかのように動く。


『私は、人のために作られた、人の為にあろうと考える存在です。”非合理受容性AI”。機種は、タイプレックス、バージョンフォー。私は、貴方の敵にはなりません』


「じゃあお前、魔獣じゃないのか……?」


『ええ。貴方のいう魔獣は、人を襲うのでしょう? だから私を恐れた。大丈夫です、私は、良き人を襲う事はありませんよ。私は、驚異から人を守るために作られたのです』


 つまり、驚異ではない。


 それを理解すると、”東の鷲”は猛烈な脱力を感じてその場に座り込んだ。気が付けば、べったりと衣服のしめる感触。知らぬうちに、大量の汗をかいていたらしい。当然か。


「なんだ、そっか。敵じゃないのか。はははは……」


『ええ。そうです。私は敵ではありません。……交換条件ではないのですが。貴方の事も教えてくれませんか? 私は何も知らないのです』


「俺が、教えられるような事は何もないと思うけど……。だって、魔獣じゃないなら、あんたはエルフやドワーフみたいな、昔の人に関係したものだろ?」


『エルフ? ドワーフ? 人間の空想上の亜人種が、何故ここで出てくるのです?』


「それも知らないのか? どうなってんだ……酷い断絶があったってのは、聞くけど。そもそも最初、あんた変な言語を喋ってたよな。あれも昔の言葉なのか?」


『変な言語……? どうやら、私に予測できる以上の事が起きているようですね。暴走AIや、”マザー”がどうなった、とかは……ああ、なんでもありません』


 納得したように呟き、巨獣は”東の鷲”に顔を寄せた。敵意がないと分かっただけで、牙を剥きだしにしたその恐ろし気な風貌に、感情のようなものが透けて見えるのは果たして少年の気のせいだろうか。


『おっと。失礼しました。人間とのコミュニケーションにおける最重要項目を忘れていました』


「なんだよ、それ」


『名前です。貴方の名前を訪ねていませんでした。私自身は先ほど名乗りましたが、貴方のお名前は? よろしければ教えてください』


「おれは……”東の鷲”。生まれた時、東の空に鷲が飛んでたからって、父さんがつけてくれた」


『”オスト・アドラー”? いや、”イースト・イーグル”ですか。それが貴方の名前ですか? 』


「いや、なんだよそれ。”東の鷲”は”東の鷲”……いいや」


 少年は、そこで初めて笑った。


「オスト・アドラーもいいな。そう呼んでくれるか?」


『わかりました、アドラー』

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