第2話


 いきなり意識が覚醒する。寝起きのように緩やかなそれではなく、優希は瞬間でその光景を目にした。

 遠くに見える山々。空に広がる青い空と白い雲。目の前にいる赤く巨大な竜。

「ぎゃあああああああーーーー!!??」

「GYAAAAA!!」

 優希が絶叫をあげて、赤い竜が雄叫びをあげる。

 優希の足の力ががくんと抜けて、その場にへたり込んでしまう。そんな優希を見下ろす赤い竜は、長い舌をチロリと出して優希を見た。

「ひ」

 それで優希は本能的に悟ってしまった。この竜は自分を喰う気だと。

(逃げないと)

(足が動かない)

(そもそもこの体格差じゃ逃げられない)

(ああ、終わった……)

 目まぐるしく思考が交錯し、やがて諦めの境地に達した。その時にはすでに赤い竜は大きく口を開いて優希を一口で喰わんと迫って来ていた。

 ゆっくりと時間が流れ、優希は目を閉じる事もできずにその光景を見届けることしかできない。

 優希に赤い竜の顎が迫ってくる中、横から着物姿の少女がいきなり割り込んで、その手に持った薙刀を振るって赤い竜の首を落としたその光景を。

「え」

 あまりに唐突なその展開に、優希は呆然と呟くことしかできなかった。


 断末魔すらあげさせることなく巨大な赤い竜の首を落とした少女。

 長い髪は黒く艶があり、着ている服は和服に近いもので動きやすいように改良されていた。肌は健康的な白さで輝いており、振り向いて見せた顔は人形のように整っている。

 その美少女の口が開かれる。

「あなたがミザストン社から派遣された人?」

「は?」

 意外過ぎるその言葉に、変な声が優希の口から漏れた。

 それを聞いてきょとんとした表情をする美少女。

「え…っと。地球にあるミザストン社から、聖力せいりょくがあるってスカウトされた人、ではないのかしら?」

「せいりょく…? オレは魔力って聞いたけど」

「ああ、それそれ。間違いないわ」

 ほっとした表情をする美少女。

「両方ともキルトリアル理論における魂運用のエネルギー活用法の事を指すから。この国では聖力って呼ぶのよ」

「でたよ、キルトリアル理論」

 流行ってんのかと口の中で呟く優希。

「まあいいわ。私はあなたをフォローする為に来た同じ地球出身の冒険者よ。

 これからよろしくね」

 そう言ってにっこりと笑う美少女。それを見て頭をぽりぽりと搔きながら、優希も返事をした。

「よろしくお願いします。オレの名前は村崎むらさき優希ゆうき

「優希ね。いい名前じゃない、私に名前はないわ。好きに呼んで」

 あんまりな言葉に、優希の目が大きく見開かれた。


 名前のない美少女は手早く仕留めた赤い竜を解体していた。牙を抜き、ウロコを剥ぎ取り、舌を切り取る。

「他にも素材はあるけど、とりあえずはこんなところね」

 そう言って、結構な量の素材を風呂敷のような大きな布で包み、持ち上げる。

 かなり軽々とした様子の彼女だが、そこで優希がふと気が付いた。

「そうだ。オレは物がたくさん入る袋を借りたんだけど、それをその中に入れようか?」

「ああ、そんなものも支給されたのね。それじゃあお願いしようかしら」

 許可を取り、この異世界に持ち込めた布袋に美少女が集めた素材を入れる。

 するとあっさりと全てが入り、しかも重さを感じない。まるで消えたようだ。

「すげ…」

 話には聞いていたが、見ると違和感が凄い。常識が壊されるというか、手品を見ている気分と言うか。

 スマホを手に持って、勝手に入れられた異世界アプリを起動する。いくつかの機能があるが、袋という項目を選択する。するとそこにはたった今入れた素材が一覧となって表示されていた。優希はまだ冒険者ではないからか、買い取り不可の表示はついていたが。

 ここで話は終わり、美少女は武器である白い金属でできた薙刀を肩に担ぎ、微笑みながら口を開く。

「じゃあ町へ移動しましょうか。落ち着いて話すにはここは向いていないわ」

「ありがとうございます」

 そう言って、その場所から歩き出す2人。山の手前にあった丘のような場所から下り、標高が低い方に向かって。気温はやや低く、時折冷たい風が吹くその場所を後にする。

 やや気まずい沈黙が流れるので、優希はおそるおそる口を開いた。

「あの…」

「どうかしたかしら?」

「ちょっと聞きたいんですけど、名前がないって言いませんでした?」

「ええ」

「どういうことか聞いていいですか」

「別に構わないわ」

 至極あっさりと頷いた美少女は、淡々と説明をする。


 この美少女は優希がいた世界の日本で産まれたらしい。

 とはいえ、彼女は一般的な生まれではない。優希が突発的に異世界に送り込まれたのに対し、美少女は異世界の事を知っている村落で産まれた。

 今回、優希が異世界に干渉しているように、元の地球も異世界からの干渉を受けることもある。それが良い影響であるとは限らず、異世界での脅威などに対処する為にそういう事を専門とする人々は日本にも存在するらしい。

 そのような窓口があれば、場合によっては助けを求められることもあるし、優希をここに送り込んだミザストン社のように異世界間の取り持つことによって利益を得ているケースもある。彼女は産まれながらに異世界に関わることが義務付けられた人生であった。

 そして彼女に関してはそれだけに終わらない。彼女が産まれる数年前に特殊能力で世界が滅びる可能性があるという予言がされたらしく、その破滅を回避する為にその村落が総力をあげて優秀な赤子を。それこそが彼女であり、産まれてから15歳の誕生日を迎えるまで、彼女はそこで異世界で戦い生き残るべく英才教育を受け続けてきた。

 そんな彼女に名前は必要ないと見做されたらしく、単に『お嬢』とだけ呼ばれて過ごしてきたらしい。


「私のことはこんなところかしら?」

「……なんて言うか、壮絶な人生を歩んできたんですね」

「そうかしら?」

 きょとんとした顔で首を傾げる彼女に、優希は少しだけ背筋に冷たいモノが奔る。

 人は自分の価値観でしか物事を判断できない。そういう意味でこの少女は自分の人生が異常だと思えない。一つの人生しか知らないから、その人生に違和感が持てないのだ。

 それを理解したからこそ、優希はこの少女を少しだけ恐ろしいと感じたし、それと同時に悲しい人だとも思った。

 だが、それを口にする前に美少女の足が止まる。

「さ、見えたわ。あそこが北の果ての町、ベルザドドール領のツングよ」

 その言葉にふと前を注視すれば、幾つもの物見櫓ものみやぐらが乱立する風景が見えていた。聞くところによると、それぞれのやぐらの間に簡素な壁が設置されて外敵の侵入を防いでいるらしい。

(やべ…)

 ぶるりと優希の体が震える。流されて来てしまった異世界ではあるが、こうして自分の身で味わってみると言いようのない感動が心にやってきた。

 普通なら絶対に出来ない体験に、心の奥底で興奮をしている。

「ああ、言い忘れたけど」

 そんな優希に美少女が気軽に口を開いた。

「ここ、そんなに治安が良くないから。十分に注意してね」

「なんか今日は気分に水を差されてばかりだな!」

 思わず優希は大声をあげてしまった。

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