第137話 馬車の中で

 お茶会帰りの馬車の中。


「ふーんふふふーん」


 ローガンの隣に座るアメリアが、たくさんの小袋を胸に鼻唄を奏でている。


「嬉しそうだな」

「そりゃあもう!」


 むふーっと息を荒くしてアメリアが力説する。


「オータム・エクリプスにミッドナイト・サファイア! 最終問題で出たミレーユさんのオリジナルブレンドまで……まさに紅茶の宝ですよ!」


 アメリアが抱える茶葉たちは全て、エドモンド夫妻から貰ったものだった。

 茶葉の読み解きの全問正解景品、加えてミレーユを助けてくれたお礼として、たくさんの茶葉を譲り受けたのだ。


 今アメリアの胸の中にある紅茶の一つ取ってみても、愛好家からすると喉から手が出るほど欲しい代物だ。

 へルンベルク家に来て、すっかり紅茶を嗜むようになったアメリアが興奮しないわけがなかった。


「それに、キーテムちゃんもお迎えできましたし……」


 ちらりと、アメリアは馬車の荷台を見やった。

 行きには付いていなかった馬車の荷台には、立派なキーテムが聳え立っている。


 お茶会の終わり際、ミレーユのアレルギーを鑑みキーテムが伐採されそうになっていたのをアメリアが必死に止めたのだ。


 植物を愛するアメリアにとって、何も悪くないキーテムちゃんが伐採されてしまうなんて見過ごせるわけがなかった。

 ローガンの計らいもあって結果的に、キーテムはへルンベルク家の庭園に迎えられることとなったのだった。


 夕暮れに反射しオレンジ色に煌めく姿はまるで、新天地への門出に期待を膨らませているようである。


「庭園の彩りがまた良くなるな」

「私がベストな位置に置いて、キーテムちゃんが輝けるようにいたします」


 拳を握りアメリアは意気込んだ。


 するとアメリアは「忘れてたっ」とばかりにハッとして、紅茶の小袋をいそいそと対面の座席に移動させた。


 それから椅子の上で正座をして、アメリアは言葉を口にした。


「ローガン様、今日は申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げるアメリアにローガンは目を瞬かせる。


「何に対する謝罪だ?」

「何って……」


 バツの悪そうに目を逸らして、アメリアは言う。


「ローガン様が席を外している間に、エリンの口車に乗ってしまったせいで、ややこしい事態にしてしまいました。あの時、勝負を受けるわけにはいけませんでした」


 アメリアの説明に、ローガンは神妙な顔をして尋ねる。


「一応訊くが、なぜ勝負を受けたのだ?」

「…………お恥ずかしながら、腹が立ったのです」


 顔を上げたアメリアの頬には、ほんのりと赤みが差していた。

 

「エリンに、私には勝負事に挑む度胸がないと、期待はずれだと煽られてしまい……」

「そんなことを言われたのか」


 こくりと、アメリアは頷く。

 自分のいない間にアメリアが馬鹿にされていたのかと怒りを覚えるローガンが、続けて尋ねる。


「それで、ムカついたのか?」

「ええ! それはもう!」


 今思い出しても腹が立つとばかりに、アメリアが握り拳をぶんぶん縦に振る。

 それから、ふんっと息を鼻から出してアメリアは叫んだ。


「めっっっっっっっっっちゃムカつきました!!!!」


 馬車の中で弾けた声は外まで響いて、御者の肩をびくりと震わせた。


 おおよそ、貴族令嬢とは思えない台詞を言い放ったアメリアに、ローガンがぽかんとする。

 すぐにアメリアは我に帰った。


「も、申し訳ございません、私ったら、なんてはしたないことを……」

「くくっ……」


 あわあわと羞恥を散らすアメリアに対し、ローガンは口を押さえ笑みを漏らす。


「くくくっ……はははっ……」

「ちょっ……ローガン様!? なんで笑うのですか……!?」


 耐えきれないとばかりに笑い始めるローガンに、アメリアが抗議の目を向ける。


「すまない、すまない。まさかアメリアから、そんな言葉が聞けるなんて、思ってもいなくてな」


 ローガンが言うと、アメリアはむっと頬を膨らませた。


「怒っていいと言ったのは、ローガン様じゃないですか」

「ああ、その通りだ。だから、アメリアが謝る必要はない、むしろ……」


 ローガンが目元を優しげに緩ませて、手を伸ばす。


「ちゃんと怒れて、偉いぞアメリア」


 ローガンの手が、アメリアの耳に触れる。

 耳から首筋にかけて、そっと撫でられた。


 ローガンの手つきは擽ったくも心地良い。

 胸の中を暴れていた怒りの感情が、急速に鳴りを潜めていった。


 心が穏やかになってから、アメリアは言うか言うまいか逡巡していた言葉を口にする。


「理由は、それだけじゃありません……」

「ほう」

「少しでも、ローガン様の役に立ちたい、という考えもありました」

「俺の?」


 こくりと、アメリアは頷く。


「私が茶葉の読み解きで良い成績を出すことで、ローガン様の評価も上がるんじゃないかなと……」


 ローガンが微かに目を見開く。


「私が嫁いだ事もあり、お世辞にもへルンベルク家の評判は良いと言えないんじゃないかと思うところがありました。なので、読み解きで勝利することによって多少は印象が向上するんじゃないかという浅はかな目論みがあり……朝茶葉の知識には自信があったので、勝算はありひゃあうっ……!?」


 言葉が最後まで終わらなかったのは、ローガンがアメリアをそっと抱き締めたからだ。


「ロ、ローガン様……!?」

 

 突然の抱擁にアメリアは狼狽する。

 甘い匂いが鼻腔を擽り、なんの構えも出来ていなかった心が動揺する。

 

「よく、頑張ったな」


 ローガンの温もり、包み込むような安心感の中。

 労りの言葉が耳元に落ちる。

 

「今日のお茶会を通してのアメリアの振る舞い、気遣い、読み解きでも活躍、急病を患ったエドモンド夫人への対処……どれを取って見ても、素晴らしいの一言だった」

 

 愛おしげな声が、耳元に落ちる。


 身体をゆっくりと離し、両肩に手を添えて。

 アメリアの目を真っ直ぐに捉えて、ローガンは言葉を紡いだ。


「俺の婚約者として、百点満点の動きをしてくれた。改めて感謝を贈りたい。ありがとう、アメリア」


 ローガンの感謝の言葉は、アメリアの心を大きく震わせた。


 へルンベルク家に来てから、感謝を言われることが増えた。

 しかしローガンの言葉は格別で、いつも胸の奥の深いところを温かくしてくれる。


 じんわりと、瞳の奥が熱くなった。

 油断したら目尻から熱い雫が滲んでしまいそう。


 何度も瞬きをしてから、ローガンと目を見る。

 コリンヌに教わった作ったものではなく、自然な笑顔を浮かべてアメリアは言った。


「お役に立てて……何よりです」


 思い返すと、今回のお茶会はいろいろな事があった。


 うまくいった事、いかなかった事。

 ローガンは百点だと言ってくれたが、へルンベルク家の夫人になる身としては、まだまだ至らない点も多々ある。


 しかし少なくとも、このお茶会を通じて成長は実感していた。

 公爵夫人としての振る舞いはもちろんのこと、自分の心も。


 へルンベルク家にやってきた当初は、自信の欠片も持ち合わせておらず、常に周囲の視線に怯えていた。


 何かあれば私が悪いのだと自分を卑下していた。

 

 しかし今日、久しぶりに再開したエリンに侮辱され、アメリアは怒りを覚えた。

 己のプライドをかけて、自分の意志でエリンと対峙し、戦った。 

 

 運が悪ければ負けていたかもしれない状況の中、それでも良いとリスクを取ったのだ。

 自分に自信がなければ、このような真似は出来ない。


 つまりこの一連の行動は、アメリアが明確な自信をつけ始めているという何よりの証拠だった。


 その変化を実感出来ただけでも、今日は大収穫と言えよう。


「君は、いつも美しい笑顔を浮かべるな」


 どくん。

 不意に空気を震わせたローガンの言葉に、心臓が跳ねる。


「そう、でしょうか?」

「ああ。ずっと、見ていたくなる」


 ローガンの手がそっと、アメリアの頬に触れる。

 大きな掌の温もりを実感しただけで、心臓がどくどくと胸を揺らした。

 

「ローガン様」


 妙に上擦った声で、心の内を吐露する。


「私、最近おかしいんです」


 ぎゅ……。

 胸の前で、アメリアは手を握る。


「ローガン様を見ていたり、声を聞いたり、お身体に触れたりしていると……胸のあたりがざわざわして、熱くなって、落ち着かなくなると言いますか……」


 ローガンを見上げるその表情は、ぽうっと熱を帯びていた。

 自分の意思と関係なく、息が浅くなる。


 アメリアの言葉に、ローガンはただ一言だけ返した。


「……俺もだ」


 その時、がたんと馬車が揺れた。

 大きめの石を弾いたのか、決して小さくない振動が車内を揺らす。


「きゃっ」

「危ないっ」


 咄嗟に、ローガンはアメリアを庇うように動いた。

 気がつくと、アメリアは押し倒された体勢になった。


「……すまない」

「いえ……」


 言葉はそれで終わりを告げた。

 お互いの視線が交差する。


 自然と、アメリアは目を閉じた。

 言葉はもはや必要なかった。


 ローガンの手が、優しくアメリアの頭の後ろに添えられる。


 頭が座席で痛くないようにという配慮すら、身体の芯を熱くする。


 ほどなくして、少しだけ乾燥した唇がアメリアの唇に触れた。

 触れるだけで終わらなかった。


 日常生活の中でするような、触れ合う程度の口付けではない。

 欲望に身を任せ、お互いを求め合うような接吻。


 馬車の車輪が振動を拾う音、息が溢れる音、湿り気を帯びた音。

 時折、アメリアの口から艶っぽい声が漏れる。


 音はそれだけだった。

 まるでこの瞬間、馬車の中だけ世界から切り離されたかのよう。


 荒々しいキスの後、ゆっくりとローガンは顔を離す。

 唇と唇の間で、細い糸がきらりと光った。


 すっかりアメリアの息は上がっていた。

 顔はもちろんのこと、耳まで朱に染まっている。

 首筋にはじんわりと汗が滲み出ていた。


 一方のローガンも余裕を無くしていた。

 息がほのかに浅く、瞳はただ真っ直ぐアメリアに向いている。


 ……もっと、欲しいです。


 潤んだ双眸が、ローガンに訴える。

 誰かの理性の音が、ぷつんと音を立てた。


 再び、ローガンはアメリアに唇を近づけていって……。

 

 ──その時、馬車がキッと止まった。


「ローガン様、アメリア様、つきましたよー」


 リオがガラガラッと扉が開いた。

 オレンジ色の光が差し込んできて、アメリアは思わず目を瞑る。


 車内の様子──座席の上でアメリアを押し倒すローガンを目にしたリオが、ピシリと固まった。


「……ごゆっくりー」


 ピシャッ。

 再び、二人きりになった。


 しかしもはや、先ほどの空気はどこかへ霧散してしまっていた。


「…………」

「…………」


 訪れるのは、冷静になって土石流のように到来した特大の羞恥。

 先ほどとは全く種類の違う赤色が、二人の顔を染めた。


「……降りるか」

「……はい」


 まるで、先生に怒られた後の子供のように、二人はなぎこちなく身を起こすのだった。

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