第136話 アメリア、お茶会でも大活躍

(空気の異物……)


 アメリアの脳内で何かが閃いた。


(もしかして……!!)


 彼女の目が一点に焦点を合わせる。

 視界に入ったのはキーテムだった。


 先程エリンが倒してしまったもので、後に誰かが元の場所に戻したもの。


 そのキーテムを見て、アメリアの中でひとつの可能性が閃いた。


 アメリアは慌ててドレスの懐から小瓶や薬草などを取り出し始める。


「今日もドレスに収納していたのか?」

「何があるかわからないですからね、えっと……これね!」


 アメリアは一つの小瓶を手に取り、クリフに差し出した。


「これをミレーユさんに飲ませてください!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。君は医者なのか?」


 クリフが困惑の表情を浮かべる。


 流れ的にアメリアが取り出したのは薬だろう。

 それはわかるものの、クリフからするとアメリアはただの令嬢でしかない。


 医療知識もないはずの令嬢が出してきた薬を、わかりましたと妻に飲ませるのは躊躇いが生じた。


「説明は後でいたします! とにかく早く飲ませないと……!!」

「しかし……」


 未だ逡巡するクリフに、ローガンが真剣な表情で言う。


「彼女を、信じてください」


 ローガンの信頼に満ちた声を受け、クリフの心が揺らぐ。

 それから、アメリアの真剣な眼差しを見て、クリフは躊躇いを捨てる決心をした。


「ミレーユ、少し動かすぞ」


 未だ咳き込むミレーユの頭を持ち上げるクリフ。

 咳が一瞬だけ収まったタイミングで口元に小瓶を傾け、中身を少しずつ注ぎ入れる。


「どうだ……?」


 固唾を飲んでミレーユの様子を伺う。

 

 効果はすぐに現れた。


 息が途切れそうなほどの咳が、まるで魔法のように一瞬で静まる。

 ほどなくして、ミレーユの呼吸が穏やさを取り戻し始めた。


 蒼白かった彼女の顔色には次第に健康的な赤みが戻ってくる。

 周囲がその変化に息を呑んだ瞬間、クリフは声をかけた。


「大丈夫か……? 気分はどうだ?」


 こくりと、ミレーユは頷く。


「ええ……」


 自分の身に何が起こったのか理解しきれていない様子のミレーユは、それだけ呟いた。

 それだけで、クリフにとっては充分であった。


「良かった……!!」


 クリフは心底安心したように、ミレーユを優しく抱きしめた。

 瞬間、会場にいた貴族たちから歓声が上がった。

 

「ミレーユ様がご無事で良かった……!! 」

「すげえ! 何が起こったんだ!?」

「アメリア嬢が飲ませた薬で治ったように見えたぞ……!!」


 会場内は興奮と拍手で溢れ、一部の者はアメリアに尊敬の眼差しを向けた。

 一連の流れを見守っていた人々の中には、アメリアが渡した薬によってミレーユが回復したと理解した者もいたようだった。


(良かった……本当に……)


 アメリアは心からの安堵をしていた。

 もし自分が何もせずに見過ごしていたら、下手するとミレーユは呼吸困難で命に関わっていたかもしれない。


 そんな想像をするだけで、背筋が冷える。

 万が一のために常備している薬の中に、彼女を救えるものがあって良かったと心底ほっとした。


「一体、なんの薬だったのかね?」


 クリフがアメリアに尋ねる。


「アレルギー性の咳を抑える薬です」

「あれる……なんだって?」

「アレルギー……えっと、特定の物質に対して体が過敏に反応してしまう事です。猫の毛を吸い込んだら咳が止まらない、目が赤くなるとか……」

「なるほど……確かにうちの使用人の中でも、エビを食べると発疹が出てしまう者がいるな」

「そうですそうです。ミレーユさんに飲んで頂いたのは、そういったアレルギーの症状を抑える薬です」


 アメリアは続ける。


「今回のケースでは、空気中に漂う花粉が原因だったと思われます」

「花粉?」

「はい。キーテムの花から放出された花粉に、ミレーユさんがアレルギー反応を起こしたのだと思います。おそらくですが……」


 ここでアメリアは言葉を切って、言いづらそうに言葉を口にした。


「エリンがキーレムを倒した時に花粉が舞い上がって、それがミレーユさんの症状をひどくしたのかと……」

「またエリン嬢か……」


 ローガンが頭を押さえる。

 本当にいらんことばかりをしてくれるなと、呆れ果てている様子だった。


「なるほど、納得したわ……」


 クリフの腕の中で、ミレーユは言う。


「確かに、キーテムが花開く季節になると、鼻がむずむずしていたのよ」

「アレルギーは特定の物質を一定量摂取すると発症しやすいと言われているので……今回はそれが、キーテムの花粉だったのですね」


 先ほどからすらすらと解説をするアメリアに、クリフは尋ねる。


「アメリア嬢は……医者か何かなのかね?」

「あっ……」


 アメリアは気づく。

 周囲が、自身の持つ知識の根拠を不思議がっていることを。

 

 そもそもただの令嬢は医学に関する知識など持っていない。

 ましてやアメリアは、読み書きもロクに出来ないだの、無能だの散々の評判を持つ、教養とは程遠い存在のはずだ。


 にも関わらず、専門家顔負けの知識を披露し、実際にミレーユを回復してみせたアメリアに、その場にいた貴族たちは少なからず畏怖を覚えていた。


 アメリアの返答を、クリフを含め貴族たちが注目している。


「えっと、その……」


 アメリアは返答に困っていた。


 この知識は全部独学で身につけたもので、薬も自分で調合したものですと、ついこの間までなら答えていただろう。

 聞かれたから、正直に答えたといった具合に。


 しかし今その返答をするのはまずいとアメリアは理解していた。


 アメリアの持つ凄まじい薬学、医学知識については秘匿すると、ウィリアムと話をしたばかりだからだ。

 先ほどはミレーユを治すことに必死で頭からすっぽ抜けていたが、終わってみると自分の行動は迂闊だったとしか言いようがない。


(どうしよう……)


 こうなった以上は誤魔化すしかないのだが、良い内容が思い浮かばず口を開けないでいると。


「俺がアメリアに教えたんです」


 状況を冷静に察していたローガンが、堂々とした素振りで口を開く。

 人々の目がローガンに集まった。


「へルンベルク家の人間になる以上、様々な教養を身につけておかなければいけません。婚約者であるアメリアには、基本的な読み方はもちろんのこと、数学や古典、化学、そして医学的な知識も家庭教師をつけて教えています」

「つまりローガンの教育の賜物か」

「まだまだ学ぶことは多いですがね」


 あくまでも教えている側だとばかりに、ローガンは余裕気な笑みを浮かべる。


「アメリア嬢が薬を持っていたのも、その一環かね?」

「ああ、それは……」


 頬を掻き、逡巡のそぶりを見せてからローガンは言う。


「我がヘルンベルク家の調薬師が作った薬を、応急処置品としてアメリアに持たせているのです」

「なるほど、心配性なんだな」

「婚約者にもしものことがあっては遅いので」


 ローガンの説明に、周囲の貴族たちはクリフを含め納得したようだった。


「そういうことだったのか……」

「流石、『知の巨人』と名高いヘルンベルク家」

「婚約者への教育も万全とはな」

「万が一のために薬まで持たされてるって……」

「アメリア嬢、愛されてるな」


 雰囲気が一変し、賞賛の声がローガンに集まる。

 会話の中心が自分からローガンにそれたことで、アメリアは胸を撫で下ろした。


 ローガンにしか聞こえないよう、ほんの小さな声でアメリアは言う。


「ありがとうございます」

「どうってことない」


 ローガンも、アメリアだけ聞こえる声量で答えた。

 その後、ミレーユがアメリアの元に来て、感謝の言葉を述べた。


「アメリアさん、本当にありがとうございました」


 すっかり回復したミレーユが立ち上がって、頭を深々と下げて感謝の言葉を口にする。


「おかげで妻が助かった。本当に、感謝しても仕切れない」


 クリフも加わり、妻を助けてくれたことに深く感謝の意を示した。


「いえいえ、どういたしまして。お役に立てて嬉しいです」


 アメリアが優雅な笑顔を浮かべ、空気は一層和やかになったのだった。


 お茶会はその後、ゆっくりとお開きになった。

 夕暮れが近づき良い時間になったのと、ミレーユの体調も考慮してのことだった。


 貴族たちは名残惜しそうにしながらも、満足した様子で会場を後にしていた。


 お茶会の時間は当初より短くなったものの、なかなか濃い時間を過ごしたと彼女たちは感じているのだろう。


 今まで醜穢令嬢として悪い噂しかなかったアメリアが、妹エリンとの読み解き対決に勝利した。

 それに付随するエリンの大暴走に加え、急な体調不良に見舞われた夫人を的確な処置によって助けたという、イベント盛りだくさんなお茶会だった。


 それらの事実は貴族たちの中に強い印象として刻まれた。


 この出来事は後日、話に尾ひれはひれがついて、アメリアの評価の上昇と、リンの評判の失墜という形で、社交界を駆け巡るのだった。

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