第134話 ローガンの怒り

「制裁を与えないといけないのはどっちだ、このインチキ女」


 決して怒鳴っているわけでもないが、ローガンの声は確かな芯を持って会場に響いた。


 ローガンの言葉を聞いて、エリンの喉が「ひうっ」と変な音を発する。


 しかしすぐに、エリンは表情を戻してローガンに食ってかかった。


「わ、私が不正をしたと仰いますの?」

「心当たりはないのか?」

「言いがかりは止めてください! ハグル家の名誉に誓って、私は不正などしていません!」

「そうか、じゃあ……」


 スッと、ローガンが観客席の方を指差す。


「あの使用人にも見覚えがない、という事だな?」


 ローガンの人差し指の先には──リオに拘束された、一人の侍女がいた。

 侍女は顔面蒼白で俯き、ガタガタと震えている。


 そんな侍女を見て、エリンの表情に明らかな動揺が滲んだ。


 リオが事務的に侍女を連れて来て言う。


「ローガン様の言う通り、出て来ましたよ。エリン嬢から話は聞いているとブラフを出したら一発でした」

 

 侍女は合わせる顔がないとばかりにミレーユの方を向き、「申し訳ございません……ミレーユ様……」と謝罪の言葉を口にして続ける。


「最初、お金で渡されて、解答を教えろと言われて……断ったのですが、教えないと家族がどうなっても知らないと脅されて……本当に本当に申し訳ございません……!!」


 侍女の告発を聞いて、ミレーユは頭を抑え倒れそうになっていた。

 由緒あるエドモンド家のお茶会にて、運営側が出場者に買収されていたなどと大恥も良いところである。

 

「買収は予想していたが、家族まで持ち出して脅すとは。不正を超えて犯罪だぞ」


 ローガンは呆れたようにため息をつく。

 どうしてバレたのかと表情を歪ませるエリンにローガンは言う。


「お前の思考を辿れば想像に容易い。アメリアと勝負する以上、必ずお前は必ず勝ちたいと思うはず。そうなると、取る手段は解答を知る者の買収」


 淡々とローガンは続ける。


「アメリアが勝利した時点での怒りようを見て確信した。だから従者のリオに運営スタッフにアプローチして貰い、買収された人物を炙り出した、というわけだ」

「流石の推理です」


恭しく、リオが頭を下げた。


「わ、私が紅茶に詳しい可能性もあるじゃないですかっ」


 この流れはまずいとエリンは言い返す。

 しかし、ローガンはあくまでも冷静であった。


「お前と仲の良い令嬢に話を聞いた。だが、エリン嬢が紅茶に詳しいと言う者は一人もいなかったぞ」


 ギンッと、エリンは観客席の方を見る。

 イザベルを初めとした取り巻きの令嬢たちが目を逸らした。


 万が一の事態に備え、エリンの関係が深い令嬢をローガンは把握していた。

 それを元に、事前に来るであろう反論を想定して聞いたのだろう。


(す、ごい……)


 一切の反論の隙を与えないローガンの背中を、アメリアは尊敬の眼差しで見つめている。

 メリサの時もどうだったが、理屈勝負になった時のローガンは強い。


 改めて、ローガンの聡明さに感嘆するアメリアであった。


「どうだ? これでもまだ認めないと言うのか?」


 逃げ場はないぞとばかりにローガンが迫る。


「知らない知らない知らない!! インチキなんて私はしてない! 誰か私を嵌めようとしているの! 絶対にそうに違いないんだから!!」


 まるで私が被害者とばかりに、エリンは大声で主張した。


「諦めの悪いやつだ……」


 怒りを通り越して呆れる果てた様子のローガンが次の一手を打とうとした時。


「それでは、提案なのですけど」


 今まで静観していたミレーユが、一歩踏み出して言った。


「真偽をはっきりさせるためにも、エリンさんには再度簡単な茶葉の読み解きをやって貰うのはどうでしょう?」

「ほう」


 興味深いとばかりにローガンが頷く。


「今から10杯の紅茶を作ります。その中に、2問目に出した紅茶、オータム・エクリプスを入れておきます。その中から見事、どれがオータム・エクリプス当てる事ができれば、不正の件はなかったことにしましょう」

「じゅ、10杯……!? 」


 エリンが仰天する。


「む、無理ですよ……!! 10杯なんて……」

「何故ですか? 世界に数多ある紅茶の中から見事オータム・エクリプスと特定したその知識と舌があれば、10杯の紅茶の中から当てることなんて造作もないことでしょう?」


 至極真っ当な正論をぶつけられて、エリンは言葉を呑む。


「本当に、オータムエクリプスの味を知っていれば、ですけど」


 最後にミレーユは、そう付け加えた。

 次の語を告げられず、口を開いたり閉じたりするエリンの目を見て、ミレーユは言う。


「エリンさんが何を言おうと、やって頂くつもりです。これは信用問題なんですよ。我がエドモンド家のお茶会を目一杯楽しんで貰おうと企画したイベントで、不正が行われたかもしれない。その真偽をはっきりさせなければいけません」


 一連の様子から、ミレーユはエリンの不正を確信しているのだろう。

 故に、ミレーユの声には確かな怒りが込められていた。


 多くの観客がいる前で、不正が行われたかどうかの点はハッキリさせなければならない。

 読み解きを主宰した者としての義務感をミレーユは抱いていた。


 そんな強い意志の籠った瞳を向けられたエリンの顔が、ついに逃げ場を失ったように歪む。

 過呼吸にでもなったように、エリンの息が浅くなっていた。


「ミレーユ夫人が聞いているだろう。どうなんだ、エリン嬢?」


 鋭い口調でローガンが

 エリンは顔を伏せ、観念したとばかりに肩を震わせていたが……。


「……くない」


 ダン!!

 床を思い切り踏みつけて、エリンは叫んだ。


「私は!! 悪くない!! 悪くないんだから!!」


 長い髪を振り乱し、エリンは叫ぶ。

 その姿はまさしく、自分の思い通りにならない事に癇癪を起こす子供のようだった。


「不正を認める、という事ですね」

「ええそうよ! したわ! でもそれがなんだって言うの!」


 開き直り前回の叫びに、これは大失態とばかりにミレーユは息をついた。

 エリンが不正を認めた事によって、観客たちがざわつき始める。


「おいおい、マジかよ……」

「ハグル家の顔に泥を塗ったどころの騒ぎじゃないぞ」

「エリンちゃん、ちょっと良いかなって俺思ってたんだけどな……」

「エリン様……流石の私も見損なってしまいましたわ……」


 侮蔑を孕んだ冷たい視線がエリンに突き刺さる。

 非難の言葉が溢れ、空気を震わせる。


 その一言が耳に入ってくるたびに、エリンの自尊心を深く傷つけていった。


「何よ何よ何よ!! みんなして私を虐めて!! 私はハグル伯爵家の娘よ! こんなことして良いと思ってるの!?」

 

 もはやすっかり理性を失い滅茶苦茶なことを叫ぶエリンが、キッとアメリアを睨みつける。


「元はと言えばお姉様が全部悪いのよ! 出来損ないのくせに! 私より下のくせに! 醜穢令嬢のくせに! 私より上だなんて、そんなのあり得な……」

「おい!!」

 

 エリンのヒステリックな叫びを、ローガンの一喝が切り裂いた。

 普段のローガンからは考えられないほどの大声。


 そのあまりの剣幕に、エリンはビクッと肩を震わせ一歩後ずさる。


「言っただろう、俺の婚約者を侮辱するような真似は許さないと!」

 

 怒りに染まった形相で、ローガンはエリンを睨みつける。

 それでも負けじと、エリンは言い返そうとした。


 しかし、鋭いナイフを首筋に突きつけられたかのようなローガンの眼圧と、周りが自分に向けている視線に少しだけ冷静になったのか、開けていた口をついに閉ざしてしまう。


 自分はいち伯爵家の娘でしかないのに、公爵家の当主の婚約者への侮蔑した。

 加えて、エドモンド家主催のイベントで不正も働いている。

 

 へルンベルク家、エドモンド家両方からの賠償金は免れない。

 その上エリンは、多くの貴族たちがいる目の前で醜態を晒してしまっている。


 この時点で、ハグル家の評判は地の底まで墜落した。

 取り返しのつかないほどの大失態だという現実を、ようやく認識したのだ。


 ここで更なる反抗に打って出るのは悪手を重ねるだけだと、エリンに残った最後の理性が忠告する。


「気分が悪いわ! もう帰る!!」


 考えた末にエリンが導き出したのは、この場からの逃走。

 このままいたところでミレーユには退場を言い渡されるだろうから、ある種は合理的な判断といえよう。


「エリン・ハグル!!」

 

 背を向け会場を後にしようとするエリンに、ローガンが叫ぶ。


「次は賠償金じゃ済まないと思え」


 底冷えする声にエリンは肩を震わせたが、振り向くことなくズンズンと歩き始める。

 私は悪くないと言わんばかりの態度であった。


「不愉快よ! 二度と来ないわ!」


 腹いせとばかりに、エリンは会場の彩りで設置された植物、キーテムを殴りつけた。

 

「ああ! キーテムちゃん!」

 

 アメリアの叫び虚しく、キーテムは鉢ごと倒れてしまう。

 後には未だ怒りが収まらない様子のローガンと、どうしたものかと疲弊した様子のミレーユ。


 また予想外の結末にどよめく観客たちが残されたのだった。

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