第130話 炎

 お茶会の時間はゆったりと流れていった。


 アメリアとローガンは紅茶をのんびりと楽しんでいたが、その間、席に訪れてくる者はいなかった。


 時折、こちらに視線を寄越しながらひそひそ話をするグループはいたが、実際に話しかけてくる気配はない。


(やっぱり……浮くわよね……)


 片や醜穢令嬢、片や暴虐公爵。

 長い時間をかけて社交界に根付いた悪い噂が、彼彼女らの間に分厚い壁を作っていた。


 ちくりと、アメリアの胸に痛みが走る。


 自分の悪い噂によってローガンも被害を被っているのではないか。

 自分がいることによって、ローガンと話をしたい貴族が寄って来れないのではと考えていた。


 二杯目の紅茶を口につけている時にアメリアは尋ねた。


「ローガン様は、挨拶に回らなくても大丈夫なのですか?」


 主催のクリフに挨拶をして以降、エリンが絡んできたのを除外すれば、他の貴族と会話をしていない。

 ずっと社交の場に顔を出していない自分はともかく、ローガンは話すべき相手がいるのではとアメリアは考えた。


 アメリアの質問に、ローガンはふっと鼻を鳴らし、自嘲気味に尋ね返す。


「俺がそんなに社交的に見えるか?」

「好んで人と関わるタイプでは無さそうです」

「そういうことだ」

「でも、どなたかいらっしゃるのでは?」

「いるにはいるが、俺からわざわざ声を掛ける必要性は無い」


 カップを置いて、アメリアの目を真っ直ぐ見つめてからローガンは言う。


「アメリアとの時間が、何よりも大切だからな」

「ま、またローガン様は、私を惑わすような言葉を……」

「困った顔も可愛いな」


 そう言って、ローガンが身を乗り出す。

 すっと、大きな親指がアメリアの頬に触れた。


「もう……ローガン様、意地悪です」

「すまないな、揶揄い過ぎた」


 小さく笑みを浮かべて、ローガンは自分の席に戻った。

 それから何事もなかったように紅茶を一口含んで言う。


「とにかく、心配する必要はない。向こうから話を振ってこない限り、俺は……」 

「おお! ローガンじゃないか、来てたのか」

「……噂をすればなんとやらか」


 この声はあまり聞きたくなかったとばかりに、ローガンはため息をついた。


 歳はローガンと同じくらいだろうか。

 濃い灰色の髪を綺麗に後ろに撫でつけている。

 柔和そうな目をしているが、よく見ると瞳の奥には知性と計算高さを窺わせた。


「急に声をかけるな、エリク。ただでさえお前の声は大きいんだから」

「すまない、すまない。まさかこんな場所で会えるとは想っていなかったから」

「招待名簿に名前があっただろう」

「お前の招待名簿の信用度は“行けたら行く”くらいなんだよ。最後に会ったのは何年前だ?」

「二年前の、カイドで行われた夜会だな」

「ああ、そうだそうだ! もうあれから二年も経つのか、懐かしいな」


 しみじみと頷くエリク。

 やり取りを見たところ、ローガンとは旧知の仲のようだった。


(二年前……そういえば、私のデビュタントも……)


 アメリアが思い返していると、エリクと視線があった。


「そういや、婚約者が出来たんだってな」


 胸に手を当てて、エリクは恭しく頭を下げる。


「初めまして、ノルドー侯爵家の長男、エリクと言います。ローガンとは貴族学校で一緒でした」


 紹介を受けて、アメリアはゆっくりと立ち上がる。


「お初にお目にかかります。ローガン様の婚約者、アメリアと申します。ローガン様のご学友とお会いできたことを、心から嬉しく思います」


 淑女の礼をしながら言うアメリアを見て、エリクは面白いものを見ているかのように顎を撫でながら。


「なるほど。お前が好きそうな子だな」

「エリク、本題に入れ。まさか世間話をするために来たわけじゃないだろう?」


 ローガンの問いに、エリクは何のことだと言わんばかりに肩を竦める。


「とぼけるな。お前が俺に話しかける時は、決まって何かトラブルを抱えている」

「流石! 話が早くて助かるよ」


 先程までの軽いノリに、微かな緊張を纏わせてエリクは言う。


「うちの領地運営に関して、少し込み入った話がしたくてな」

「また資金繰りに困っているのか」

「町に新しく遊技場をオープンさせたんだが、思った以上に収益が悪いんだ。目安箱には散々、娯楽施設が欲しいと言っておいて、いざ作ったら金は払わないと来ている」

「娯楽事業への投資はほどほどにしろとあれほど……」

「まあまあ、そこでローガンの頭脳の出番って訳さ」


 ぽんぽんと、エリクはローガンの肩を叩く。

 ローガンは盛大にため息をついた。


「他力本願にも程があるだろう。生憎、今俺は……」


 ちらりと、ローガンはアメリアに視線を向ける。

 ローガンの言わんとしていることを察したアメリアは、控えめな笑顔を浮かべて口を開いた。


「私のことは大丈夫ですよ。どうぞ遠慮なくお話してきてください」

「だが……」


 にこりと、アメリアは笑顔を浮かべる。

 気にしないでくださいというアメリアの内心を汲み取ったローガンは、少し離れた位置で見守るリオに目を向ける。


「いかがなされましたか?」


 ローガンの視線に気づき、リオがやって来る。


「しばらく俺は席を離れる。その間、アメリアを頼む」

「承知いたしました」


 エリクに向き直って、ローガンは言った。


「少しだけだぞ」

「流石ローガン! 持つべきは親身な友人だね」


 こうして、ローガンはエリクと共に席を離れたのであった。


◇◇◇


「ごめんね、手間をかけさせてしまって」


 ローガンの代わりにそばに控えてくれているリオにアメリアは言う。


「お気になさらず。任務ですので」


 相変わらず、リオはクールな調子で言う。

 主人に似たのか、元々の気質がそうなのか、リオは相変わらず仕事に対してドがつくほど真面目である。


「ねえ、リオ」

「はい」


 カップをテーブルに置いて、アメリアは尋ねる。


「最近のローガン様は、特に変わりはない?」


 ローガンは、あまり自分のことを語らない。

 他の人からすると、ローガンはどう映っているのかが気になった。


「ローガン様ですか? そうですね……」


 顎に手を添えてから、リオは言う。


「角が取れた……気はします」

「角……?」

「はい。失礼ながら、その……ローガン様は、ちょっと棘があるじゃないですか」

「え、ええ……そうね」


 あの鋭い視線といい、物言いといい。

 初めて会った人からすると、ローガンにはキツい印象を持つ者も多いだろう。


「それが、最近は物腰が柔らかくなったといいますか。以前に比べて、感情の機微が増えたように思えます」

「あっ、確かに! それはわかるわ」


 当初出会った頃に比べると、随分とローガンの笑顔を見る回数が増えたように感じる。

 どこか刺々しかった雰囲気も、今や柔らかく、穏やかさを纏っていた。


「何か、良いことでもあったのかな」


 アメリアが言うと、リオはぱちぱちと目を瞬かせた。


「それ、本気で言ってます?」

「え?」


 なんのこと?

 とばかりに小首を倒すアメリアに、リオは額を抑えて。


「そうか、そうでした……アメリア様は、そういう人でしたね」

「わ、私また、何か変なこと言っちゃったかしら?」

「いえ、別に。アメリア様はそのままが一番良いですよ」


 控えめに口角を持ち上げて言うリオに、アメリアは再び首を傾げるのだった。


「教えてくれてありがとうね、リオ」

「どういたしまして。といっても、そんな大層なことは言っていませんが……」

「あ、そうだ! リオって、紅茶は好き?」

「ええ、まあ。たまに飲むくらいですが」

「渋めが好き? それとも甘め?」

「渋い方が過ぎですね。」

「じゃあ、今度淹れてあげる!」


 任せてっと、握り拳を作る。

 再びリオは目を丸くした。


「つくづく、アメリア様は変わっていますね」


 たかが一使用人に紅茶を振る舞う令嬢がどこにいるのか。

 少なくとも、リオの記憶には存在しなかった。


「そ、そうかしら……?」

「はい、でも……ずっとそのままでいてくださいね」

「よくわからないですが、わかりました?」

「紅茶、楽しみにしております」


 そんなやりとりをリオとしていると。


 会場の真ん中付近で、何かに引き寄せられるように人だかりが出来ていた。

 観衆の間からは時折興奮した声や、期待に胸を膨らませるささやきが漏れ聞こえてくる。

 何か、特別な催しが開催されているようだった。


「あれは?」

「ああ、茶葉の読み解きですね」

「茶葉の読み解き……?」

「はい。実際に紅茶を飲んでみて、なんの茶葉が使われているのかを競う遊びだったかと」

「へええ、そんな催し物があるのですね」


 生まれて初めて聞くイベントに、アメリアが新鮮味を感じていると。


「せっかくですので、お姉様も参加してみてはいかがですか?」


 首筋にナイフを押し当てるような声が、アメリアの鼓膜を震わせる。

 

「エリン……」


 振り向くと、どこか清々した笑顔でエリンが立っていた。


(あれ……さっきと違う扇子……?)


 そんなことに気づくアメリアに、エリンは続ける。


「私と一戦お願いできません? せっかくの催し物ですし」


 白々しい笑顔を貼り付けて言うエリンに、すかさずリオがアメリアの前に割って入った。


「申し訳ございません。失礼ですが、これ以上はご遠慮いただけますか?」


 リオに咎められ、エリンはムッとする。


「失礼なのはどっち? 貴方、使用人の癖に出しゃばりすぎでは?」


 他家とはいえ、使用人は所詮使用人だ。

 アメリアと同じく、下に見て良い存在だとエリンは考えている。


 リオは少しだけ眉をぴくりとさせつつも、冷静な表情のまま淡々と言った。


「ローガン様から、自分の不在の間は何人たりともアメリア様に近づけるなと指示されておりますので」


 エリンを毅然と見据え、リオは冷たく言い放つ。


「特に、アメリア様の血縁者の方には」


 リオはリオで、ローガンからアメリアの家族のことを伝えられているのだろう。

 このお茶会においても、エリンをアメリアに近づけるなと厳に言い聞かせられているはずだ。


 明確な敵意の篭った瞳を向けられて、エリンは眉間に皺を寄せる。

 しばしリオと睨み合っていたが、やがて根負けしたように。


「そこまで言うのでしたら、良いですわ」


 心底ガッカリしたようなため息をつき、エリンはアメリアの方を見る。


「でも残念。お姉様はよく植物と戯れておりましたから、茶葉の読み解きくらいお手のものだと思っていましたのに」


 期待はずれと言わんばかりの言葉が、アメリアの胸にモヤリとした不快感を生じさせる。


「とはいえ、仕方がないですわね。お姉様に、勝負事に挑む度胸があると思い込んだ私が間違っていましたわ」

 

 明らかな挑発とわかっていつつも、胸のモヤが一層大きくなる。

 アメリア自身、図星なところもあって何も言い返せないからだ。


(今までの私だったら、逃げの一択だったけど……)


 胸のモヤは芯を伴った炎に変わり、アメリアに行動力をもたらした。


「エリン嬢、流石に失礼が……」

「やります」


 真っ直ぐエリンを見て、アメリアは言う。


「やらせてください」


(ここで逃げたら……ダメな気がする)


 このタイミングでアメリアが承諾すると思っていなかったのか、エリンはしばし目を瞬かせる。

 しかしやがて、ニヤリと笑って。


「そう来なくっちゃ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る