第131話 茶葉の読み解き
茶葉の読み解きとは、出された紅茶を飲んで、その中に使われている茶葉の種類を当てるゲームだ。
参加者は戦いたい相手と1対1で対決する形式で、出される問題は3問。
制限時間は各問題に対して3分。
より多くの人に参加してもらうべく回転率を重視しているため、片方が間違えた時点で正解した方が勝利、どちらも間違えた場合は引き分けとなる。
「……以上が、茶葉の読み解きのルールとなります!」
司会によるルール説明が終わると、アメリアの背中に緊張が走った。
アメリアは大きなテーブルに座っており、隣にはエリンが座っている。
テーブルの正面は簡易的な柵を隔てて観客の立ち見席が並び、多くの貴族たちがこの勝負に興味津々の様子で見守っていた。
(ううっ……勢いで承諾しちゃったけど……緊張するわね……)
なるべく表情を崩さないようにしつつも、貴族たちの視線を受け生きた心地のしないアメリアだった。
「おい、あれって……」
「ハグル伯爵家のエリン様と……醜穢令嬢?」
「確か、あの二人は姉妹だったような……」
観客席これから始める勝負の期待によって大盛り上がり……というよりも、アメリアの参加を訝しむ声が多かった。
そんな中、明らかに温度の違う声を上げながら近づいてくる男が一人。
「すまないっ、ちょっと通してくれ……!!」
人だかりを掻き分けて、ローガンが観客席のまん前までやってきた。
ローガンは額に汗を浮かべて明らかに慌てた様子だった。
リオから事情を聞いて、大慌てでやってきたのだろう。
そんなローガンと目が合った。
ローガンの目は(なぜこんなことを?)と語っていた。
アメリアは(勝手なことしてごめんなさい)の意味を込めてペコリと頭を下げた後。
(私の意思なので、心配しないでください。)
と、安心させるように微笑んだ。
そんなアメリアの内心を汲み取ったのか、ローガンは表情から焦りを取り除く。
それから、真剣な面持ちで口を動かした。
(がんばれ)
声は聞こえなかったが、口の動きはそう語っていた。
それは、ローガンがアメリアの意思を尊重した証拠だった。
ローガンからの無言のエールに対し、アメリアは微かに口元を綻ばせてから。
(はい)
同じく、肯定のジェスチャーを口にするのだった。
◇◇◇
(ふふっ……まんまと話に乗ってきたわね)
司会のルール説明を聞きながら、エリンは内心でほくそ笑んだ。
茶葉の読み解きこそ、アメリアに赤っ恥をかかせるチャンスだとエリンは踏んでいた。
(確かに、お姉様は植物をよく戯れていたけど……)
記憶の限り、アメリアはお茶会や夜会に参加していない。
実家でも紅茶を飲める機会が皆無だったことはエリンはよく知っている。
つまり、アメリアは紅茶の知識を持っていない。
しかも、エドモンド家が主催する茶葉の読み解きは非常に難問だ。
その難易度は紅茶好きの令嬢の間でたびたび話題に上がるほど。
エリンも去年、エドモンド家のお茶会に参加し茶葉の読み解きを観戦していたが、全問正解できた者はいなかった。
そんな問題に対し、紅茶への造詣が足首くらいの浅さのアメリアが太刀打ちできる訳がないのだ。
対するエリンは数多くの茶会に出席にし、仲間の令嬢たちとの会話をする中で人並み程度には紅茶の味を知っている。
少しマイナーな紅茶を出されても解答できる自信はあった。
とはいえ、専門家ほど紅茶に詳しいわけではないし、今回挑むのは難問と名高いエドモンド家の読み解きだ。
……だからこそ、エリンは裏工作を打っていた。
アメリアに勝負の話を持っていく前に、問題を出題するエドモンド家の使用人を賄賂で買収し、二問目までなんの紅茶が出されるかの情報を仕入れていたのだ。
いくらアメリアが紅茶の知識がないとはいえ、一問目はまぐれで当たるかもしれない。
だから念を入れて、二問目までの解答をエリンは購入した。
(それにしてもあの侍女、小心者の癖になかなか折れなかったわね……出来れば余計な出費は抑えたのに……)
忌々しそうにエリンは舌打ちする。
買収した侍女は当初、エリンに解答を教えることを断固拒否をしていた。
やはり公爵家の侍女ということで優秀なのだろう。
とはいえやはり人の子。
欲望には抗えず、庶民だと一年は遊んで暮らせる額の賄賂で侍女は解答を教えてくれた。
お陰で想定の何倍もの賄賂を払うことになったが、アメリアに勝利するための必要経費と思えば目を瞑るしか無い。
本当は三問目まで解答を知りたかったが、最終問題はこの茶会の主催者の妻ミレーユ直々に出すためそれは叶わなかった。
しかしエリンはアメリアに勝つことが目的だ。
運が良くてもアメリアは二問目で外すに違いないから、最終問題の答えには興味が無い。
……という経緯があって、エリンは自分の勝利を信じて疑わなかった。
大人数の聴衆の前で敗北させて、大恥をかかせる。
元々評判の悪いアメリアに向けられる目は冷ややかなものに違いない。
(それに比べて、私の評判は上昇間違いなしね)
流石はエリン様だと、ハグル家の令嬢といえばエリンだよなと、自分を称賛する声が頭の中で沸き起こる。
対してアメリアは俯き、悔しげに顔を歪ませながら涙を溢し、ぷるぷると震えるのだ。
嗚呼、今想像してもなんと気持ちの良い光景だろうか。
(ふふ、お馬鹿なお姉様……)
どうせ、安易な挑発に感情的になって勝負を受けてしまったのだろう。
今頃、内心で焦っているに違いないとエリンは確信していた。
(妙に落ち着いているのは気に食わないけど……)
そこだけは引っかかりは覚えていたが、杞憂に過ぎないだろう。
これから起こるであろうショーを想像して、エリンはニヤニヤを抑え込むのに必死だった。
「さあ、いよいよ第一問目です!」
司会の声に合わせて、侍女が二人の目の前に紅茶を置く。
ほのかに甘く芳醇な香りが漂ってきてエリンの頭の中にある紅茶の名前が浮かんだ。
流石エドモンド家の読み解きとあってマイナーな銘柄だが、ギリギリエリンの記憶の中にあった。
そしてその名前は買収した侍女に教えて貰った茶葉と同じで、エリンはそっとほくそ笑む。
「あ、これは……」
隣でアメリアが漏らす声は、エリンには聞こえていなかった。
「それでは、お飲みください!」
司会の指示で、エリンはカップに口をつける。
細やかな渋みが舌を刺激し、その後に微かなバニラめいた甘い味わいが広がる。
まるで秋の収穫を思わせるような、豊かで暖かみのある味だった。
(ふふ、余裕余裕……)
事前に解答を知っていることもあり、エリンの心は軽やかだ。
怪しまれない程度に飲んでから、事前に渡された大きな紙に解答を記載しようとすると。
「おっとアメリア様、紅茶に口をつけずにもう解答を書き始めた! 香りだけでわかったというのでしょうか!?」
(……!?)
司会の言葉に、思わずエリンは横を見る。
アメリアのカップは全く量が減っていなかった。
にもか買わず、アメリアはさらさらと迷いない手つきで解答を書いていた。
解答を書いた紙を伏せた後、念のためとばかりに紅茶を口にするアメリア。
アメリアはどこかホッとした後、結局解答を変えることはなかった。
(くっ……馬鹿にしているの……!?)
ガリガリと、エリンは乱暴な手つきで解答を紙に書いた。
「それでは、解答をどうぞ!」
アメリアとエリンは同時に、解答の紙を表に向ける。
「アメリア様、オータム・エクリプス……エリン様、オータム・エクリプス……両者とも正解です!」
おおっと、会場からどよめきが起こった。
ぱちぱちと、何人かは賞賛の拍手を送っている。
しかしその中で上がるとある声を、エリンは聞き逃さなかった。
「すげえ……アメリア嬢のほう、香りだけで当ててたぞ……」
「オータム・エクリプスって、結構マイナーな紅茶よね?」
「俺も名前だけ聞いたことあるくらいだな」
「アメリア嬢、紅茶にお詳しいのかしら?」
アメリアの方に上向きな視線が注がれている。
自分ではなく、アメリアの方に。
その事実が、エリンのプライドを少なからず傷つけた。
(くっ……まぐれよ……まぐれに違いないわ!)
そう自分に言い聞かせるも、エリンの首筋には汗が滲んでいる。
まぐれとはいえ、アメリアが一問目を見事正解させたことに、エリンは少なからず動揺していた。
そんなエリンをよそに司会が解説をする。
「オータム・エクリプスは決してマイナーな茶葉ではないですが、風味が「ミストバニラ」と非常に似ていることで有名です! 実際、この二つの紅茶を区別するのは茶葉の知識が深くないと難しいところがあるでしょう。今回の問題は、その点を試す引っ掛けの意図があったわけですが、二人とも、見事正解しました!」
司会の解説に、会場の盛り上がりはさらに大きくなった。
「お見事ですエリン様―!」
「次も頑張ってくださいましー!」
観客席からイザベル達取り巻きが声を張って応援してくる。
「え、ええっ……当然よ!」
フンッと胸を張るエリンの傍ら、アメリアは「良かった……」と安堵の息をついていた。
なんとも対照的な姉妹である。
「では、第二問目です!」
司会の声が響き渡る中、侍女が二人の前に新しい紅茶を置く。
今度の香りは先ほどとは全く異なっていた。
微かなスパイスの香りが混じり合った、エリンにとっては初めて嗅ぐものだった。
「これは……」
隣でアメリアは顎に手を当てて深く考え込んでいる。
しかしやがて「多分これかな……」と、また飲むことなく解答を書き始めた。
「おっとアメリア様、また紅茶に口をつけずに解答を書き始めた!」
会場がざわつく。
一方、エリンの反応は冷ややかなものだった。
(ふん、白々しい。わからないからって、自暴自棄になったわね)
一問目の正解に満足して、戦いを放棄したのだろうとエリンは判断した。
二問目は一問目よりも明らかに難易度が跳ね上がっている。
アメリアが答えられる訳がないと、エリンは自身の勝利を確信していた。
「さあ、お飲みください!」
司会の掛け声でカップを手に取り、エリンはゆっくりと紅茶を飲む。
舌の上で広がるは、スパイスとハーブの複雑な味わい。
やはり、エリンが飲んだことのない紅茶だった。
しかし、この紅茶の名前も、エリンは侍女から聞いている。
その安心感が、エリンに余裕をもたらしていた。
(危なかったわ……)
紙に解答を書きながら、エリンは安堵する。
まだ結果が出ていないにも関わらず、エリンは一足先に勝利の余韻に浸っていた。
──だから、気づかなかった。
念のため紅茶を飲んだアメリアが小さく、「やっぱり……」と呟き、結局解答を変えなかったことに。
「それでは、解答をどうぞ」
(私の勝ちよ、お姉様!)
意気揚々と解答用紙を表に向けるエリン。
同時にアメリアは控えめな様子で紙を表に向けて……。
「アメリア様、ミッドナイト・サファイア……エリン様、ミッドナイト・サファイア……お見事! 両者とも正解です!」
おおおっと、一問目よりも大きな歓声が沸き起こった。
(そんな……嘘……!! あり得ない……!!)
紅茶に関してはど素人のはずのアメリアが、二問目も当ててしまった。
そんなはずがない、あって良いはずかないと、エリンは必死に現実を否定しようとした。
アメリアが実力で二問とも正解を勝ち取ったなどと、認めるわけにはいかなかった。
そんな胸襟に陥るエリンをよそに、司会が無常な言葉を並べる。
「ミッドナイト・サファイアは、深夜に収穫されることで知られる極めて稀少な茶葉です。一年に一度、特定の満月の夜にのみ収穫され、その独特な香りと味わいは紅茶愛好家の間でも伝説的な存在……市場にほとんど出回ることがなく、手に入れるためには幸運あるいは強い縁が必要とされます。二人とも、素晴らしいです!」
司会の解説に、観客は更なる熱気に包まれた。
「すげえ! 二人とも、なんて知識の深さなんだ!」
「ミッドナイト・サファイアなんて初めて聞いたわ!」
「アメリア嬢の方はまた香りだけで当ててたぞ!?」
「一体何が起こっているの!?」
口々に賞賛の言葉が贈られる中。
「エリン様―! 流石ですー!」
「このまま三問目も当てちゃってくださいー!」
並の令嬢だと答えられるはずのない問題を正解したことに、取り巻き達も熱い声援をエリンに送っている。
「あ……あはは……当然よ……」
言葉を返すエリンの笑顔は糸で操られているように引き攣っている。
もはやエリンは生きている心地がしなかった。
アメリアが二問目を正解したことにより、勝利を掴む計画が見事に破綻してしまった。
せっかく大金を叩いて侍女を買収したのに台無しである。
(こんなはずじゃ……!!)
頭を掻きむしりたくなるのをエリンは必死で堪えた。
勝利の美酒に酔いしれる未来が閉ざされ、悔しさで心が引き裂かれるように痛かった。
「さあ、いよいよ最終問題です! 本日初の全問正解なるか、大注目です!」
司会の声に、エリンの肩がびくりと震える。
エドモンド家の茶解きで最終問題に差し掛かるのは珍しいのか、気がつくと参加者のほぼ全員が観客席に集まっていた。
つーっと、エリンの背筋に冷たいものが走る。
最終問題の答えをエリンは知らない。
出されるのは生粋の紅茶愛好家で知られるエドモンド家当主の妻、ミレーユが直々に淹れた一品。
紅茶にそこそこ詳しいエリンが答えられるわけがなかった。
(この私がお姉様に引き分けなんて……あり得ない! あり得ないわ!)
散々アメリアを見下してきた過去と、今この瞬間の結果を比較して、悔しさが燃え上がるように胸を焦がす。
プライドはズタズタで、その場で何かを粉砕したくなる。
彼女にとって引き分けの未来はただの敗北ではなく、許しがたい屈辱そのものだった。
そんな受け入れ難い現実に心の中で暴れ回るエリンは、一つの可能性に考えが及ばなかった。
──アメリアが、最終問題すら正解してしまうという可能性に。
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