第120話 戦場

 戦場の光景はどこも同じだ。


 燃える家々の煙、金属のぶつかる音、そして血の鉄臭さ。

 容赦なく照りつける太陽の熱が石の家を焼き、戦士たちの鎧を灼熱の鉄に変えている。


 ラスハル自治区の戦いは、砂漠地帯からほど近いオアシスの街で繰り広げられていた。

 かつて平和だったこの街も、異なる宗教の対立が激化したことによって今や戦争の渦中にあった。


「いたぞ! あの建物だ!」

「進撃しろ!」


 狭い通りは戦場と化し、剣と盾が光を放ちながら激しくぶつかり合う。

 歩兵たちは互いに組み合い、石畳の上での苛烈な肉弾戦を繰り広げていた。


 ラスハル自治区の中でも、一際激しい戦闘が行われている一画。


 重い鎧を身にまとい、長い槍を振り回す騎馬兵が現地ゲリラと激しい攻防戦を繰り広げている。

 彼らが腕を振るうたびに、槍先が赤く染まっていった。


 そんな騎馬兵の中でも一際存在感を放つ男がいた。


「おおおおおおおおお!!」


 雄叫びを上げ、剣を掲げる男の圧倒的な存在感が輝く。


 豪華な装飾が施された黒基調の軍服を身に纏い、岩のような体躯を躍動させて馬を操る男──トルーア王国第3師団団長、クロード・へルンベルク。


 後ろに流すようにセットされた黒髪が埃と共に舞う。

 端正な顔立ちには鋭い光を放つ切長の瞳が光り、頬には決して小さくない切り傷が戦士の象徴として刻まれていた。


 クロードの剣が舞うたびに、敵兵たちが地に倒れていく。


 その剣技は力強く、洗練されていた。

 一撃一撃が緻密に計算された動きで、敵の防御を容易く破っていく。


 戦闘の最中でも彼の冷静さを失わず、戦況を見極めるその瞳は常に次の一手を計算していた。


「絶対に退くな! 俺に続け!」


 力強い掛け声によって、後続の兵士たちの表情が引き締まる。

 クロードの勇姿は味方兵たちにとっても大きな励みとなり、一層の戦いを展開していた。


「むっ……」


 何かを感じ取ったクロードが咄嗟に剣を後ろに振り抜く。

 瞬間、クロードを射殺さんと迫っていた矢が弾かれた。


「二時の方向に弓兵!」


 報告を受けて、クロードは即座に反応する。


 すぐさま、一部が崩れた家の上からこちらを狙う弓兵を捉えた。


 弓兵は一撃目を防がれたことに明らかに動揺しており、急いで次の矢を用意しているのが遠目にも明らかだった。


「貸せ!」


 クロードは隣にいた味方兵から弓を取り上げると、一瞬のうちに弓を引き絞った。


 目にとまらぬ動作で、矢は一瞬にして弦から放たれる。

 雷のように速く、直線的な軌道を描いて敵兵に向かって飛んでいく矢が彼の胸を貫いた。


「ぐあっ……」


 わずかな呻き声と共に、弓兵は屋根から体を折り曲げるようにして倒れた。


「お見事!」


 一連の出来事を目にした味方兵が興奮気味に声を上げる。

 賞賛など気にも留めず、クロードは次の敵に剣を向けるのだった。


◇◇◇


 戦闘を終えた後、クロードは指揮官室にもなっている粗末な簡易テントまで帰ってきた。

 テントの内部は、団長という立場のクロードに与えられたにしては質素なものだった。


 簡素で地面には薄い布が敷かれ、申し訳程度の椅子と机だけが設置されている。

 そんな環境でも、クロードにとってはひとときの安らぎをもたらす場所だった。


 椅子に腰掛け文庫本を手にするクロードは、戦場の喧騒から一時的に離れているように見える。

 その表情は、言葉に思いを馳せる学者のようで、戦士の面影はどこかに消えていた。


「ふいー、お疲れお疲れ」


 意識の外から聞こえてくると、クロードは本から目を逸らさずに言葉を口にする。


「まだ生きていたか」

「第一声でそれはひどくない!?」


 青年の非難めいた声を聞いて、クロードはようやく顔を上げた。


 クロードの視界には、自分と同じくらいの年齢の青年が映っていた。

 ブルーグレイの髪にカッパーアイ、耳にはピアスという、おおよそ戦場には似合わない遊び人のような風貌をしている。


 一見すると軽薄な印象を与えるが、その目には知性と戦場を渡り歩く戦士の光が宿っていた。


「いつ死ぬかわからん場所だ。情を持たない方が賢明だろう」

「いや持とうよ! どれだけ過酷な状況においても人間性は失うべきじゃないって、昔の偉い人も言ってるでしょ?」

「ドミニク」


 本に栞を挟み、クロードは低い声で言う。


「何度も言ったらわかる、敬語を使え。ここでは俺が上官だ。上官に対する部下の態度は、部隊全体の指揮にも関わる」

「いいじゃんいいじゃん、誰もいないんだし! 休憩の時くらい幼馴染の距離感でいようよ、息が詰まって本番で戦えないよ?」


 圧を込めた声で言うクロードだったが、ドミニクはにこにこ顔を崩そうともしない。


「だから、そう言う問題じゃ……」


 言葉を切り、諦めたように息をつくクロード。

 ここで詰めても彼の軽薄なノリは治らないと、長い付き合いで知っていた。


「それで、戦況は?」

「残党勢力の掃討は完了したよ。全体を通してみると押され気味だけど、今日の戦果は上々だと思う」

「今日が毎日続けばいいんだがな」


 クロードの言葉からは、戦況が芳しくない事を表していた。


「状況は厳しく、人員も物資も限界に近い」

「特に物資の不足が深刻だね」

「王都に応援を打診したか?」

「したけど、望み薄だと思うよ。自国の領土が占領されてるわけじゃないから、王都も積極的に資材を投入したいとは思ってないだろうね」

「最優先事項として、医薬品の増品を説得してくれ。風邪薬や痛み止めなどの、安価な治療薬がもっと必要だ」

「戦いじゃなく風邪で死ぬのは大きな損失だからね。上に強く進言してみるよ」

「頼む。何も紅死病の特効薬をくれと言ってるわけじゃないからな」


 皮肉げに言うクロードに、ドミニクは思い出したようにポンと手を叩く。


「風の噂だけど、紅死病の新薬できたらしいよ」

「新薬と言っても、辺境の戦場に回ることはないだろう?」


 紅死病はトルーア王国で流行している病気だが、発症はラスハル一帯だと考えられている。

 これまで特効薬を作るには、ラスハルで採れる希少な植物「サザユリ」が必要で、一つ一つの値段は非常に高価なものだった。


 そのため、ラスハルで採れたサザユリをトルーアに輸送し、調合された数少ない特効薬が有名貴族の手に渡っている。


 トルーア国内の多くの庶民にはもちろんのこと、原料地で戦う兵士たちにも薬が行き渡らず、莫大な資産を持つ本国の貴族に行き渡るというなんとも皮肉な状況になっていた。


 ──ただ特別な例として、指揮官クラスが紅死病に罹ると戦線が崩壊するため、カイド大学と繋がりがあるクロードが裏のルートで限られた特効薬を高額で入手している。


 とはいえ、特効薬が一般兵士に行き渡ることはまずないと思って良いだろう。


「いや、今回開発された特効薬は、サザユリに代わるトルーア国内で採取できる安価な植物で調合されていて、大量生産が可能らしい」

「ほう」


 今まで表情の動かなかったクロードの目が僅かに見開かれる。


「学会での認可が降りれば、戦線にも仕入が可能になるので、これで紅死病の被害も抑えられそうですね」

「もう裏ルートに高い金を払わなくても済むな」


 機嫌良さげにクロードは言った。


 紅死病はトルーア国内ではなく、クロードが展開する戦線でも決して少なくない死者を出している。

 罹れば最後、神に祈りながら死を待つしかないというまさに死の病であった。


 その特効薬が安価で開発されたというのは、被害に苦しむ当事者の一人として喜ばしいことであった。


「開発者には感謝しかないですね」

「全くだ。近々、国に戻って開発者には礼を言わねばな」


 ──その紅死病の特効薬を調合したのが、弟の夫人であることがわかるのは、もうしばらく後のことであった。

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