第119話 葛藤
アメリアがベットから墜落している頃。
執務室では、本を捲る音が響いていた。
机に積み重ねた本を、ローガンは一冊ずつ、ぺらり、ぺらりと捲っては目を通していく。
その表情は真剣そのもので、深い集中に入っていることが一目でわかった。
「珍しく残業ですか」
読書に励むローガンに、紅茶セットを手にしたオスカーが声を掛ける。
「別に仕事をしているわけではないがな」
「趣味の読書を?」
「……趣味、かどうかは判断に困る」
「ほう」
ローガンと会話をしながら、オスカーは手際よく紅茶を淹れる。
じきに湯気立ち始めたカップを、オスカーはローガンの机に置こうとして……。
「む……」
オスカーの手が止まる。
机に積み重なった本のタイトルは、『軍事戦争論』『地上戦における7つの極意』『戦略の心得』など、どこか物々しいオーラを纏っていた。
「ローガン様、これは……」
僅かに目を見開くオスカー。
本を捲る手を止めず、ローガンは言った。
「俺も、アメリアの後ろ盾になれればと思ってな」
それは、先ほどのテラスでアメリアに言おうとして引っ込めた言葉だった。
「なるほど」
オスカーは頷き、瞳に影を浮かべて続ける。
「アメリア様を守るために、家の力を強化したい、と」
「そんなところだ」
「へルンベルク家は、国内においては充分の力を持っています。まだ足りないのですか?」
「武の家系としては一流だろうな」
皮肉めいた調子で言うローガン。
「しかし文において、我が家の力は無に等しい。アメリアがこれから戦う場所は、文の世界だ」
加えて、へルンベルク家に対する評判は社交界において良いとは言えない。
打算的な令嬢を避けるべく、自ら悪い噂を広めてしまったことが裏目に出ていた。
「仰る意味はわかりますが……」
何か言いたげなオスカーの言葉を待たず、ローガンは言葉を並べる。
「アメリアの持つ能力は凄まじい。我が国だけでなく、他国も欲しがる存在になるだろう。その時、夫である俺自身が何も力もないようでは、アメリアを守る事はできない」
「クロード様の話を、受けるのですか?」
静かな声で、オスカーが問いかける。
ページを捲る音が止まり、執務室には水を打ったような静寂が訪れた。
クロードはトルーア王国軍に所属する軍人で、ローガンの兄にあたる人物。
現在は、ラスハル自治区と呼ばれる紛争地帯で日夜ゲリラたちと熾烈な戦いを繰り広げている。
そんなクロードは先週、屋敷を訪れた。
ラスハル自治区での戦況が芳しくなく、ローガンに参謀として参戦するよう要請をしてきたのだ。
クロードはローガンの『一度見たら忘れない能力』に目をつけ、膨大な軍事知識を以て戦況を好転させようと考えていた。
その時は、ローガンはアメリアの存在を理由に要請を断っていた。
しかし今回、アメリアの強大な能力ゆえに後ろ盾が必要になった。
クロードの要請を受けローガンが戦果を上げれば、知略の点においてもへルンベルク家の名声が上昇する。
そすると、アメリアの後ろ盾としての存在感が増すとローガンは考えたのだ。
「……迷っている」
時間をかけて、ローガンは答えた。
確かに成果を上げれば家の力は増大する。
しかし後方で指示を出すとはいえ戦場に赴くとなると、危険が付き纏うのは避けられない。
その葛藤が、ローガンの胸の中で激しくぶつかりあっていた。
「差し出がましい事を申し上げますが」
オスカーは言葉を重ねる。
「身の危険を冒すことが、アメリア様にとって、本当に良い選択でしょうか」
「…………」
ローガンは押し黙り、目を伏せる。
その瞳は迷いに揺れていた。
「くれぐれも、後悔なき選択をするようお願い申し上げます」
自分が意思決定に介入するべきではないと、オスカーはそう締めくくる。
「ああ、わかっている」
これ以上話を続けるつもりはないとばかりに、本の続きを読み始めるローガン。
恭しく頭を下げて、オスカーは退室した。
後には、再びページを捲る音だけが残された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます