第117話 何を考えているの
話し合いが終わってすぐ、ウィリアムは屋敷を後にした。
今日の授業の中でアメリアが発見した新薬のレシピを、早速大学に戻って試すとのことだった。
「先ほどのウィリアム氏の話」
応接間に二人きりになってから、ローガンはアメリアに切り出す。
「俺の予想だと、アメリアはあまり自分の置かれている状況を理解していないように感じたが、どうだ?」
「ゔっ」
「やはりか」
ため息をついてから、ローガンは言う。
「ずっと人形のように座って上の空だったから、そんな気がしていた」
「す、すみません……既得権益? 派閥? あたりの言葉が出てきたあたりから、自分には縁が無さすぎて、どう処理をしていいのやらと……」
「そんな気がして、俺が中心で口を挟ませてもらった」
「さ、流石ですね……助かりました、ありがとうございます」
ぺこぺこと頭を下げるアメリアが「それにしても……」と続ける。
「私が紅死病の新薬を作って以降、なんだか大事になってるような気がするのですが、私の気のせいでしょうか?」
「その状況は理解しているんだな」
「や、やっぱりですかっ!?」
身を仰け反るアメリアにローガンは言う。
「アメリアの能力はそれだけ、業界……いや、国全体に大きな影響を及ぼす代物だとウィリアム氏は見ている。だからこそ、包み隠さずあらゆる可能性を提示してくれたのだろう」
「そう、なんですね……」
「また、妙に上の空だな」
「ああっ、すみませんっ……」
乱れた髪を直しながら、アメリアは言う。
「正直なところ、私という存在がそんな大事を引き起こすのかな、という気持ちはあります。ですが、紅死病の一件もありますし……ウィリアムさんやローガン様が仰るのであれば、事実として受け止めないといけないなと……だからと言って何が起こるかは、よくわからないですが……」
「大丈夫だ」
狭い道を慎重に歩くように言うアメリアの肩に、ローガンが手を添える。
真っ直ぐアメリアの瞳を捉えて、ローガンは言った。
「何があっても、俺がアメリアを守る」
力強く紡がれた言葉に、アメリアの心臓がどきんと跳ねる。
誓いを立てるように真剣なローガンの表情から、目が離せなくなる。
いつの間にか頬が熱い。
頭の中が真っ白になる。
「は、い……ありがとう、ございます」
やっとのことで絞り出した言葉は、自分でも分かるくらい震えて。
自分でも分かるくらい、嬉しいを纏っていた。
◇◇◇
(少し長湯しすぎたかも……)
妙にふらつく足取りでアメリアは寝室へと向かっていた。
その道中、アメリアはふとバルコニーに足を踏み入れた。
火照った身体を、夜風で冷ましたい気分だった。
湯冷めするかと思ったが、今日は比較的空気に温もりがあった。
バルコニーは広く、景色を眺めながらお茶を楽しめるようにテーブルセットが設置されている。
アメリアは柵に体重を預け、ひとつの欠けのない月を見上げていた。
「気持ちいい……」
冷たい風が頬を撫でて、自然と息が漏れる。
じんじんと熱い頭の奥が、ひんやりと冷却されていくようだった。
「今日も一日、色々なことがあったわね」
コリンヌの礼儀作法の授業に続き、ウィリアムの授業。
それから三人で夕食を摂ってから、今後に関する重要な話し合いをした。
そして……。
──何があっても、俺がアメリアを守る。
「あうっ……」
頭の中に響き渡る低い声に、アメリアの顔がボンッと音を立てる。
真っ赤になった顔を覆い、へなへなと力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
「お、落ち着きなさいっ……深呼吸よ、深呼吸……」
立ち上がり、すーはーすーはーと肺を空気で満たして、吐き出す。
何度か深呼吸をしてようやく平静を取り戻していると。
「こんなところにいたのか」
先ほど頭の中で響いた声が現実の鼓膜を震わせ、アメリアは飛び上がりそうになった。
「ロ、ローガン様……!!」
振り向くと、窓際でローガンが腕を組んで立っていた。
「すみません、お探しでしたか?」
「いや、特に用があるというわけではないが……」
濁すように言ったあと、ローガンは耳の後ろを掻いてから尋ねる。
「隣、いいか?」
「も、もちろんです」
ローガンが隣にやってきて、夜空を見上げる。
再び速度を上げた鼓動を、アメリアは必死に宥めた。
「今日は満月か」
「はい。少しも欠けてなくて、綺麗です……」
「まるで君のようだ」
「へぁっ……」
突然の不意打ちに、せっかく落ち着かせていた鼓動が全力疾走をし始める。
熱が一気に首元まで昇ってきた。
反射的にローガンの方を見ると、悪戯めいた表情が視界を占めた。
ほんの少しだけ口角を持ち上げたローガンが、アメリアに尋ねる。
「まだ慣れないか?」
「ローガン様は、前触れが無さ過ぎます。唐突に言われるので、びっくりしちゃいます」
「なら、言わないほうがいいか?」
「い、嫌ですっ」
ぶんぶんと、アメリアは首を横に振った。
「そういう言葉は、いつでも大歓迎です……むしろ、もっと言ってほし……」
最後まで言葉が続かなかったのは、ローガンがアメリアの髪にそっと手を添えたからだ。
「段々と、我儘も言えるようになってきたな」
偉いぞとばかりに、ローガンはアメリアの頭を撫でる。
大きくて温かい手が滑るたびに、瞼がとろんと柔らかくなった。
「ローガン様の、お陰ですよ」
手が止まる。
ローガンを見上げ、アメリアは言葉を夜風に乗せた。
「私に、ありのままの君でいていいって、もっと自分のしたいようにしていいって、言ってくれたから……だから私は……」
「俺はきっかけを与えたにすぎない」
ゆっくりと首を横に振ってローガンは言う。
「変わろうと決めて、行動しているのはアメリア自身だ。そんな自分の意思を、存分に尊重してやってくれ」
あくまでも自分の手柄では無いとローガンは言う。
(ああ、やっぱり……好きだなあ……)
誠実で、謙虚な姿勢に、胸の奥がじんと熱くなる。
へルンベルク家に嫁ぐとなった際に聞かされた『暴虐公爵』の要素はひとつまみも無い。
(ローガン様と出会えて、良かった)
改めてそう思うアメリアであった。
びゅう、と風が吹いてアメリアの身体に鳥肌が立つ。
「少し、寒くなってきましたね」
「比較的温かいとはいえ、もう冬だからな」
そう言いながら、ローガンは後ろからアメリアを両手で包み込んだ。
いわゆる、バックハグの体勢。
「ロ、ローガン様ッ!?」
「こうすれば、寒くないだろう」
ローガンに後ろから抱き締められ、アメリアの心臓がぴょんと跳ねた。
冷たい空気を溶かすような温もりが、背中から広がり始める。
自分よりも大きな腕に包まれ、守られているような安心感が胸を満たした。
「温かい、ですね」
「何よりだ」
低い声が耳元で囁かれる。
それだけで、蕩けて夜闇に紛れてしまいそうになる。
そっと、アメリアは自然とローガンの手の甲に掌を重ねる。
まるで、世界の全てがローガンによって包まれているかのよう。
時間が止まったような感覚の中、穏やかで温かな愛情を深く感じていた。
「さっきは、嬉しかったです」
「さっき?」
「私の身の安全が第一って……」
「ああ」
ウィリアムとの会合の際。
アメリアの後ろ盾がいない故に、面倒ごとに巻き込まれる可能性があるという話になった時、ローガンは瞳に怒りを灯して言った。
──アメリアにもしものことがあったら……へルンベルク家の総力を上げて対処をする。
「当然のことだ」
力の籠った声と共に、アメリアを抱き締める腕に力が入る。
「本当は、俺が……」
ここで、ローガンは言葉を切った。
一向に次の語が出ないことを不思議に思って、アメリアはローガンを見上げる。
先程までとは打って変わって、ローガンはどこか打ちひしがれたような、無力感を纏った表情をしていた。
「ローガン様?」
「いや……なんでもない」
ローガンが首を振って、ゆっくりと屈む。
顎に指が触れ、くいっと上を向かされる。
これから行われる情事を察して、アメリアはそっと目を閉じた。
「んっ……」
ローガンの唇が優しく触れた途端、思わず声が漏れる。
身体の奥がじんと音を立てた。
ローガンの口付けはいつも優しくて、愛情深い。
まるで時間を止める魔法のようで、その瞬間を永遠に感じたくなる。
熱を帯びて赤くなった頬が、夜風に触れてひんやりと気持ちいい。
破裂するんじゃ無いかと思うほど大きく脈打つ心臓が、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
ローガンの温もり、シトラス系の甘い匂い。
とく、とくと一定のリズムで刻む心音。
深い愛情が包まれて、アメリアは世界の他の全てを忘れてしまいそうになった。
いつもより長い口づけの中で、アメリアの理性が少しずつ決壊していく。
身体の奥底、もっと深いところにある芯から、燃えるような欲求を湧き出してきた。
ずっと抑圧されて眠っていた本能が、ローガンに接吻以上のことを求めてしまいそうに……。
(って、何を考えているの、私……!?)
今までの人生の中でも持つ事のなかった欲を自覚して、アメリアは耳まで赤くする。
これ以上はまずいと、ゆっくりと口を離した。
「はふぁ……」
肺に空気を送り込み気持ちを落ち着かせるアメリアに、ローガンが微笑む。
「慣れてきたな」
ぶんぶん。
アメリアは俯き首を振るのが精一杯だった。
淑女にそぐわぬはしたない事を考えてしまった自覚で、穴があったら猛烈に入りたい心持ちになる。
そんなアメリアの心情など露知らないローガンは、余裕のある笑みを浮かべるばかり。
しかし、アメリアの様子がおかしい事に気づいたらしく、眉を顰めて尋ねた。
「どうした?」
「な、なんでもないですっ」
びゅんっと顔を逸らし、何度も深呼吸をしながら心を落ち着かせる。
(うう……ローガン様の顔、見れないよう……)
大きな満月の下。
アメリアはぷしゅーと、頭から湯気を出してしまう。
そんなをアメリアを、ローガンは怪訝そうに見つめていた。
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