第116話 難しいことはよくわからないけれど

 夕食後、テーブルから料理が下げられた後。


 アメリア、ローガン、ウィリアムは応接間に移動した。

 使用人たちも退室させているため、部屋には三人しかいない。


 先ほどの夕食の時間とは違って、どことなく張り詰めた雰囲気が漂っていた。


「今回、ご同席頂いたのは、紅死病の特効薬について……そして、アメリア様の今後についてお話のお時間を頂きたかったためです」


 ウィリアムの言葉に、アメリアの顔色が曇る。


「もしかして、あの薬に欠陥が見つかったとか……」

「ああいえ! 違います、違います!」

 

 顔の前で手を振ってウィリアムは即座に否定する。


「アメリア様が開発した紅死病の特効薬については、現在大学の方で治験中です。今のところ効果は抜群で、際立った問題は発見されていません」

「良かった……」


 ホッと、アメリアは心底安堵したように声を漏らした。


「結構即席で作ったので、心配してました。問題ないようでしたら、何よりです」

「ご心配をおかけし申し訳ございません。念入りに調査したのですが、恐ろしいほど理想的な薬に仕上がっていましたよ」


 声に興奮を滲ませてウィリアムは続ける。


「というわけで、紅死病の特効薬については、臨床試験の結果、薬の安全性や有効性、製造方法、品質管理など諸々の確認が取れ次第、正式に学会へ提出する予定です」


 ウィリアムが言うと、ローガンがピクリと眉を動かす。


「学会に出すということは、アメリアの名前もそこで公開されると?」

「そうです、その点についてお話がしたかったのです」


 本題とばかりに、ウィリアムは腰を据えて話を始める。


「アメリア様の名前は、現状では公開するべきではないと考えています。というのも、アメリア様は大学とは無関係の一般人です。もしアメリア様がこの特効薬の開発者であると公表されれば、薬自体の信頼性が疑われる可能性があります」

「誰も、プロの医者以外に病気を診てもらいたくないと」

「そういうことです」


 微かに目を伏せてウィリアムは続ける。


「また、アメリア様は研究者としての実績もございません。立場的には素人のアメリア様が紅死病の特効薬を開発したという事実が知れ渡れば、大学内の研究者の間で不快な感情を引き起こし、思わぬ反感や嫉妬を生む可能性もあります。そのような不必要なトラブルを避けるためにも、アメリア様の名前は非公開とするのが賢明だと判断いたしました」


 ウィリアムの説明に、アメリアが膝の上でキュッと拳を握る。


「理解した。それらの事情を考慮すると、匿名が望ましいと思う。既得権益や派閥争いなど、人間関係もややこしそうだしな」

「ええ、おっしゃる通りです……」


 気が重たそうにウィリアムは頷いた。


「だがそもそも、匿名にするのは可能なのか?」

「可能です。大学に所属している研究者以外の者が、独自の調合によって新薬を開発するというのも、無くはないケースなので。ですが……」


 ここでウィリアムは言いづらそうに目を逸らす。


「紅死病の特効薬レベルとなると、匿名の開発者一人だと、やはり信頼性という面で不安が発生すると思います。なので、共同開発者として私の名前も記述する形が良いかなと」

「なるほど。ウィリアム氏の署名付きとなると、信頼も担保されるということか」

「実情は反対ですけどね……」


 苦笑を漏らすウィリアムの表情に、罪悪感が滲む。


「ただ、共同開発者として私の名前を記述する場合、私がメインで紅死病の特効薬を開発したという見え方になると思います。今回の新薬開発に関して、私は何もしていないに等しいです。にも関わらず、アメリア様の手柄を横取りするような形になるのは……」

「私は気にしませんよ」


 間髪入れず、アメリアは何のわだかまりも無さそうに言う。


「繰り返しになりますが、私はお金や名誉が欲しいわけではありません。私の作った薬が誰かのお役に立てるのであれば、どのような形で出ても良いと考えています」

「聖人か何かの生まれ変わりですか?」

「ふ、普通の人ですよ!?」

 頬を微かに赤、おほんと咳払いをしてからアメリアは言う。


「とにかく、私は気にしないのでウィリアムさんの良きように進めてくださいませ。ただ……」


 ちょっぴり困ったようにアメリアは言う。


「面倒事に巻き込まれるのだけは、私じゃどうにもならないので避けていただけると助かります」

「ええ、もちろ……」

「それだけは、何があっても避けてくれ」


 ウィリアムの言葉を遮って、ローガンが力強い口調で言う。


「アメリアの身の安全が第一優先だ。アメリアにもしものことがあったら……」


 澄んだ双眸の中に、メラメラと劫火の如く感情を灯してローガンは言う。


「へルンベルク家の総力を上げて、対処する」

「ローガン様……」


 思わず、アメリアはローガンの方を見る。

 真剣な表情で釘を刺すローガンの横顔に、アメリアの心臓がとくんと高鳴った。


「は、はい。私としても、その点は最優先で取り組ませていただきます」


 ローガンの纏うオーラに気圧されながら、ウィリアムは言葉を返した。


「とはいえ、アメリア様の名前はいずれ出した方が良いと考えています。今後、アメリア様が新薬の開発をしていくにあたって、ずっと私の名前で貫き続けるというのも現実的ではありませんからね」

「そもそも、いずれ明るみになるだろうな」

「同意見です」


 紅死病の件に加え、今後もさまざまな新薬を開発していくとなると、アメリアの素性を知りたいと思う人間は多く出てくる。

 いずれ、何かしらの経緯でアメリアの存在が公になるのは避けられないだろう。


「今のところ大学において、アメリア様のことは私ともう一人信頼のおける同僚しか知りません。その同僚は一緒に紅死病の研究をしている者で……」


 同僚リードには元々、アメリアが紅死病の新薬を開発したことを伝えていなかった。

 しかし前日にアメリアの家庭教師を務めたこと、そしてアメリアの薬学スキルを高く評価したことはリードに話している。


 状況証拠から、紅死病の新薬を開発した、あるいはその手がかりとして機能した人物はアメリアだと当たりがつくのは時間の問題だったため、ウィリアムの方からリードに説明をしたのだ。


 という経緯を、ウィリアムは二人に説明した上で続ける。


「学問の世界には後ろ盾が必要です。アメリア様自身に実績がなくても、権威のある教授に後ろ盾になって貰えば、アメリア様に不義を働く輩は出てこないと考えます」

「研究以外に身の振り方も考える必要があるとは、学内政治ほど面倒なことはないな」

「ええ、全くです」


 今日一番大きなため息をつくウィリアム。

 ローガンも共感するように後に続く。


「本当は私が後ろ盾になれればいいのですが、大学内における私の力はさほど強くないので……」


 自嘲気味に言うウィリアムに気を取られていて、アメリアは気づかなかった。

『後ろ盾』という言葉を聞いたローガンの表情が暗雲が立ち込めたように曇ったのを。


「近々、私の上司に当たる教授を紹介します」

「……ああ、よろしく頼む」

「ありがとうございます、ウィリアムさん」

「これで私からの話は以上になります。お時間をいただき、ありがとうございました」

 

 そう締めくくって、ウィリアムは頭を下げた。

 

(難しいことはよくわからない、けど……)


 ウィリアムもローガンも、自分が心置きなく勉強に専念できるよう環境を整えようとしてくれている。


 それだけはわかるアメリアであった。

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