第114話 アメリア様じゃないみたい

「それでは、今日の授業はここまでにしましょうか」


 話の切りの良いタイミングでウィリアムは言った。


「はっ、もうこんな時間なのですね」


 橙色に染まりつつある空を見てアメリアは目を丸める。


「楽しい時間は一瞬で過ぎてしまいますね」

「ええ、全く。それにしても、相変わらずアメリア様の吸収力が凄まじいですよ。大学で同じように講義をしても、ついて来れる生徒は100人に1人いるか、いないかだと思います

「いえいえ、そんなことは……」

「ありますよ!」


 謙遜を口にしようとするアメリアに、ウィリアムは身を乗り出して言った。


「アメリア様はベースとなる膨大な知識に加えて、人智の及ばない天賦の才をお持ちです! まさしく天才……いえ、神が生んだ奇跡と言っても過言ではありません!」

「過言です! 過言ですから、落ち着いてくださいウィリアムさん!」


 アメリアが焦りの声を上げると、ウィリアムはハッと正気を取り戻す。


「失礼いたしました、つい取り乱してしまいました」


 深々とウィリアムは頭を下げた。


「いえいえ、お気になさらず……」

(ウィリアムさんも、思った以上に変わっているのよね……)


 本来、ローガンと同じように感情の起伏の大きくないウィリアムだったが、アメリアの能力に関する事となると途端に人が変わってしまう。


 それはひとえに、紅死病の一件の時、ウィリアムがアメリアの才能を目の当たりにしたからだろう。


 昨今、王都で猛威を奮っていた紅死病の特効薬の植物の一つ、サザユリは非常に高価で国内で量産できない代物だった。


 そのため、紅死病を患ったライラの母セラスに薬を回せないという現実が立ちはだかる。

 このままだとセラスの命が危ないという状況の中、アメリアは己の知識と能力を総動員して、サザユリに代替出来る植物を発見。


 本来であれば、多くの研究者が長い年月をかけて導き出す解をたった一人で、それも短時間で発見したアメリアに対し、ウィリアムが心から欽慕の念を抱いたことは言うまでもない。


「なんにせよ、アメリア様が天才であることは紛れもない事実です。それだけは、お忘れなきようお願いいたします」

「お褒めにいただき光栄です」


 言いながら、アメリアは胸の辺りに擽ったさを覚えていた。

 自分の植物に関する能力が、一般の基準に比べて非常に高い水準にあることは自覚しているものの、それを賞賛されるのは褒められ慣れていないアメリアにとってむず痒いことだった。


(でも、私の事を評価してくれる人がいる……)


 その事実は、アメリアにとって非常に嬉しいことではあった。

 

 ウィリアムが教材を片付けた後。


「アメリア様」


 スッと、ウィリアムの瞳に浮かぶ色が変わる。


「今日もよろしいですか?」

「は、はいっ! もちろんで……」


 ──授業以外の時間でもなるべく、淑女としての振る舞いを意識してくださいね。


 コリンヌの言葉が脳裏に響き渡り、勢い良く頷こうとするのをすんでの所で止める。


(いけない、いけない。淑女の振る舞いを心掛けないと)


 穏やかで自然な笑みを形作って、アメリアは落ち着いた声で言った。


「書庫に参りましょうか」

「……なんだか、アメリア様じゃないみたいです」

「ええっ!?」


◇◇◇


 当初この授業は、ウィリアムがアメリアに一方的に教えて終了という内容だった。

 しかし紅死病の一件以来、その形式に変化が生じた。


「今日はこちらになります」


 紙の匂いが漂うへルンベルク家の書庫。

 ウィリアムが紙の束を机に置いた。


「拝見いたします」


 紙に目を通すアメリア。

 赤い瞳には、紙面を塗り潰すほどの文字が並んでいた。


「グリナス病の特効薬ですか」


 何枚か目を通してすぐ、文面の内容を理解したアメリアが言葉を口にする。

 ウィリアムは頷き、表情に悔恨を滲ませて言う。


「記載の通り、これまで様々な植物を組み合わせて実験をしてきました。シルヴァやアルテミアを含むいくつかの植物では、十分な効果が得られませんでした。他に有用そうな植物や、組み合わせ、調合法が思い浮かべばと……」


『薬用植物学に関する未解決案件のお手伝い』

 それが、ウィリアムからアメリアへの要望だった。


 ウィリアムたち研究者が日夜、頭を悩ませても解に辿り着けない問題は山ほどある。

 それをアメリアにも手伝って貰って貰えないかと、ウィリアムが打診したのだ。


『私の知識が誰かの役に立てるのであれば……!!』


 と、アメリアは快諾した。

 以降、授業の後にウィリアムはアメリアに、未解決案件について考察して貰う時間を設けたのだ。


「なるほど。これでしたら……」

 

 席を立ち、アメリアは書庫内に足を踏み出した。

 自分の何倍も背が高い本棚をきょろきょろと見上げ、目当ての本の前で足を止める。


「確か、この辺に……」


 ズラリと並ぶ分厚い本たちに視線を注いで、一冊、二冊、本を手にした後。


「んっ……んーっ……」


 高い段にある本に手を伸ばすアメリアにウィリアムが言う。


「取りましょうか?」

「あっ、すみません。よろしくお願いします」

「お安い御用ですよ」


 こうして必要な本を揃えたアメリアは席に戻って「よしっ」と腕を捲った。

 その後の光景は、ウィリアムにとってあまりにも非現実的なものだった。


 三冊の本を同時に広げ、目にも止まらぬ早さで捲り始めるアメリア。


「ヴェランディンを使う? いや、これだと抗炎症作用が足りない……じゃあラテスだったら? ううん……多分違う……」


 自問自答しながら、アメリアは次々とページを捲っていく。


 ぶつぶつと専門的な用語を呟き、紙に複雑な化学式や計算式を書き込んでいった。

 アメリア目の動きは鋭く、一つ一つの文字や図を瞬時に分析していく。


 まるで難解なパズルをすらすら解いているかのようだ。


「この組み合わせはどうだろ? 相乗効果で効能が増すかも……」


 一瞬の光明が差すも続けて「でも、その場合の副作用は……」と推論を重ねる。


 直感と論理で進んでいく分析。

 アメリアの探求は単なる知識の再生ではなく、創造的な思考によるものだった。


 一つ一つの植物の特性を瞬時に理解し、複数の要素を融合させて新しい調合法を模索する。

 アメリアの頭の中では様々な用語が溢れかえり、組み合わさり、全く新しい概念が形を帯びていった。


 その思考の速さと発想力は、まさに天才そのもの。

 数多の可能性が同時に走っては消え、解に向かって凄まじい速度で近づいていく。

 

(やはり、何度見ても凄い……)


 自分の世界に没頭するアメリアを前に、ウィリアムは目を見張る。

 紅死病の時と同じように、ウィリアムの手がひとりでに震えを帯び始めた。


(ははっ……武者震いですか)


 もう一方の手で抑えて、ウィリアムは思わず苦笑を漏らす。


(私も、天才だの最年少で教授になっただの、たくさんの賞賛を受けてきましたが……)

 

 この若干17歳の少女を前にしたら、全ての功績が霞んで見える。

 ウィリアムは小さく頭を振った。

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