第113話 ウィリアムとの時間
今日は朝早くからコリンヌに来て貰った。
昼には切り上げるスケジュールで、アメリアは礼儀作法の講義を受けていた。
「お紅茶を嗜む際には、まずカップを持つ指の位置に注意してください」
昨日に引き続き歩き方やカーテシーの練習をした後、二人は食堂に移動して紅茶を飲む所作について学んでいる。
「人差し指と親指でカップの取っ手を優しく挟み、中指で下から支えます。他の指は自然に伸ばすのです」
コリンヌはアメリアに、紅茶を飲む際の作法を実演していた。
「人差し指と親指でカップの取っ手を……」
コリンヌの指示に従い、アメリアは緊張した面持ちでカップを持ち上げる。
「ここからが本番です。カップを口元へ運ぶ際は、肘を体から離さずに。そして……」
カップを傾け、コリンヌはすっと紅茶に口をつけた。
「飲むときはカップを音を立てず、ゆっくりと傾けるのです」
アメリアは小さく頷いてから丁寧にカップを傾け、静かに一口飲んだ。
コリンヌが満足そうに頷く。
「そうです、その調子です」
コリンヌの言葉に、アメリアはホッとしたのも束の間。
「40点です」
「ええっ!?」
ギョッとして、アメリアはカップを落としそうになった。
「そこです」
ビシッと、コリンヌは鋭い言葉をアメリアに投げかける。
「アメリア様に足りないのは”余裕”です。私の予想外の言葉に動揺して、紅茶を少し溢しましたね?」
「あ……」
言われて、テーブルクロスに紅茶の染みが滲んでいる事に気づく。
「社交の場では、さまざまな情報や意見交換が交わされます。悪意を以て、心を乱す言葉をかけられる事もあるでしょう。そんな状況においても動揺を悟られず、落ち着いた所作で紅茶を嗜む。これが、淑女の余裕なのです」
「な、なるほど、確かにですね。奥が深い……」
ふむふむと頷くアメリアに、コリンヌは続ける。
「紅茶を嗜む動作一つにも、貴婦人の”格”が表れます。くれぐれも心に留めてください」
「留意いたします」
「結構でございます。それではもう一度」
それから何度も、アメリアは紅茶を嗜む所作をコリンヌに教わった。
しばらくして、コリンヌが腕時計を確認して言う。
「今日のレッスンはここまでです」
終わりの合図が告げられた途端、アメリアは席を立ち優雅な所作で頭を下げた。
「今日もありがとうございました、コリンヌ先生」
「結構でございます」
コリンヌは相変わらず涼しい顔だ。
「歩き方やカーテシーについては昨日より良くなったと思います。私が帰った後も、よく練習していたようですね」
「恐縮です」
嬉しさが顔に出ないよう気をつけながらアメリアは言う。
コリンヌが纏う独特な緊張感によって、アメリアの落ち着きのなさは多少緩和されていた。
「明日からはダンスの練習です。夜更かしはせず、体力を充分にしておいてください」
「ダンス……」
ごくり、とアメリアは唾を飲む。
歩き方や食事マナーなどは知識である程度どうにかなるが、実際に大きく体を動かすダンスに関して、アメリアはあまり自信がない。
(とはいえ、やるしかないわ……)
きゅっと、アメリアは唇を結んだ。
「私はこれでお暇します。授業以外の時間でもなるべく、淑女としての振る舞いを意識してくださいね」
「わかりました」
「お茶会まであと4日、出来る限りベストを尽くしましょう」
「今後ともよろしくお願いいたします」
コリンヌが帰宅した後、アメリアはすぐに昼食を摂った。
午後の予定に備え一休みしてから、アメリアは筆記用具と植物関連の本を持って勉学の間に移動する。
しばらくすると、一人の男性がやってきた。
「お待たせいたしました、アメリア様」
アメリアのもう一人の家庭教師、カイド大学の教授ウィリアムである。
知的な雰囲気を纏った端正な顔立ちに、すらりとした高い背丈。
教授という肩書きの割に容貌は若く、先日年齢を尋ねたところ30寸前とのこと。
長く整えられた金色の髪、静かに佇む青い瞳にはモノクル。
一見すると聡明そうな美丈夫だが、目元には隠しきれないクマが刻まれており、あまり健康的ではない生活を送っている事が伺える。
服装はいつもと変わらず深緑色のベストに黒のスラックス、白いシャツには黒いネクタイが調和を成していた。
「いえいえ! 楽しみにお待ちしておりました、ウィリアムさん」
胸を弾ませながら、アメリアは落ち着いた所作で頭を下げた。
ウィリアムは王立カイド大学で、植物の調合を主とした薬学を専門としている教授だ。
ローガン曰く国内で彼以上に薬学に精通した者はいないらしい。
植物について一から学びたいというアメリアの要望に沿って、ローガンが家庭教師として雇った人物である。
「おや……?」
アメリアのお辞儀を見て、何かに気づいたウィリアムが顎に手を添える。
「今日は何やら、所作に落ち着きがありますね」
「えっ!? 本当に!? そう思いますか!?」
思わず身を乗り出してしまうアメリア。
「え、ええ……なんだか雰囲気が違います」
「流石教授……鋭い観察眼ですね」
アメリアはウィリアムに、エドモンド公爵家のお茶会があること。
そのお茶会に向けて礼儀作法の講師に来てもらって、ビシバシと鍛えてもらっていることをウィリアムに伝えた。
「なるほど、そういう事だったのですね。どうりで……」
ウィリアムの言葉に、アメリアは拳で小さくガッツポーズをした。
コリンヌに教わった事が人にわかる形で成果が出ている事が嬉しかった。
「しかし、良かったのですか?」
「と、言いますと?」
「お茶会までは僕の授業ではなく、コリンヌ先生の授業を優先した方が良い気がしまして」
紅死病の一件の後も、ウィリアムは定期的にアメリアの家庭教師をする手筈になっていた。
薬学に関して天賦の才を持つアメリアの元で教え合い学び合いながら、共に研鑽していきたいというウィリアムきっての願いだった。
「ウィリアムさんの授業を削るなんてとんでもないですっ……!!」
またまた身を乗り出すアメリア。
瞳に微かな驚きを宿すウィリアムに、アメリアはハッとする。
コホンと慎ましく咳払いをしてからアメリアは言った。
「当初はローガン様と相談して、ウィリアムさんの授業の時間を礼儀作法に置き換えたらどうかという話も出ました。でも根詰めすぎるのも良くないという結論になりまして、ウィリアムさんの授業は通常通りになったんです」
「なるほど、そうだったんですね」
わかりやすく嬉しげな表情を浮かべてウィリアムは言う。
「僕としても、アメリアさんとの授業はとても刺激的で、毎回楽しみにしています。なのでこうして、通常通りお会い出来たことを嬉しく思います」
「こちらこそ! ウィリアムさんと植物について語り合えるのは至福の時間なので、今からわくわくが収まりません」
「とても嬉しいこと言ってくれますね」
くすりと、ウィリムは満更でもなさそうな笑みを浮かべた。
「それでは、早速授業を始めましょうか」
「はい! よろしくお願いします!」
こうして、ウィリアムの授業が始まった。
今日、ウィリアムが教材として持ってきたのはアメリアが目にしたことのない書物。
「こちらは、テルラニア帝国で発刊された、植物調合に関する教科書です。ご存じですか?」
「いえ、その本は初めて見ました」
「だと思って、持ってきました。発行部数も少なく、大学などにしか出回らない書物です。著者の個性が光る独特な調合法が多く記載されているので、きっとたくさんの学びがあると思いますよ」
「わわっ、それは楽しみです……」
まるでご馳走を目の前にしたかのように、アメリアは喉を鳴らす。
自分の知らない知識を得られる事が楽しみで仕方がない。
瞳を輝かせるアメリアを見て、ウィリアムは襟を正すようにモノクルをくいっと持ち上げた。
◇◇◇
「ズランフィアという植物は青い葉を持ち、夜になると輝く珍しい種類です。ズランフィアはを適切に調合することで、視力を強化する薬に変えることが出来ます」
「ふむふむ……」
メモを取りながら、アメリアは熱心にウィリアムの授業に聞き入っている。
「ただし、ズランフィアは調合の過程が非常に繊細で、葉を乾燥させる際の温度や湿度が重要です。こちらに記載されているように、まずは乾燥した葉を細かく砕いて……」
教科書をもとに、授業が進む。
ウィリアムの思惑通り、教科書にはアメリアの知らない知識も多くあった。
出てくる植物については既知のものがほとんどだが、その組み合わせや調合の方法などはほぼ初知りで、アメリアの知的好奇心はどばどばと満たされていった。
(このお屋敷に来た時は、やりたい事が見つからなくて時間を持て余していたけど……今はやる事がたくさんだわ)
今日一日のスケジュールを思い返して、アメリアは思う。
(ふふっ、なんだか、生きてるって感じ……)
ウィリアムの授業を受けながら、そんな充実感を抱くアメリアであった。
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