第112話 暴走の兆し

 アメリアがローガンに膝枕セラピーを受けている頃。

 アメリアの実家であるハグル伯爵家の屋敷は、以前と比べ火の消えたような寂しさが漂っていた。


「もう、我慢できないわ! アナタ、いつ新しい使用人を雇えるの!?」


 ハグル家の当主セドリックの執務室に、妻リーチェの怒号が響き渡る。

 続けて娘エリンも声を張った。


「掃除も行き届いていない、食事もどんどん不味くなって出てこない日もある! 伯爵家の名が泣いてるわよお父様!」

「ぐ……ぐぬぬ……」


 二人に大声を浴びせられてるも、セドリックは何も言い返すことはできない。

 ただただ机に蹲って耳を塞ぐばかりであった。


 改善の見込みすらないほどに、ハグル家の状況は悪化の一途を辿っていた。


 元々当主のセドリックは使用人の扱いが雑で金払いも悪かった。

 真面目で向上心のある使用人は次々と辞めていってしまい、後に残ったのは能力もなく隙あらば怠惰を謳歌しようと考える使用人たち。


 そんな彼女たちの多くも、メリサの一件でハグル家に多大な賠償金が降りかかってきた影響で解雇となり、掃除はもちろんのこと日々の食事も満足に作れない状況であった。


 当然、生活水準は急降下しリーチェや娘エリンの不満は蓄積されていく。

 賠償金の補填のために、リーチェとエリンのドレスや宝石を無断で売り払ったのもあって、彼女たちの怒りは限界を迎えていた。


 このままではまずいと、状況を打開しようとセドリックは奮闘したものの、領民への税金は暴動が起きるギリギリまで上げている。


 特段金になる産業もなく、借入のアテもない。


 もはや質素に暮らして蓄えが安定してくるまで耐えるしかないのだが、今まで散々贅沢三昧してきた二人が耐え切れるわけが無かった。


 訳もわからず貧相な生活を送ることになった怒りの全てを、二人はセドリックにぶつけていた。


 当初は強気の姿勢だったセドリックも、言い返す気力も無くなってしまう。

 贅を尽くした身体とは裏腹に、目元には濃いクマが刻まれていた。


 もはやセドリックに出来ることは、二人の怒りが収まるまでじっと耐え忍ぶことだけであった。


「アナタと結婚したのが全ての間違いだったわ!!」


 バンッと扉を乱暴に閉めてリーチェが退室する。


(やっと終わったか……)


 嵐は過ぎ去ったと、セドリックはホッと胸を撫で下ろした。


「なに助かったみたいな顔をしているのお父様! お母様は気が済んだかもしれないけど、私はまだ許してないんだからね!」


 強い語気と共にセドリックに迫るエリン。


「エリン、もう勘弁してくれ。お父さんも色々考えているんだ……お金のことは頑張ってなんとかするから、もう少し待っていてくれ」

「当然よ! 売り払ったドレス、全部買い戻してくれるまで許さないからね!」


 怒りがおさまらないエリンに、セドリックは内心でため息をつく。


(流石に甘やかしすぎたか……)


 今になってようやく、エリンの教育に対して後悔の念を抱くセドリックであった。


「そういえばエリン、エドモンド公爵家のお茶会には変わらず行く予定か?」


 これ以上の罵倒は溜まったものじゃないと、セドリックは会話の舵を切る。


「もう出席で文を出してしまったもの。お父様のせいで古臭い芋ドレスで出席することになったわ。これで私の評判が落ちたら責任取ってよね! ああもう!! 新作のドレス、皆に自慢するのが楽しみだったのに……」


 話を変えたつもりが、別の怒りに火がついてしまったようだった。


(そうだ、言い忘れていた)


 ハッと思い出して、セドリックは口を開く。


「招待客の名簿を見た。アメリアも出席するのだな?」


 セドリックの質問に、エリンはピクリと眉を動かす。


「出席するらしいけど、それが何よ?」

「エリン」


 セドリックは真面目な顔で、エリンに言い聞かせた。


「お茶会の場で、アメリアとは関わるんじゃないぞ。出来れば一言たりとも、言葉を交わしてはならん」


 数週間前。

 ハグル家の元侍女メリサが、へルンベルク家の敷地内でアメリアに暴行を加えた。


 その影響で、ハグル家は多大な被害を被ることになった。


 社交界におけるローガン公爵の評判は悪いが、実質的な力はハグル家の比にならない。

 ローガン公爵もいるお茶会の場で、エリンがアメリアに危害を加えるような事があったらどうなるか、考えたくもなかった。


「なんでお姉様の名前が出てくるの!? お姉様に何をしようと私の勝手でしょう!?」


 セドリックの思惑とは裏腹に、エリンは納得がいかないとばかりに叫ぶ。


 セドリックは保身のためにメリサの一件をエリンに伝えていない。

 そのため、セドリックの言葉の意図が理解できるはずもなかった。


「とにかく、駄目なものは駄目だ! 当日はアメリアと一切関わるな、いいな!」


 今まで言われっぱなしだったセドリックが初めて大声をあげて、エリンは思わず言葉を詰まらせる。

 これだけは勘弁してくれとばかりの表情をするセドリックに、エリンはぐっと拳を握って。


「……わかったわ、お父様。お姉さまとは、一言も喋らないようにするわ」

「すまない、エリン。頼んだぞ」


 安心したようにセドリックは息を吐いた。


◇◇◇


 セドリックの執務室を退室した後。


「ふんっ、誰が聞くもんですか」


 執務室の扉に向かって、エリンはあかんべーをした。

 父親の言いつけなどサラサラ聞く気がないという意思表示である。


「皆の前で、お姉様に恥の一つや二つかかせないと気が済まないわ」


 それは、エリンの確固たる決意であった。


 数日前、エリンはセドリックによって、何の前触れもなく大事なドレスや宝石を売り捌かれてしまった。

 そのことに、所有欲の強いエリンが激昂したのは言うまでもない。


 なぜこんな真似をしたのかとセドリックを問い詰めると、こんな答えが返ってきた。


 ──私は何も悪くない!! 全部全部! アメリアが悪いのだ!!


 プライドの高いエリンはセドリックに問題があると考えなかった。

 アメリアが嫁ぎ先の公爵家で不手際を働いて、その皺寄せが家に来たのだと考えた。


 すなわち、ドレスや宝石が売られたのも、屋敷での生活がひもじくなったのも。


(全部全部、お姉さまが悪いのだわ……)


 エリンはそう確信していた。

 自分の生活を脅かす諸悪の根源、憎しみの対象。


 そんな姉と会う絶好の機会に何もしないなんて、エリンには考えられなかった。


「さて、何をしてやろうかしら……」


 ニヤリと、エリンは口角を三日月のように釣り上げた。

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