第103話 アメリアの感覚
「落ち着いたか?」
「はい、なんとか……」
揺れる馬車の中。
ローガンの隣に座るアメリアが、鼻をすんすん啜りながら言う。
「驚きましたよ。アメリア様のあんな姿、初めて見ました」
「うう……お見苦しいところを見せてしまい、お恥ずかしい限りです……」
対面に座るウィリアムにも言われて、アメリアは今すぐに座席の下に隠れたい気持ちになった。
(最近、泣いてばかりだな、私……)
特に母のことが絡むと、一気に感情が込み上げてしまう。
我慢しよう、我慢しようと思っても涙が溢れてしまう。
へルンベルク家に来てから、自分の涙腺が弱くなっていることを嫌でも実感していた。
「でも、良かったじゃないか」
一瞬、言葉の意図を測りかねて、ローガンを見上げるアメリア。
「ちゃんと、泣けるようになったんだな」
「……はい、お陰様で」
実家にいた時は泣くことを我慢して、無理やり平静を保っていた。
感情を押さえつけ、辛いことも、悲しいことも、感じないフリをすることで自分を守っていた。
最近はその必要もなくなって、自分の感情を素直に出すことができている。
涙となって溢れるようになったのだろう。
そう考えると、良い変化なのかもしれない。
「それにしても、ライラはアメリアに、大きな恩が出来てしまったな」
ローガンの言葉に、アメリアは思い起こす。
アメリアが泣き止んだあと、ライラを家に残し、一向はへルンベルク家へと戻る流れとなった。
新薬によって紅死病の症状は落ち着いたため、もうアメリアたちにやることはない。
加えて、紅死病のライラたちに家族の時間をゆっくりと取ってほしいというローガンの配慮も大きかった。
『本当にありがとうございました、アメリア様! この御恩は、一生かけて返します……!!』
帰りがけ、ライラは何度も何度もアメリアに頭を下げてそう言った。
母の命を救ってくれた張本人なのだ、アメリアに対するライラの感謝は測りしれない。
「私としては、何か恩を返してほしいという気持ちはないんですけどね……」
「相変わらず、無欲だな」
「ライラさんが悲しい顔をしなくて済むなら、それで良いといいますか」
アメリアが言うと、ローガンは愛おしそうに目を細める。
「本当に、優しいんだな」
「そう、なんでしょうかね……?」
いまいち実感が湧かない、といった顔をするアメリア。
頃合いを見て、ウィリアムが言葉をかける。
「僭越ながら、アメリア様にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「は、はい! 私に答えられることなら……」
心なしか態度が仰々しくなっているウィリアムに、アメリアはしゃきんと背筋を伸ばす。
「なぜ、ザザユリに代用できる植物を導き出せたんですか?」
それはウィリアムがずっと疑問に思っていたことだった。
「新薬の開発といった、今までにないものを作り出す場面においては、先に仮説を立てて、その仮説を逆算、検証し、正解かどうかを導き出す手法が主流です。今回、アメリア様は数えきれないほどある植物の中から、ザザユリに代用できる植物はスーランである、という仮説を立てたのだと推測していますが、その仮説を立てることの出来た理由が知りたいのです」
「えっと………………」
アメリアは押し黙った。
ローガンもウィリアムも、固唾を飲んで次の言葉を待つ。
それからじっくり時間をかけてから、小さな口を開く。
「なんとなく、ですかね……?」
……。
…………。
………………。
ガラガラと、馬車の車輪が回る音だけが車内に響く。
「ライラのお母様を救いたい、その一心で、たくさんの植物の情報を読んで、考えてたら……頭の中がピカピカッとなったと言いますか……」
「ピカピカッ……ですか?」
「はい。元からあった植物の知識と、新しく本を読んで取り入れた知識、それらを繋ぎ合わせたら、ピカッと光る感じがあるというか……これだ! って、なるんですよね……逆にしっくりこないと気持ち悪いというか……」
困ったように眉を曲げて、アメリアはおろおろと視線を彷徨わせる。
「うう……うまく言葉に出来なくて申し訳ないです」
「いえいえ……お気になさらず。それにしても、ピカピカッ、ですか……」
アメリアのふんわりとした回答に、ウィリアムは真剣な表情をして黙考する。
「感覚とは、意識の範囲が及ばない複雑な論理に過ぎない……」
アメリアとローガンを見やって、ウィリアムは言う。
「その昔、テルラニアの数学者にヌージャンという男がいました。彼は数学に関して非常に特異な才能を持った人物で、数学者たちが何百年も頭を悩ませている未解決の数学問題に対して、一瞬で答えを見つけ出してしまうという、とんでもない天才でした」
真剣な表情で、ウィリアムは続ける。
「ヌージャンの特異な点としては、その答えの導き出し方にあります。なぜその答えを導き出したのか、理由を聞いても、彼は「神様が教えてくださった」とだけ言って、論理的な過程を口にすることはほとんどなかったと言います」
「そ、それは凄いですね……」
「はい。まさしく、先ほどのアメリア様の言葉に通じるものがあります」
自覚症状皆無で目を瞬かせるアメリアに、ウィリアムは続ける。
「当初は数学者たちも「そんな馬鹿な」と、彼が口にする答えを信用しなかったのですが、実際にその答えを元に途中式を組み上げると正解している……まさしく、天才でした」
尊敬と、どこか崇拝するような瞳をアメリアに向け、ウィリアムは言う。
「アメリア様も、ヌージャンと同じ素養を持っているのかもしれませんね」
「そんな、買い被り過ぎですよ……」
「買い被りではありません」
真剣な眼差しをアメリアに向けて、ウィリアムは言う。
「当初、私がアメリア様に正しい知識を教えるという話でしたが、とんでもございません。むしろ私の方こそ、アメリア様からたくさんのことを学ばせていただきたい。それほどの素養と知識を、アメリア様は持ち合わせています。カイド大学教授、ウィリアムの名にかけて、保証します」
ウィリアムの言葉にアメリアは腕を組んでうーんと唸る。
「やはりまだ、ピンと来てはいないのですが……ウィリアムさんにそう言っていただけるのは、とても嬉しいです」
褒められて照れ臭そうにするアメリアに、ウィリアムが手を差し出す。
「家庭教師としては役不足かもしれませんが……これからも、よろしくお願いします、アメリア様。」
「はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いします、ウィリアムさん」
ウィリアムの手を取って、アメリアは勢いよく頷くのであった。
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