第104話 ごほうび

 屋敷に着いてから、ローガンは一旦仕事に戻った。

 今日は途中で仕事を切り上げて合流したため、その分を取り返さなければならない、ということだった。


 その後、アメリアは『楽園』に戻って、ウィリアムに一枚の紙を渡した。


「これは、紅死病の……」

「はい! 新薬のレシピです。走り書きですが、その手順で作れると思います」

「……良いのですか?」

「と、いいますと?」

「私がこれを元に新薬を作って、開発者は私ですと言い張るかもしれませんよ?」

「そ、その発想はなかったです……!!」


 愕然とするアメリアに、ウィリアムは嘆息して言う。


「私に限ってそんなことはしませんが……もう少し、自分の作ったものの価値を正確に把握した方が良いかもしれませんね」

「うう……申し訳ございません……」

「謝るようなことではありませんが……」


 しょんぼりするアメリアを見るに、本当にその可能性に行き当たらなかったのだろう。

 胸に、骨がつっかえたような違和感をウィリアムは覚えた。


「なんにせよ、お譲りいただけると言うのでしたら、ありがたく頂きますが……」

「はい、どうぞ! 私よりウィリアムさんが持っていた方が、正しい使い方が出来ると思うので」


 屈託のない笑顔を浮かべて言うアメリアに、ウィリアムは小さく呟く。


「……本当に、不思議なお方だ」

「えっ?」

「いいえ、何も。では、今日は大学に戻ります。早速、このレシピ通りに薬を作らなければ……」

「い、今から作るのですか!?」


 アメリアはギョッとする。

 もうどっぷり夜は更けていて、普段ならそろそろ寝る時間であった。


「ええ、もちろん! ザザユリに代わる汎用植物を使用した、紅死病の特効薬なんですよ!? この薬を待っている人がたくさんいる……そう思うと、早く解析に移りたくて仕方ありません」


 興奮した様子で言うウィリアムを見て、アメリアは「流石ですね……」と感嘆の言葉を漏らす。


「アメリア様には敵いませんよ。ひとまず、この薬の今後については次回、訪問させていただいた際に説明出来ればと思います。重ね重ねになりますが、今日はありがとうございました」


 その言葉を最後に、ウィリアムは大学に戻っていった。

 ウィリアムは最後まで、アメリアに尊敬の眼差しを向けたままであった。


◇◇◇


 ウィリアムと別れてから、アメリアはローガンの執務室へ向かう。


「ローガン様、失礼します」


 机に座り、ローガンは物凄いスピードで書類仕事をしていた。

 アメリアを見るなり、ローガンはペンを止める。


「ウィリアム氏は帰宅されたか」

「はい、先ほど」

「応対を任せてしまって、すまないな」

「いえいえ、お気になさらず! それより、お仕事はもう大丈夫なのですか?」

 

 書類を纏め始めるローガンにアメリアが尋ねる。


「ああ、今日はこれで終わりにする」

 

 そう言ってローガンはこちらに向かってくる。


「とりあえず、座ろうか」

「はい」


 ローガンに促され、アメリアはソファに向かおうと……。


「はふ……」


 不意にふらついたアメリアの身体を、ローガンが抱き止めた。


「大丈夫か?」

「す、すみません……なんだか急に、力が抜けてしまって……」

「無理もない。たくさん、頑張ったからな」


 ローガンの言葉に、アメリアはこくりと頷く。

 今更ながら気づいたが、頭がずんぐりと重く、身体も鉛が乗っかっているような疲労感に包まれていた。


 紅死病の新たな特効薬を作るにあたり、書庫で多くの書物を読み漁り、頭をフルに回転させた。

 あの時、途方もないエネルギーを消費した。


 鼻からの出血も、頭の使い過ぎが原因だったのだろう。

 優しくソファに座らせて貰ってから、アメリアは口を開く。


「ローガン様、ありがとうございました」

「それは、何に対する礼だ?」

「最近、ローガン様が植物に関する本をたくさん購入してくれたおかげで、ザザユリの代用に、スーランが使えることがわかりました」


 スーランを導き出すにあたっては、既存の知識だけでは限界があった。

 ローガンがアメリアのために、植物に関する大量の本を書庫に仕入れてくれたことが、今回の発見に繋がったのは間違いない。


「ああ、そんなことか」


 偉ぶる素振りを一切見せることのないローガン。


「俺のしたことなんて、大したことない」


 真剣な表情をアメリアに向けて、ローガンは言う。


「アメリアは自分の知恵と知恵を使って人の命を救った。それでだけではない。今後、アメリアの作った新薬で、紅死病で苦しんでいる多くの人々を救うことになるだろう。その方が何倍も何百倍も凄いことだ。尊敬に値する」

「待って、待ってください」


 両手を顔の前で広げる、ストップのジェスチャーをしてアメリアは言う。


「そんな、急に褒められたら、私……」


 ほんのり恥じらいを浮かべ、声を揺らすアメリアを見て、ローガンは息の詰まったような顔をした。大きく深呼吸し、心を落ち着かせてからローガンは言う。


「なんにせよ、アメリアにはご褒美をあげないとな」

「ごうほうび……?」

「これだけ頑張ったんだ。何か報酬があったほうが良いだろう。何か欲しいものはあるか?」

「えっと……」


 急に言われても、基本物欲のないアメリアは何も浮かばない。


「なんでもいいんだぞ? 金でも、宝石でも、入手困難な植物の本でも……」

「入手困難な植物の本……!! それはとってもとっても、とーっても魅力的ですが……」


 でも、それよりも、腕の中に収めたいものがあるという直感があった。


(今、私が一番欲しいもの……)


 ぼんやりとした頭で考えていると、その心当たりに行き着いた。

 途端に、身体の温度が一気に上昇する。


 それでも、アメリアは浮かんだ言葉をそのまま空気に乗せた。


「また、抱き締めて……欲しいです……」


 朱色の顔をして言うアメリアに、ローガンは目を丸める。


「そんなもので良いのか?」

「私にとっては、それが今一番、欲しいものなんです……」


 言葉にすると余計に恥ずかしくなって、頬の赤が一層深みを増した。


「……そうか」


 ローガンの行動は早かった。


 ──ふわりと、甘い香り。


 そして、唇に柔らかい感触。


「──!?」


 ローガンに唇を奪われた、と気づいた時には、息遣いが聞こえる距離に整った顔立ちがあった。

 しかしそれは一瞬だった。


 二回ほど瞬きをする間に、ローガンはアメリアの口を解放する。


「……物欲しそうな顔をしていたから」


 金魚みたいに口をぱくぱくさせるアメリアに、ローガンが短く言う。

 心なしか、ローガンの頬にも赤みが差していた。


「……やっぱり、ローガン様はずるいです」


 ぷしゅーと頭から湯気を上げ、顔を伏せるアメリア。

 ローガンの方も勢いだったのか、次の言葉を探し損ねているようだった。


 しばしの無言の後。


「あの……ローガン様」

「……なんだ?」

「さっきのは一瞬過ぎてよくわからなかったので……もう一回、お願いしたいです」


 もうどうにでもなれと、アメリアはおかわりをねだってしまう。

 恥ずかしいとか、そういう理性は呆気なく吹き飛んでいた。


 ただただ、あの甘美で身体が蕩けてしまいそうな多幸感を味わいたい……そんな欲求に突き動かされていた。


「……ご褒美は、ご褒美だからな」


 低く、落ち着いたローガンの声にすら、心臓が跳ねてしまう。


 強く、暖かな手が頬に触れ、柔らかく引き寄せられた。

 再び訪れる、柔らかい感触。


 最初の触れるようなキスとは違って、今度はゆっくりと、語りかけるような口付け。

 それは、ローガンがアメリアをどれだけ大切に思っているのかを、心の深いところで教えてくれた。

 

 自然と、アメリアは目を閉じた。

 聞こえてくる自分以外の息遣い、頬に触れる温かい感触、とくとくと音を刻む鼓動の音。


 その全てを、ずっと感じていたい。

 胸の底から、アメリアはそう思った。


 しかし、幸せの時間は永遠には続かない。

 続かないからこそ、この一瞬が最上の幸せとなるのだ。


 どこか名残惜しそうに、ゆっくりと、唇が離れる。


「ローガン様……」


 アメリアが、ぽーっとした目をローガンに向ける。


「あいしてます」


 湿り気を帯びた唇が、心の全てを言葉にする。


「俺もだ、アメリア」


 思わずハッとするような、真剣な眼差しをアメリアに向けて、ローガンは言葉を紡ぐ。


「愛している」


 お互いの想いの証明は、その言葉だけで十分だった。

 幸せそうに笑みを溢して、ローガンに身を寄せるアメリア。


 そんなアメリアの肩を、大切な宝物を扱うかのようにローガンは抱いた。

  しばらくの間、そのまま二人は身を寄せ合っていた。

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