第88話 カイド大学教授 ウィリアム
昼下がりの一室、豪華なソファにはアメリアとローガンが並んで座っている。
その対面には、淡いブロンドの髪の男が紅茶に口をつけていた。
「この紅茶、美味しいですね。フェアリティーですか?」
男がライラに尋ねる。
「よくご存知ですね。こちらはフェアリティーの特別ブレンド、モーニングミストです」
「どうりで。とても香り高いと思いました」
男が言うとライラは微笑み、頭を下げて退出する。
「失礼しました、なかなか味わえない紅茶でして、つい」
「気に入ってくれたようで、何よりだ」
ローガンが言うと、男はアメリアの方を向いて口を開く。
「お初にお目にかかります、アメリア様。私は、王立カイド大学で教授を勤めております、ウィリアムと申します、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言って、男──ウィリアムは、恭しく頭を下げた。
ウィリアムは、端正な顔立ちとすらりとした体格を持つ高身長の男性だった。
しかし教授という肩書きの割に容貌は若く、20代後半くらいに見える。
長く金色の髪は整えられており、静かに輝く青い瞳にはモノクルがかけられているのも相まって聡明さが滲み出ていた。
しかしよくよく見ると目元には隠しきれないクマが刻まれており、日夜研究か何かに明け暮れ眠れていない気配を感じ取れる。
服装は教授らしく、深緑色のベストに黒のスラックス、そして白いシャツには黒いネクタイが調和を成していた。
「は、初めまして、アメリアです。ローガン様の婚約者を勤めさせていただいております……」
「婚約者は勤めるものじゃないと思うぞ」
「ああっ、ごめんなさい、そうですよねっ、失礼しました!」
ローガンの突っ込みに背筋がひやりとする。
基本的に屋敷外の人間と接触する機会のないアメリアは、ウィリアムを前にして絶賛緊張していた。
そんなアメリアに、ウィリアムは微笑ましげな表情を向けて言う。
「急なご訪問で驚かせてしまい申し訳ございません。厳かな格好をしていますが私はしがない学者に過ぎませんので、気楽にいきましょう」
「お、お気遣いありがとうございます……」
(優しそうな人だな……)
アメリアの、ウィリアムに対する印象はその一言に尽きた。
丁寧な言葉遣い、物腰の柔らかさ、そして会話に対する真摯な態度から、ウィリアムの礼儀正しさや他人を尊重する姿勢が垣間見えた。
そんなウィリアムをローガンが紹介する。
「ウィリアム氏はトルーア王国で最も権威あるカイド大学で教鞭を取る教授だ。紹介をしてくれたオスカーによると、なんでも一世を風靡する若き天才と呼ばれているらしい」
「身に余るお言葉でございます」
ウィリアムが頭を下げる。
驕った様子など欠片も感じられない、謙虚な所作。
「専門は植物の調合を主とした薬学で、数々の論文を発表しておりその学識は折り紙つきだ。国内で、彼以上に薬学に精通した者はそういないだろう」
聞けば聞くほど、ウィリアムの経歴の凄まじさに怖気付いてしまうアメリア。
「そ、そんな凄い方が、なぜこちらに……?」
アメリアが尋ねると、ローガンは口元に小さく笑みを浮かべて言った。
「今日からウィリアム氏はアメリアの家庭教師として、定期的に我が家に来てもらうことになった」
「えっ……」
ローガンの言葉にきょとんとするも、すぐに意味を飲み込んで。
「えええええっ!?」
応接間にアメリアの驚声が響き渡った。
「何を驚いているのだ? 専門家に教えを請いたいと言っただろう?」
「たたた確かに言いましたがっ、こんな凄い方をお呼びいただかなくてもっ……」
「それほど、アメリアのことを買っているということだ」
「お、お言葉は嬉しいですが、恐縮の極みと言いますか……」
ただでさえ自己評価が地に落ちている自分に、こんな凄まじい人が充てられるなんてと、アメリアの心はガクガクだった。
自分に対する期待値の大きさが不相応に感じて、プレッシャーで押し潰されてしまいそうである。
「アメリア様のことは、ローガン様からよく聞いています。なんでも、植物と薬学に精通した希代の天才だとか……」
穏やかに言うウィリアムだが、その瞳は値定めるように光っている。
「そそそそんな、私なんか……」
──『なんか』なんて言うな。
ハッと、アメリアは言葉を飲み込む。
──自らを貶める言葉は、自分の価値を下げてしまう。言葉や行動に自信がなくなり、物事が上手くいかなくなる。
先日、ローガンが自分にかけてくれた言葉を思い出していた。
(自分を否定することは簡単だけど……)
──だから頼むから、自分を卑下しないでくれ。アメリアは……充分に、凄いんだから。
(否定したら、ローガン様の気持ちを裏切ってしまう……それは、嫌……)
ぎゅっと、アメリアの拳に力が入る。
伏せ気味だった視線が持ち上がり、真っ直ぐウィリアムに向けて言う。
「天才……かどうかはわかりませんが、植物や、植物の調合による薬学周りの知識は多少、多い方かもしれません」
自信たっぷりとまではいかないものの、多少は肯定的な説明だった。
はっきりと自分の意思を以て紡がれた言葉は、しっかりと応接間に響く。
以前に比べ少しだけ自信を纏ったアメリアに、ローガンが少しだけ笑みを浮かべたような気がした。
「なるほど」
ウィリアムは表情を変えず、微笑みをたたえ穏やかな口調で尋ねた。
「では早速ですが、植物を用いた薬品調合について、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「は、はい。よろしくお願いします!」
スッと、ウィリアムのモノクルが光を帯びた。
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