第87話 ローガンのやきもち

「アメリア様? 急に俯かれて、どうされました?」

「ちょっと待って、今頑張って落ち着かせようとしているから……」

「は、はあ……」


 急に様子がおかしくなったアメリアに、ライラは首を傾げている。

 一方のアメリアは何度も深呼吸して平静を保とうと必死であった。

 

 生まれて初めて気づいた自分の趣向。

 その事実にアメリアは驚きと羞恥を禁じ得ない。


(ううう……やっぱりローガン様はずるい……反則すぎるわ……)


 普段はクールで落ち着いているローガンが見せた、力強さの象徴。

 アメリア自身、畳み掛けるようなギャップの魅力にやられてしまっていた。


「むっ、来ていたのか」

 

 アメリアに気づいたローガンが歩み寄ってくる。


「おはようございます、ローガン様」


 スッとライラが仕事モードの表情に切り替えて頭を下げた。


「お、おはようございます! すみませんローガン様、こっそり見てしまって……」

「別に隠しているわけでも無いから、気にするな。それよりも……」


 アメリアの顔をじっと見て、ローガンが怪訝に眉を顰める。


「顔が赤いぞ、大丈夫か?」

「はっ! えっと、あの……大丈夫です! 今日はなんだか暑いですね、あはは……」

「今朝からかなり冷え込んでいる気がするぞ」

「そんなことよりローガン様! さっきは凄かったです!」


 話題の舵を無理やり切ったアメリアが興奮気味に言う。


「あんな凄い戦い初めて見ました! 色々と感想を言いたいですが私の語彙じゃ凄いしか出てこなくて……とにかく凄かったです!」


 アメリアの絶賛に、ローガンは目を瞬かせた。


 しかし、ふいっと顔を逸らして。


「ローガン様?」

「なにも凄くはない。これでは、兄の足元にも及ばない」


 ぐっ……と、ローガンが剣を力強く握る。

 その瞳には燃えるような闘志と、ままならない悔しさが滲み出ていた。


 そんなローガンを見て、アメリアの胸の奥が擦れるように痛んだ。


「それでも……」


 気がつくと、言葉が出ていた。

 胸の前でぎゅっと拳を握り、真っ直ぐローガンを見上げてアメリアは言う。


「私は、凄いと思いました」


 その言葉に、ローガンは見開いた目を愛おしそうに細めた。


「アメリアには、いつも励まされるな……」


 ローガンの手がアメリアに伸びる。

 ぽん、ぽんと、優しく二度撫でられて、アメリアの顔がふにゃりと緩んだ。


「……ごほん!」


 リオの咳払いで、二人はハッとする。

 周りには幾人もの使用人たちが微笑ましげな顔を向けている。


 ライラに至っては口を手で覆って「きゃーっ」とでも言わんばかりの顔をしていた。


「……すまん」

「い、いえ! お気になさらず……」


 人前でするようなことではなかったと、ローガンは手を引っ込め頬を微かに赤くするのであった。

 その際、アメリアはリオと目が合う。


「リオも、カッコよかったわ!」


 アメリアが率直な感想を口にすると、リオはぺこりと会釈をして。


「ありがとうございます」


 短く言うだけであった。


(相変わらず、ローガン様以外には塩対応ね……)

 

 そんなことを考えていると、リオがローガンに手を差し出す。


「ローガン様、剣を」

「ああ、ありがとう」


 ローガンから剣を受け取るリオ。

 その時、アメリアが声を上げた。


「リオ! 手が……」


 見ると、リオの手の甲が腫れ上がっていた。


 先ほど、ローガンの一撃が入った時のものだろう。


「すまない、大丈夫か?」

「このくらい、唾でもつけておけば大丈夫です。それよりも、屋敷に戻りましょう。早く着替えなければ、風邪を引いて……」

「何言ってるの!」

 

 アメリアが声を張って、リオが目をぱちくりさせる。


「放っておいたらバイ菌が入って余計に腫れ上がっちゃうわ! ちょっと待ってて」

「えっ……ちょっ……」


 困惑するリオに構わず、アメリアは懐からガチャガチャと小瓶やら薬草やらを取り出した。


「そのドレスの収納はどうなってるんだ……?」


 ローガンが至極真っ当なツッコミを口にしている。


「えっと、確か……これね!」


 小瓶の一つを手に取り、アメリアは中の液体を自分の掌に流す。


「ちょっと触るわね」

「ア、アメリア様っ……!?」


 狼狽えるリオの手を取り、腫れた甲に液体を薄く伸ばすように広げた。


「大丈夫? 染みてない?」

「だ、大丈夫ですが、これは……」

「腫れを抑える薬よ。私、何もないところで転んだりするから、怪我した時のために持ち歩いてるの」

「い、いけませんよ! そんな高価なもの……!」

「大丈夫! 私が作ったものだから、気にしないで」

「作っ、た……?」


 何を言ってるのだろうと、リオがきょとんとする。

 休暇明けのリオは、アメリアの驚異的な調合能力について知らないようだった。


 液体を塗ったあと、アメリアは包帯を取り出しリオの手に巻こうとした。


「さ、流石にそれくらいは自分でやりますから……!!」

「ちょっ、動かないで。もう巻き始めたから、大人しくして」


 アメリアにそう言われたら、従者の立場のリオは口を紡ぐしかない。


「これでよしっ」


 あっという間に治療が完了し、リオの手に包帯がぐるっと巻かれた。


「あとは安静にしておけば、明日には治ると思うわ。間違っても、激しく動かしたりはしないでね」

「は、はあ……わかりました」

 

 まさか治療をされるとは思っていなかったのか、リオは茫然としていたが。


「その……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 にっこりと、アメリアは微笑んだ。

 役に立てたのなら嬉しいと、言わんばかりに。


「申し訳ございません、ローガン様。お世話になってしまい……」

「気にするな、これは自然現象のようなものだ」

「は、はあ、なるほど……」


 いまいち飲みこえてないリオであった。


「あ、そうだ!」


 良いことを思いついたとばかりに、アメリアがポンと手を打つ。

 それから先ほどガチャガチャ取り出した薬の中から、琥珀色の液体が入った小瓶を二つ取り出し、二人に渡した。


「これは?」

「気付け薬のようなものです! 疲労回復、滋養強壮、覚醒作用、あとは血の巡りを良くする効能とかが含まれています。ようはこれを飲むと、体力が早く回復しますね。お二人とも、たくさん動いてお疲れのようでしたから……」

「そんなものまで持っているのか」

 

 ローガンが驚いたように目を見開く。

 我ながら良いアイデアとばかりにアメリアはニコニコ顔だ。


「自分は大丈夫ですよ。さほど疲れてないですし……」


 アメリアのニコニコ顔にしょんぼりが差した。


「俺は飲むとしよう。せっかく、アメリアからもらった薬だからな」


 ローガンはリオに目配せする。

 意図を汲み取ったリオは小さく息をついた。


「……気が変わりました。やはり、少し疲れている気がするので、飲ませていただきたく思います」

「わあ、ぜひぜひ!」


 アメリアにニコニコが戻った。なんとも感情がわかりやすい表情である。

 それから二人は、小瓶の中身を口に流し込む。


「おおっ……」

「これは……」


 効果はすぐに現れたようだった。


「なんだか身体がぽかぽかする……」

「目が一気に醒めましたね」


 実感として現れた効能に、二人は驚きを隠せないようだった。


「ありがとう、アメリア。これで今日の仕事も集中して取り組めそうだ」

「重ね重ね、感謝します」

「いえいえ、どういたしまして!」


 二人に感謝されて、アメリアは笑顔を深める。

 それからすぐ、気を取り直すようにリオは言った。


「それではローガン様、屋敷に戻りましょう」

「わかった。だが、少しアメリアに話があってな。リオは先に戻っていてくれ」

「かしこまりました、では」


 リオが深々と頭を下げる。

 相変わらず淡々とした物言いだが……立ち去る寸前、少しだけリオの口元が緩んでいるように見えた。


「それで、ローガン様、お話とは?」

「ああ、そのことなんだが、その前に……」


 心なしか、少しムッとした表情でローガンは言う。


「親切をするために自然と身体が動いてしまうのだとは思うが……あまり、俺以外の男に軽率に触れるのは、誉められたものではないな」


 ローガンの言葉に、アメリアはハッとする。

 背筋に冷たいものが走って、慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません。つい……」

「いや、いい。それも含めて、アメリアの良いところだと思う。ただ人の目があるのと、あと……」


 言葉に詰まらせたようにして。

 僅かにアメリアから目を逸らしてから、ローガンは言う。


「多少だが、妬いてしまう」


 どくんっと、心臓が今日一番の高鳴りを見せた。

 先ほどローガンの戦いを見た時とも、チラリと腹筋が見えた時とも違う種類の、身体の芯ごと揺るがすような鼓動。


(な、なんなの、この気持ち……)


 困惑するアメリアに、ライラが小さな声で耳打ちする。


「アメリア様、これは嫉妬ですよ、嫉妬っ」


 ライラの声は弾んでいた。


「嫉妬……」


 言葉の意味は知っている。

 ただ、何事にも動じないクールで冷静なローガンがやきもちを焼いたという事実に、言葉に言い表しようのない熱い感情が誕生していた。


 ローガンも言葉にして気恥ずかしくなったのか、今まで見たことないほど顔を赤くしていた。

 その反応がさらに、アメリアの胸をかき乱す。


「……は、はい……気をつけます」


 もう色々な感情が身体中をぐるぐるして破裂してしまいそうだった。

 頭からぷしゅーと湯気を出し、アメリアはこくりと頷く。

 

 一連の流れを見ていたライラがまた「きゃーっ、きゃーっ!!」みたいな顔をしていたが、自分の感情を落ち着かせるのに必死の二人はもはや何も見えていない。


 沈黙に堪えきれず、アメリアが切り出す。


「と、ところでローガン様、お話というのは……」

「あ、ああ、すまない、そうだったな」


 咳払いをしたあと、真面目な表情に戻してローガンは言った。


「君に、会わせたい人がいる」

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