第89話 腕試し

「では早速ですが、植物を用いた薬品調合について、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」

「は、はい。よろしくお願いします!」

 

 スッと、ウィリアムのモノクルが光を帯びる。

 穏やかな物腰から一転、受験者を試す試験官のような表情。


「最初に、ルメリアンツリーの効能についてご存知でしょうか?」

「ルメリアンツリー……」


 小さく呟いてから、アメリアは答える。


「はい、ルメリアンツリーの効能は主に、疲労回復です。特にその実から抽出したエキスには強力な再生効果があって、疲れた体を癒すための薬として利用されます」


 アメリアの回答に、ウィリアムの眉がピクリと動く。


「ほう……」と、小さく言葉が漏れた。

「その通りです。よく勉強していますね」


 ウィリアムが言うと、アメリアはホッと胸を撫で下ろす。


「では次に、セレニウムモスについて教えてください。特に、この植物からどのような薬が作れますか?」

「えっと、セレニウムモスは、傷薬の材料として用いられます。花の部分から抽出した成分が、切り傷や擦り傷に効果的です」

「正解です。では最後に、ソリスタイル草の効能について教えていただけますか?」

「ソリスタイル草は……確か、鎮痛薬の材料となります。根っこから抽出した液体が有効成分で、痛みを軽減する働きがあります」

「……完璧です、言うことはありません」


 ぱち、ぱちと、ウィリアムが手を叩く。

 アメリアの肩から力が抜け、ソファからずり落ちそうになった。


「驚きました……最初の問題は基礎でしたが、二つ目と三つ目は大学の講義で教えるレベルの上級問題です」

「そ、そうなんですか? でも確かに、三つ目はちょっと難しかったかもしれないです」


 そうは言うものの、なんなく質問に答えて見せたアメリアにウィリアムは尋ねる。


「その豊富な知識は、どのようにして身につけたのですか?」


 一瞬、応接間に静寂が舞い降りた。ローガンが僅かに眉を顰める。

 アメリアの知識の起源について明かされるのは、今回が初であった。


「……母の、お陰です」

「お母様が、高明な学者様か何かだったのですか?」

「いえ、そういうわけではないのですが」


 遠い目をして、遥か昔を思い起こすようにアメリアは答える。


「私の母は、もともと植物が大好きな方でした。特に、植物を組み合わせて薬を作ることが大好きで……ただ、母の家は世界各国を回る商人だったので、その道に進む事は出来ませんでした。代わりに旅先で、母は薬学や植物に関する書物を見つけて持ち帰っていたみたいです」


 懐かしい思い出を語るように、アメリアの口元が穏やかに緩む。


「その書物は、どこの国のものとかは分かりますか?」

「えっと……確か、テルラニアやアリデスのものが多かったかと思います」

「テルラニア、アリデス……なるほど、両国とも、我が国に比べて医療や薬学が非常に進んでいる国ですね」


 顎に手を添えて、ウィリアムは深く頷く。


「結局、母は家のお金が足りなくなって、ハグル家の使用人に出されることになったのですが……その後、生まれた私に、母は自分の持っていた知識を教えてくれたんです。私の知識は母が持っていた書物と、母自身から教わったものが素になっています」


 ハグル家であった凄惨な日々の詳細は、ここで話すようなことではないと判断して伏せた。

 アメリアの話を真剣な面持ちで聞いていたウィリアムは、深く頷いてから口を開く。


「驚きました。家庭の範囲を遥かに超えた教育を施されたのですね……それで、お母様は、今どこで何を?」


 アメリアの瞳に寂寥が浮かぶ。


「母は……亡くなりました、10年前に」

「それは、お気の毒に……」


 ウィリアムが僅かに目を逸らす。


「いえ、大丈夫です。もう、心の整理はついていますので」


 そう言うアメリアに、続けてウィリアムは尋ねる。


「お母様がお亡くなりになってからは、主に本の知識で?」

「はい。本を読んで、庭に生えている植物で実験出来そうなものは実際に試してみたりして、繰り返していくうちに身につけていきました」

「なるほど……アメリア様は確か、17歳と聞いています。その歳でこれほどの知識と向上心を持っているのは……正直私も、襟を正される思いです」

「……ありがとう、ございます。そう仰っていただけると、母も喜びます」


 嬉しそうに言うアメリアを見て、ウィリアムは言葉を口にする。


「良い、お母様だったのですね」

「はい……本当に、素晴らしい母でした」


 それは、一切の疑いの余地もない事実だった。


 確かに、一夜の過ちはあったかもしれない。

 しかし母ソフィは、アメリアにそれ以上の愛情と、生きる術を与えてくれた。


 結局、ソフィは『当主に不義を働いた淫女』という汚名を着せられたままこの世を去った。

 唯一の味方だったのは、アメリアだった。


 だからだろうか。ウィリアムに母のことを称えられて、アメリアは自分事のように嬉しくなる。


(あ……いけない……)


 目の奥が熱くなって、思わず何かが溢れそうになる。

 ここで涙を溢すわけにはいかないと、アメリアは必死に堪えた。

 

 その時、ノックの音。


「失礼します、紅茶のおかわりを持って参りました。」

(ナイスタイミングよ、ライラ!)

 

 心の中で、アメリアはライラに親指を立てる。

 ウィリアムの意識が紅茶に逸れたのを見計らって、アメリアは心を落ち着かせた。


「ありがとうございます。おっ、このクリスパルの香り……アンバーリーフでしょうか?」

「正解です。香りだけでわかるなんて、本当に凄いですね……」

「取り柄のない特技の一つですよ」

「ご謙遜を。この紅茶は淹れる直前に蒸らすことでよりコクが深まりますので、少々お待ちくださいね」


 そう言って、ライラは紅茶をゆっくりと湯に浸し始めた。

 ライラに紅茶を準備してもらっている間に、ウィリアムが口を開く。 


「アメリア様の知識については把握しました。それを踏まえて、もう一つ質問をして良いでしょうか?」

「はい、なんなりと!」


 わくわくと、クイズを心待ちにする子供のような心持ちのアメリア。


「ザザユリとタコピー、そしてイルリアンの3種を組み合わせて、新たな薬を開発するとします。それぞれの成分が交互作用を起こすと予測されますが、その交互作用から何を期待できるでしょうか?」


 ウィリアムの質問に、アメリアはぱちぱちと目を瞬かせた。

 それから腕を組み、うんうんと唸る。

 

 過去の記憶の隅々まで遡るように天井を仰いでいたが。


「ごめんなさい……考えたのですが、わかりません……」


 俯き、しょんぼりして言った。


「特にザザユリは初耳の植物で、その他の二つもそれぞれ単体での効果しか把握してなく……本当にごめんなさい……」

「そんな、落ち込む必要はないですよ」


 ズーンと、この世の終わりみたいな顔をするアメリアをウィリアムが慌ててフォローする。


「この三つの組み合わせの薬はつい先日、我が国で開発に成功したものです。まだ一般には公開されていないため、アメリア様が知らないのは無理もございません」

「あっ……そうだったのですね……!! 良かったあ……」


 絶望から一転、アメリアは心底ホッとしたような表情をした。


「申し訳ございません、少し意地悪をしてしまいましたね。ですが、これで一つ、学ぶべきことがはっきりしましたね」


 ウィリアムが続ける。


「学問の世界では日夜、たくさんの研究者たちが新たな理を発見し、整えてから一般化します。まだ書物になっていない新しい調合方法や、新たな植物など……それらについて、お教えできればと思います」

「仰る通りですね……」


 アメリアが深く頷く。


「最先端の知識などはちんぷんかんぷんなので、色々とご教示いただきたいです」


 床に頭を擦り付ける勢いでアメリアが言う。

 まだ自分の知らない雑草の神秘を学べると思うと、ワクワクが止まらない。


 いつの間にか、胸の辺りがふわふわと高揚感に満ち溢れていた。

 その時、ライラがポットを手にやってくる。


「お話中すみません。アンバーリーフが蒸し終わりましたので、お淹れいたします」


 ライラが熟練した手つきで紅茶を注ぎ始める。

 ほんのりと甘い香りが空間全体を包み込んだ。


「ありがとう」


 ウィリアムが頭を下げ、カップを手に取る。

 アメリアも自分のカップに口をつけた。


 一口飲むと、アンバーリーフの香りが口いっぱいに広がり、その甘く爽やかな味が舌を撫でるように広がる。


 心地よい余韻が残り、思わず目を閉じてしまいそうだ。

 ウィリアムは紅茶を優雅に飲みながら、先ほどの植物知識について語り始める。


「ちなみにですが、ザザユリ、タコピー、そしてイルリアンの三つを組み合わせると、紅死(こうし)病を治療する薬が出来上がります」

「紅死病……」


 アメリアが呟く。

 ローガンも、ピクリと眉を動かした。


「ご存じですか?」

「あ、はい。確か、体に紅色の痣が出てくるのが特徴で、その痣が徐々に広がり全身が紅くなって……最悪の場合は命を落とすという病気ですね。特に、女性が罹りやすかったと思います」

「愚問でしたね」


 穏やかな笑みを浮かべ、満足そうにウィリアムは頷く。


「我が領地でも、その病に罹るものが増えていると報告を受けている」

「なるほど、そうでしたか……」


 ローガンの補足に頷いたあと、ウィリアムは続ける。


「紅死病は、全身に『赤い痣』が広がることから付けられた病気です。今まで紅死病の特効薬はなく、対症療法で症状を抑えるしかありませんでした。しかし、この新薬があれば、紅死病に苦しむ多くの患者さんを救うことが可能になるでしょう」

「それは、素晴らしい薬ですね……」


 ウィリアムの話に、アメリアは聞き入ってしまっていた。


「……まあ、この薬にも大きな改善点がありますが」

(改善点……?)


 ぽつりと溢れた言葉に引っ掛かりを覚えつつも、聞いて良いのか迷っている間にウィリアムが話を進める。


「今このタイミングで訊くのもなんですが、ゆくゆくはこういった薬の開発に関わりたい、という意志はアメリア様にございますか?」

「そう、ですね……」


 ちらりと、アメリアはローガンの方を見る。


「俺のことは気にせず、正直な胸の内を答えるといい」

「あ、ありがとうございます……」


 考える。

 自分が今まで学んできた植物の知識で、人の命を救う。

 

 それはとても素晴らしいことだと思うし、自分もその一助になれたらどれだけ嬉しいことだろうとアメリアは思った。


「植物を調合して薬を作るのは前々からやっていますし、好きなことなので……あと、やっぱり人の役に立ちたいという思いが強いので、最終的には関わっていけたら……と思います」

「なるほど、わかりました」

「私レベルで、お力になれるかはわかりませんが……」

「なれますよ」


 自嘲気味に笑うアメリアに、ウィリアムが即答する。


「少なくとも、現段階でカイド大学に入学できるほどの知識、知恵は持ち合わせていると考えています」

「そんな、買い被りすぎですよ」

「私は教授です、嘘はつきません」


 力強い、肯定の言葉に、アメリアは背中を押されたような気持ちになる。

 正直、不安でいっぱいだった。


 経歴だけ見ても凄まじいウィリアムの役に立てるかどうか。

 しかしその不安を、ウィリアム自身が払拭してくれた。


 胸に立ち込めていたモヤが、少しだけ取れたような気がした。

 すっと、ウィリアムが手を差し出してくる。


「これからどうぞよろしくお願いします、アメリア様」

「はっ、はい! ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」


 恐縮気味にウィリアムの手を取るアメリアは、内心高揚していた。


(これからも、植物の勉強がたくさん出来る……!!)


 ウィリアムが植物と薬学に関するエキスパートであることは、アメリアも深い造詣を持っている分、この短いやり取りの中で身に染みてわかった。


 国の第一線で活躍する知識人にマンツーマンで教えを乞うことが出来るなんて、学ぶ上ではこれ以上にない環境だ。


 今後、まだ見ぬ知と思う存分触れ合えると思うと、わくわくがとめどなく溢れてきて思わずにやけそうになる。

 こうしてアメリアはウィリアムに師事し、植物学と薬学をより深く学んでいくこととなった。

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