第81話 ローガンとクロード

 へルンベルク邸の応接間は王族関係者の訪問も想定しているのもあって、他の部屋と比べると一層絢爛な内装になっている。


 防音のため壁も厚く作られており、中での会話が外に漏れることはない。

 そんな部屋の中央、豪華なソファにローガンとクロードが対面で腰掛けていた。


「…………」

「…………」


 もう長い間、二人の口から言葉は出ていない。

 最初に軽くぶっきらぼうな挨拶は交わしたが、それっきりだった。


 おおよそ、久しぶりに顔を合わせる兄弟とは思えない重苦しい空気が応接間に漂っている。


「コ……コーヒーと、紅茶になります……」


 僅かに上擦った声で、ライラがテーブルに飲み物をセットする。

 二人から滲み出るオーラに圧倒されているのか、手つきも微かに震えていた。


 それを終えると、ライラは深々と頭を下げてそそくさと退室していく。

 クロードがコーヒーに口をつけるのを待って、ローガンもカップに手を伸ばす。


 兄弟とは言え、そこには見えない上下関係が存在していた。


「紅茶か」


 久しぶりに口を開いたのはクロードの方だった。

 ローガンのカップに入った焦茶色の液体を見て、鼻を鳴らすように言う。


「最近、凝っているんです。なんでも疲労回復の効果があるらしく、仕事が捗っています」

「ふん。相変わらず、面白みのない男だ」


 切り捨てるように言うクロードに、ローガンはぴくりと眉を動かす。


「……早く要件を言ってください。わざわざ嫌味を言うために来たわけでは無いのでしょう?」

「嫌味を言うためだけに来たと言ったら?」

「貴方に対する評価を下げるまでです」

「まだ俺に対する評価は下がる余地があったのか、嬉しいことを言ってくれる」

「紅茶を飲み終えたら、仕事に戻っていいですか?」

「不許可だ」

「では早く……」

「そう急かすな。『急いては事を仕損ずる』と言うだろう?」


 クロードはゆっくりとした所作で、胸ポケットからタバコを取り出し一本を口に咥える。


 すかさずローガンが、火をつけたマッチをクロードの口元に持っていった。

 特に礼を言うこともなく、タバコを蒸しながらクロードは話を始める。


「我が国が、ラスハル自治区への海外派兵を、もう何年も行っているのは知ってるな?」

「確か、兄上が派兵されている……」


 クロードが頷く。

 ラスハル自治区は、それぞれ異なる宗教を信仰する二つの国が、領土を巡って争いが続いている領域のことだ。


 攻防は一進一退を極め、地上戦はもちろんのこと、市街地でのゲリラ戦や指導者の暗殺などありとあらゆる手段が用いられており、戦況は泥沼化している。


 二つのうち一方の友好国であるトルーア王国が支援のため、何千もの兵をラスハル自治区に送っている、というのがローガンの持っている知識であった。


「我が軍はシルベルト派のゲリラ組織の鎮圧に手を焼いている。率直に言うと、そこでの戦況が芳しくなくてな。消耗線に入っていて、人員も不足している」


 淡々と情報を口にした後。


「そこでだ……」


 本題とばかりに、ローガンを見据えてクロードは言う。


「参謀として、お前を任命したいと思っている」

「参謀……ですか」


 訝しげにローガンは目を細める。


「と言っても、何も前線に着任しろという訳ではない。比較的後方の地で頭を使えば良いだけの話だ。そこで成果を上げれば、国内でのお前の評価は上がり、へルンベルク家としての名声も上がる。そう考えれば、楽な仕事だろう?」


 クロードの説明に、ローガンは眉を顰める。


「軍略についての学問は、基礎知識程度しか修めていませんが」

「本件の意思決定においては最も関係ないことだな。お前のその、『一度見たら忘れない記憶力』を使えば、すぐに専門家の仲間入りだ」


 タバコを指で挟み、ローガンに顔を近づけてクロードは続ける。


「俺はお前の、頭脳だけは買っている。トルーア王国第3師団団長、クロード・へルンベルク直々の頼みだ。光栄に思え」


 クロードの提案に、ローガンはしばし黙考する。

 しかしさほど時間を要さず返事を口にした。


「半年前にこのお話を頂いていたら、一考をしていたかもしれません」

「あの婚約者か」


 ぴくりと、ローガンの眉が動く。

 そのまま何も言わないローガンを見て、クロードはタバコを咥え直しつまらなそうに煙を吐いた。


「お前も、腑抜けたものだな」

「……アメリアは、関係ありません」

「どうだか」


 香のように立ち込めるタバコの香りに僅かに顔を顰めながら、ローガンは言葉を返す。


「その役割が必ず私じゃないといけない、という訳でもないのでしょう。貴方は私を、自分の目の届く場所に置いておきたい。ただそれだけだ」


 ローガンの言葉に、クロードがニヤリと口元を歪ませる。

 ジュッ……と、タバコを灰皿に押しつけて。


「今日はこのへんでお暇しよう。だが……」


 ぎらりと、クロードの瞳が獲物を捉えた肉食獣のように光る。

 瞬間、ローガンは咄嗟に頭を後ろに引いた。


 ぶおっと空気が音を立て、今しがたローガンの頭があった位置をクロードの拳が切り裂く。

 火の消えたタバコが宙を舞い、二人の視線が交差する。


 続け様に迫るクロードの第二撃をローガンは瞬発的に腕で弾いて防いだ。


「くっ……」


 重い衝撃にローガンの顔が歪む。

 二人が立ち上がるのは同時だった。


 すかさず目にも止まらぬ速さでクロードが蹴りを放った。


 ──ローガンの身体ではなく、テーブルに。

 

 けたたましい音を立ててテーブルがひっくり返る。


 回避行動が遅れたローガンの両脛に当たった。

 

 両足から力が抜けて重心の下がったローガンの腕をクロードが掴み、持ち上げた。

 宙を踊っていたタバコが、床に虚しく転がる。

 

 ふん、とクロードは勝ち誇った笑みを浮かべて口を開いた。


「腕が落ちたな。前までは5回は往復出来ていただろう」

「書類仕事に不意打ちは無いので」

「へルンベルク家の人間たるもの、不意打ちの二つや三つ対処できないでどうする。それに……」


 ローガンの腕を見てクロードは言う。


「なんだこの細腕は。これじゃ、あのひ弱な婚約者一人守れんぞ」

「……余計なお世話です」


 吐き捨てるように言うと、クロードはローガンを解放した。


「また会おう、我が弟よ」

「当分、お会いしないことを祈っています」

「そう言うな。神に見放されたら、流石の俺とて今生の別れかもしれないのだからな」


 冗談めかすように言った後、クロードは身を翻し、ドアへと向かう。


「ああ、そうだ」


 ぴたりと立ち止まって、クロードは言う。


「この屋敷の書庫に、そろそろ新しい本を仕入れろ。もう何度も読み返した本ばかりで、戦場の暇潰しとしては役不足だ」

「植物に関する本でしたら、最近大量に入荷しましたよ」

「植物だと?」


 クロードが訝しげに目を細める。


「最近、植物を愛する読書家が増えましたので。これを期に、学んでみては?」

 

 ローガンが言うと、クロードは馬鹿馬鹿しいとばかりにと鼻を鳴らして部屋を出ていった。


「どうか、ご無事で」


 後に残されたローガンは、誰にも聞こえないような声量でそう呟いた。

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