第53話 悪夢

 悪夢でも見ているのかと思った。


 目の前に、メリサがいる。

 可能であればもう、二度と会いたくなかった彼女が……。


「久しぶりね、アメリア」


 メリサは粘着質のある笑顔を浮かべて言った後、アメリアの全身をじろじろ見回し驚いたような表情をした。


 しかしそれは一瞬のことで、すぐに声を上げる。


「……っと、大変失礼いたしました、アメリア”様”。つい昔のよしみで」


 わざとらしく、メリサは口調を変えてきて言葉を続けた。


「今はへルンベルク家の夫人でしたよね? この門番さんに話をつけてくださいな。私はハグル家の人間で、当主に命じられて支度金の話をしに来た、と」

 

 当主、と聞いて父セドリックの顔が脳裏に浮かび心臓がヒヤリとする。

 

(ああ……そうか……)


 メリサは父に命じられて来たのだと、アメリアは理解した。


「諸事情あって、こちらは迅速に話をつけて戻りたく思うので、何卒」


 一刻も早く帰りたいというのは、王都で三日も油を売ったため流石にこれ以上時間はかけられないという完全にメリサ側の事情であったが、そんな事をアメリアが知るはずもない。


「あの……アメリア様、この方の仰っていることは事実で?」


 門番が尋ねてくる。

 自分がそうだと言えば、彼はおそらく通してしまうだろう。


 本来であれば、それは避けたい事態だった。


 自分にはその権限はない、念の為ローガンに確認を取るとでも言ってこの場から逃れる事が最善手だった。


 しかし、出来なかった。


 今、アメリアの頭は半分も回っていなかった。


 実家では、メリサの嫌がらせを耐えるため思考を停止し時間が過ぎ去るのを待つようにしていた。

 その癖が、メリサを目の前にして発症していた。


 その上メリサはアメリアにとって、“逆らえない相手”。


 実家で彼女から受けてきた数々の仕打ちがフラッシュバックのように蘇る。


 アメリアの意思とは関係なく、もはや刷り込みのように本能がこう悲鳴を上げている。


 ──逆らえない……怖い……。


 もしここで拒否してしまったら、どんな目に遭わされることか。

 内心のパニックを表に出さないので精一杯だった。


 何年もかけて刻み続けられた“他人の言葉”の呪縛は、アメリアに根深く絡みついていたのだ。


 極め付けは、こうなったのは自分が悪いんだという自責思考。


 メリサが来たのは支度金の事をローガンに伝え抜けていた自分が原因だという罪の意識も重なって、アメリアはこう答えてしまった。


「……はい、そうです。彼女はハグル家の侍女の方で……支度金のことでお話をしに来たのです」

 

 ニヤリと、メリサは満足そうに頷く。


「そうですか……でしたら問題ありませんね。ようこそへルンベルク家へ、お通りください」


 アメリアとメリサの関係など露知らない門番は、そう言ってにこやかに身を下げた。

 メリサの見かけは、侍女の格好をしたふくよかな女性。

 門番が警戒心を持てなかったのも無理はない。


「ありがとうございます」


 にっこりと表だけの笑顔を門番に向けた後、ズンズンとメリサがこちらに向かってくる。

 小柄なアメリアに対し、彼女の体格は横にも縦にも大きい。


 すぐ目の前に来るだけで相当な圧を感じた。

 後退りそうになるのをアメリアはなんとか堪える。


 ……しばし、間があった。

 

 メリサが言葉を発しようとしない。

 目線を下の方に向けて、何かに驚いているように目を見開いていた。


「……あの?」


 アメリアが声を発すると、ハッとしたようにメリサは表情を戻した。


「元気そうね、アメリア」


 門番から距離をとったことで、熱いドレスを脱ぎ捨てるように口調が元に戻った。

 なんという変わりの早さである。


「まだそんな薄汚いドレスを着ているの? せっかく公爵様に嫁いだんだから、ドレスの一つや二つ買ってもらいなさいよ」

「あはは……お恥ずかしい……」


 今日買ったと絶対に口にしてはいけないと、これまでの経験上アメリアは確信していた。


「というか、なんでいつまで経っても支度金が届かないのよ?」


 突然話を切り込んでくるメリサ。

 彼女から不機嫌オーラを感じ、アメリアは息を呑む。

 

「大変、申し訳ございません……私の伝達が抜けておりまして……」

「はっ、どうぜそんなことだろうと思ったわ。相変わらず本当に愚図ね」


 メリサが腕を組み、高圧的に言う。


「お陰ではるばる遣わされた私の身にもなりなさいよ。本当、いなくなっても迷惑をかけるなんて最悪だわ」

「重ね重ね……申し訳ございません」


 アメリアは一切の口答えをせず、ただただ謝罪を口にした。

 それが最善手だと、アメリアは知っていたから。


「ふん、まあいいわ」


 メリサがつまらなそうに言う。


「私が全部話をつけてあげるから。さあ、早く屋敷に案内してちょうだい。今日は一日王都で遊ん……じゃなくて、仕事をしていてクタクタなの。さっさと用件を終わらせて帰りたいわ」


 他家の、それも公爵家の敷地内で下手なことは出来ない事は、流石のメリサもわかっているようだった。

 何か腹の立つことでもあったのか、先程からイライラが積み重なっているような気もするが。


「はい、すぐに……屋敷はこちらになります」


 早くメリサから距離を置きたい。

 その一心で、アメリアは屋敷の方へ足を向けた。


 後ろを、メリサがついてくる。

 その圧によって、また何もないところで転びそうになる。


 肩を落としてとぼとぼと歩きながら、アメリアは心の中で大きな溜息をついた。


(……なんで私、こうなんだろう)


 せっかく、環境が変わって、ローガンやへルンベルク家の人たちに受け入れてもらえたのに。

 ローガンにお茶会の誘いを貰った際、“変わりたい”と強く願ったくせに。


 それなのに、実家の人間を目の前にするとこの有様だ。


(やっぱり私は……何も変わっていない……)


 自分の主張を押し出せず、他人の言葉に萎縮して流されてしまう自分に嫌気が差す。


 自己嫌悪がぐるぐると頭の中を回って、今すぐ消えてしまいたい気持ちになった。


「ところで」

「きゃっ……」


 突然、後ろから腕をぐいっと引っ張られた。

 抗えない力で、メリサの方に身体を向けられる。


 怯えるようにメリサを見上げるのと、彼女が言葉を口にするのは同時だった。


「それ、私にくれない?」


 メリサがずいっと指差す先には……アメリアの胸元で輝く、“クラウン・ブラッド”のペンダントが輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る