第51話 不本意だが

「本心を言うと、支度金なぞ払いたくないと俺は思っている」


 底冷えするような声で、ローガンは続ける。


「そもそも支度金は嫁入りの準備金だろう? 嫁入りに際してのドレスや身の回り品などを調達するための資金を負担する、というのが通例なのに、君の荷物はお世辞にも支度金を支払うほど準備をしたとは当然思えない」

「それは…………確かにですね」

「それに、だ……」


 苦笑を浮かべるアメリアに、ローガンは瞳に怒りを灯して言う。


「君が今まで家族に与えられてきた精神的苦痛や痛みを考えると、その上でなぜ金まで支払わなければならんのだ。むしろ払うべきはそっちではないか、という気持ちが沸々と湧いている。ああ本当に、考えれば考えるほど腹立たしい」


 握り拳を震わせ、徐々に声を荒げていくローガン。

 そんなローガンに対し、アメリアはふわりと微笑んで言う。


「私のために怒ってくれることは、とても嬉しいです……本当に、嬉しいです。でも……取り決めは取り決めですし、余計な確執が生まれるのも良くないと思うので……」

「ああ、わかっている。わかっているのだ」


 だからこそ、歯痒かった。


 立場関係なく、一度交わした契約を不義にするのは貴族社会では信用問題に関わる。

 公爵家という、王国の行政とも深い関わりのある家柄だと尚更だ。


 婚姻という重要な契約に際した決め事を覆す論理の持ち合わせは、今のところローガンにはなかった。


 今のところは。


「それに……この際、実家との繋がりはなるべく断ち切りたいので、お支払いした方がお互いにとっていいのかな、と思います」

「確かに…………それもそうだな」


 アメリアの言葉で、ローガンは徐々に落ち着きを取り戻す。

 

「まあそもそも、君の真の価値を鑑みれば、今回支払う額など小粒でしかないからな。逃した魚は大きすぎたことを後々知ると思えば、今回の支度金の額などたかが知れているだろう」

「そんな……買い被りすぎですよ……」


 相変わらず謙虚なアメリアだが、ローガンは確信していた。

 アメリアの本当の能力を知ったら、ハグル家の当主はさぞ悔しい思いをするだろうとローガンは想像する。

 

 だいぶ溜飲が下がってきた。


 深い深い息を吐いてから、ローガンは決断する。


「…………わかった、不本意だが、早急に支払いの手続きを進めよう」

「はい、よろしくお願いします」


 ぺこりと、アメリアはもう何度目かわからないお辞儀をするのであった。


 そうこう話をしているうちに、馬車はへルンベルク家に到着した。


 馬車を降りて空を見上げると、陽が沈むまではまだ余裕がありそうだった。

 相も変わらず元気な太陽が、へルンベルク家の白い屋敷を美しく輝かせている。


「俺は支度金の手続きと、残りの書類を処理するために部屋に戻る。君はどうする?」

「少し庭を散策してもいいでしょうか? せっかくの天気なので、お散歩をしたいと思います」

「もちろんだ。ここは君の家なのだ、好きにするといい」

「ありがとうございます」

「夕食の時間までには戻ってくるんだぞ」

「もう、子供じゃないんですから」


 くすりと笑うアメリアに、ローガンも少しだけ口角を持ち上げた。


「では、また」

「はい、お仕事頑張ってください」


 ローガンが背を向け、屋敷へと戻っていく。

 その後ろ姿を見送ってから、アメリアは「よしっ」と胸の前で拳を握りしめた。


 さて、お待ちかねの庭園散策だ……っと、その前に。


 周りに人気がいないことを確認してから。


「……えへへ」


 アメリアはこれでもかと表情をだらしなくして、首にかけられた“クラウン・ブラッド”のペンダントを手に取った。


「ローガン様からのプレゼント……」


 言葉にすると、にやにやが止まらない。

 ドレスも嬉しかったが、ペンダントはまた違った嬉しさがある。


 それに……。


 ──とても、よく似合っている。君の美しい赤髪にぴったりだ。


「〜〜〜〜〜っ」


 嬉しい、嬉しい、嬉しい!


 ぴょんぴょんと、思わずアメリアはその場で飛び跳ねた。

 

 ローガンのおかげで、ずっとコンプレックスだったちれじれの赤毛にも少しは自信を持てそうだった。


「はっ……」


(いけない、いけない。あまりにもはしゃぎすぎだわ)


 未だ胸の辺りでダンスを続ける『喜』の感情を深呼吸で宥めて。

 でも口元のニヤけはなかなか緩まなくて。


 仕方がないので最後にぎゅっとペンダントを握りしめ、大事な宝物を扱うように胸に抱いた。


 ……やっと落ち着いてきた。


(そういえば、石言葉が私にぴったりと仰っていたような……)


 結局聞きそびれてしまったが、気になる。

 夕食の時にでもお聞きしようと、アメリアは思った。


 存分にペンダントを堪能した後はしばらく、アメリアは庭園をぷらぷら散策した。


 数多の草花で彩られた底辺は広くて見応えがあって、最高の時間であったという事は言うまでもない。


 裏庭よりも広大な屋敷の前側の庭園は、正面の門から屋敷まではそこまでの距離はないが何せ横に広い作りになっておりとても一日では回りきれない。


 これから何日もかけて存分に散策できると考えると、ワクワクが止まらないアメリアであった。


 雲ひとつない空の端に少しずつ赤みが差してくる。

 一日歩き回って程よく疲労が溜まってきた。


 そろそろ屋敷に戻ってお風呂に浸かろうかなと考えながら、正面入り口付近に差し掛かったその時……。


「だから私は、ハグル家の使いの者と言ってるでしょう!」


 聞き覚えのある声が鼓膜を震わせて、アメリアの肩がびくりと震える。

 親に何度も叩かれ続けてきた子供が、誰かが手を上げるだけで思わず身構えてしまうような、そんな反応。


 恐る恐る声のした方へ視線を向けると、一人の女性が門番と言い合いをしている姿を視界に収めた。

 

「そうは仰いましても、本日は特にそのような者との予定は聞かされておりませんゆえ、そのままお通しするわけには……」

「こっちは急いでるの! 早く確認をとってちょうだい!」

「今もう一人の門番に確認しに行ってもらったので、もう少々お待ちください……」


 女性のシルエットには見覚えがあった。

 もう二度と見たくないシルエットだった。


 そして運の悪いことに……その女性と目があってしまう。

 

「あら、ちょうどいいタイミング!」 


 ひっ……と声が漏れそうになるのをすんでのところで飲み込んだ。


 呼吸が一気に浅くなる。

 全身の温度が急激に冷えていく。


 急激な胸の高鳴りの原因は──恐怖だ。


「久しぶりね、アメリア」


 女性──ハグル家の侍女、メリサは粘着質のある笑顔を浮かべて言った。

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