第43話 変わりたい
「見方を変えれば、此度の茶会は君にとって良いチャンスかもしれない、とも考えている」
その言葉に、アメリアはローガンの方を向く。
そしてすぐ、首を傾げた。
「チャンス……ですか?」
「そうだ、チャンスだ。君の悪い噂を払拭する、な……」
アメリアがローガンの言葉の真意を計りかねている間に、オスカーが紅茶セットを手に戻ってきた。
目の前に二人分の紅茶が並べられる。
こぽこぽと注がれる紅茶から漂う香りに、ざわめいていた気持ちが少し和らいだ。
「ありがとう、オスカー」
「どういたしまして」
オスカーはにっこり笑って一礼してから、後ろに下がった。
ローガンに促され、ふーふーしてから「いただきます」とカップに口をつける。
タージリンのマスカテルな香りが鼻腔をスッと抜ける。
舌先を伝って口内を豊潤な味が染み渡ると、思わず「ほ……」と息が漏れた。
(やっぱり、好きだなあ……)
しみじみと噛み締めながらカップを置いて、次の言葉を持つ。
ローガンも飲み終えてから、再び口を開いた。
「正直に言って、今の君は噂とは似ても似つかない人格者だ。茶会に行って、普通にコミュニケーションをとればすぐに誤解は解けるだろう」
「そう、でしょうか……? あまり自覚はないのですが……」
「その自覚が無いところも含めて、だな。少なくとも君は、傍若無人でも、我儘でも、ましてや人でなしでもない。むしろその逆だ。俺が保証する」
「それは、その……ありがとう、ございます」
ありのままの素の自分を、噂とは違う、むしろ逆の人格者だと褒めてくれて。
アメリアの心の中に言いようのない『喜』の感情が溢れ出た。
しかし一方で、その言葉にピンときていない自分もいた。
「……多少は礼儀作法というか、外での振る舞い方を学ぶ必要はあると思うがな」
「ゔっ……それは、お恥ずかしい限りです……」
「最初から出来る者などいない。何事も経験だ、出来ないことは学べば良い。優秀な君のことだ。さほど時を要さず一通りマスター出来るだろう」
「そんな……買い被りすぎですよ」
「買い被る必要もないほど自分の能力が高い事を、まずは自覚した方が良いな」
「うぅ……はい……」
肯定はしたものの、やはりピンとは来ていない。
それに、こうも褒めちぎられると胸の辺りがムズムズして落ち着かない。
今までこうして誰かに肯定されてきた経験が乏しい分、リアクションに困ってしまう。
気恥ずかしさを誤魔化すように、違う会話を口にする。
「でも、その……そもそも私、こんな見てくれですし……醜穢とか、骨とか、今まで色々……」
後半にかけて、アメリアの声が小さくなっていった。
こんな醜くてげっそりした自分がローガンの隣に並んだら、きっと恥を掻かせてしまう。
そう思うと、居た堪れない心地になった。
ぎゅっと、膝下でドレスを握り締めるアメリアに、ローガンは頭を掻いてから言う。
「もう一つ、君が自覚した方が良い点だが……」
「はい」
なんだろう、とローガンの次の言葉を待つ。
しかしなかなか切り出さない。
たっぷりと間を置いてから、ローガンは言葉を紡いだ。
「……君は、とても綺麗だよ」
ぼんっと、アメリアの頭上から湯気が噴き出した。
「そんな……ご冗談を……」
「本心だ。前にも言っただろう。君は今までの栄養状態が悪すぎたから、本来の姿が損なわれていただけで……本当はとても見目麗しいのだ。だから、自信を持て」
いつもより早口でローガンが言ってから、微かに目を逸らす。
彼が気恥ずかしさを覚えた時の動作だ。
慰めやお世辞ではない、本心で言っているのだと流石のアメリアもわかった。
「とても嬉しいお言葉……ありがとう……ございます」
また後半の声が小さくなる。
でも今度は、気恥ずかしさからだ。
自分の大きなコンプレックスとも言える容姿をローガンに褒めてもらえると、天にも昇ってしまうような気持ちになる。
顔に熱を感じる、自身の心臓の確かな高鳴りを感じる。
だけど、正直なところ先ほどと同様ピンとは来ていなかった。
ローガンからの評価を素直に受け入れるには、これまで浴びせられてきた心ない言葉の数々によるマイナスの力が強すぎた。
でも、だからと言って今までと同じように、「どうせ私なんて……」と下を向き続けるのも違うと思った。
ローガンの提案の意図はわかる。
彼の言うアメリアの自己評価が正しいのであれば出席し、周りの認識を変えるべきなのだろう。
(だけど、怖い……)
もし受け入れららなかったら?
もしまた、たくさんの人々に蔑まれ嘲笑されたら?
(そして何よりも……ローガン様に迷惑をかけてしまったら……?)
そんなネガティブな感情が胸中を泥のように振り潰す。
しかし、それらマイナスの感情を覆い潰すかのように。
心の奥底に眠っていた、熱い意志が姿を表した。
昔の自分には持ちようのなかった意志。
それは──このままではいけない、という強い思いだった。
(ああ、そうか……)
今、わかった。
先程の、心の引っかかり。
(私は、変わりたいんだ……)
まだ温もりを残したタージリンを見下ろして思う。
ローガンの趣向がコーヒーから紅茶に変わったような、些細な変化でも良い。
自分が動くことで、少しでも状況を変えたいと思った。
今までは、逃げて、周りに流されて、自分の意思を持たず状況が過ぎるのをただ耐えて待つだけだった。
今回のお茶会も、断って出席しない選択を取れば楽だろうし、自分は傷つかない。
それも一つの選択、だけど。
(私は、変わりたい……)
自分が何もしなかったら、何も変わらない。
他力本願なんあて運任せで、下手したらずっと良い方向には転ばない。
確かに勇気を出して一歩踏み出すのは怖い。
失敗したら、という恐怖もある。
けど……。
(今の私は、一人じゃない)
味方がいる、大切な人がいる。
昔の私じゃない。
へルンベルク家にやってきて、シルフィやオスカーという仲間ができて。
あの日、ローガンが頭を撫でてくれながら「俺は味方だ」と言ってくれて、確かに意識が変わった。
人は、どんなに辛い状況でも、誰か一人でも絶対的な味方がいれば頑張れる。
幼少期、母がいてくれたおかげで悲惨な扱いを受けながらも心が折れずに来れように。
それが、アメリアの意志への最後の一押しだった。
もう一度、今度は自分の思いを確かめるように。
(私は、変わりたい)
──頑張ってみようって、アメリアは思った。
「決めました」
アメリアが、ローガンを見て言う。
「私、行きます。お茶会、ぜひ参加させてください」
「そうか」
アメリアの瞳に確かな意志を感じ取ったのか。
ふ、とローガンの口元に仄かな笑みが浮かんだ。
「偉いぞ」
優しい声色。
ゆっくりと伸びた大きな掌が、アメリアの艶のある赤毛を撫でる。
優しく、宝物を扱うかのように、撫でる。
(ああ……もう……それは反則すぎます……)
普段、厳格でお堅い姿しか見ない分、こう、時たま見せる優しさにやられてしまう。
表情をふにゃりと柔らかくして、アメリアはしばらくされるがままだった。
「そうと決まれば、ドレスを買いに行かないとな」
二人、紅茶を飲み切ったタイミングで、ローガンが思い出したように言った。
「そうですね……え? ドレス?」
「当たり前だろう。まさか、実家から持ってきたドレスで参加しようとは思うまいな?」
「う……流石にそれは」
実家から持ってきたドレスはどれも擦り切れているし、色褪せているし、汚れているしで、とてもじゃないが公爵家主催の茶会に着ていくものではない。
(タイミングを見て、シルフィに見繕ってもらおうかしら……確か、日用品周りのお金はローガン様が出してくれると仰ってたような……お茶会のドレスは日用品に含まれるのかしら?)
そんな、バナナはおやつに含まれますか的なことを呑気に考えていると、ローガンが当然の流れと言わんばかりに言った。
「明日は一日、丸々休みを取った。せっかくなので、街の方に足を伸ばし買いに行くとしよう」
「え……つまり……」
とどのつまり、それって……。
(ロ、ローガン様と、お出かけ……!?)
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