第20話 その頃、実家では……
「支度金はまだ届かぬのか!!」
ハグル家の執務室に、セドリックの怒号が響き渡った。
「ええいどうなってる! もう五日だぞ! 五日!」
昔はそれなりに色男だったセドリックも、加齢と怠惰と贅沢には勝てない。
肥え太った身体をわなわなと震わせ、当てつけとばかりに側近を睨んだ。
側近は顔を硬らせ、怒声に耐え忍ぶしか無い。
セドリックが待ち侘びている支度金に関する情報は、側近すら何も得ていないのだから。
アメリアがヘルンベルク家に嫁いでもう五日が経つ。
あれだけすぐに支度金をと念を押したにも関わらず、未だ進捗報告の便りも無い。
ローガン公爵は非常に多忙な方で、国政絡みの重要な仕事に日々邁進されているというのは聞き受けている。
そのため、そもそも支度金のことを後回しにしている可能性が高い。
「だから、着いたらすぐに話せと念を入れたんだろうが……」
セドリックは忌々しげに拳を握り締める。
「愚鈍なアメリアのことだ、きっと忘れているに違いない」
あの穀潰しめ、とセドリックは言葉を漏らした。
本来であれば山に捨て置いていたはずの身を十七年間生かしてやったにも関わらず、なんて恩知らずな。
ただただ邪魔な存在だったのを、最後の最後に金という形で価値を与えてやったにも関わらず、それに背くとは。
アメリアが十七年間、どんな気持ちで過ごしてきたかなど微塵も興味のないセドリックは、ただただ怒りに震えていた。
「お父様ー!」
その時、執務室のドアを勢いよく開け放って愛娘のエリンがやってきた。
ふわりとした金髪を靡かせ、ドレスを慌ただしく揺らしながらセドリックの元にやってくる。
「こらこらエリン。入ってくるときはノックをしなさいと言っただろう」
「お父様、ごめんなさい。思わずノックを忘れてしまうくらい、大事な用事があったの」
うるうると瞳を滲ませるエリンを見て、先程までの怒りは何処へやら。
セドリックの口元が思わず緩む。
「そうかそうか、であれば仕方がないな。それで、大事な用というのはなんだい?」
エリンは良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりに瞳を輝かせた。
「お父様! 私、新しいドレスが欲しいの!」
「ドレス?」
「ええ! エドモンド公爵家のお茶会に誘われまして、それに着ていく新しいドレスを買いたいなと思って!」
「ああ、なるほど、ドレス、ドレスね……」
いつもならすぐさま「好きなのを買いなさい」と言うところだが、アメリアの支度金がまだ入っていないこともあり、セドリックは若干渋い顔をした。
「しかしエリン、ドレスは確か百着以上持っていただろう? その中のどれかを着ていくことはできないのかい?」
父の返答に、エリンは不満げに口を尖らせた。
「今あるドレスじゃダメなの! この前街に出かけた時に見つけた、今流行のシャレルのドレスがどうしても欲しいの! お父様は私に、由緒あるエドモンド公爵家のお茶会に流行遅れの芋っぽいドレスを着せて行っても良いって言うの!?」
瞳を潤ませキーの高い声を撒き散らすエリン。
アメリアに愛情を向けなかった分、エリンはそれはそれは大事に育てられ絵に描いたような我儘娘になってしまったが、侍女との不貞というどん底の折に天助のように誕生した娘にセドリックは盲目になっていた。
今回も娘のお願いに押され、セドリックはこくこくと頷いた。
「あ、ああ……わかった、わかった。お父さんが悪かったよ、好きなのを買いなさい」
その言葉にエリンはすっと涙を引っ込め、にっこり百点満点の笑顔でセドリックの肩に抱きついた。
「ありがとうお父様! だーいすき!! 愛してる! エリンの願いをなんでも叶えてくれる、世界一のお父様!」
「ああ、もちろんだよ。私も、エリンを愛している」
引き攣った笑みを浮かべるセドリックの頬に、エリンがちゅっとキスをする。
それだけで、セドリックは満足そうに頷いた。
「それじゃお父様、ドレスの件お願いね!」
エリンがるんるんとスキップしながら執務室を後にする。
愛娘に愛していると言われキスまで貰ってしばらくデレデレしていたセドリックだったが、じきにハッと我に返った。
「くそっ……マズいな……」
勢いで買ってあげると言ったが、正直なところ今のハグル家にそんな余裕はない。
エリンだけならまだしも、妻のリーチェも宝石集めが趣味の大概な贅沢者だ。
妻の宝石と娘のドレスで映えある我が家が破産など、醜聞にも程がある。
「どれもこれも、アメリアのせいだ!!」
深く考えることを放棄し、典型的な老害と化したセドリックは最終的にそう結論づけた。
ダンッと机に打ちつけた皺だらけの拳を、セドリックはぷるぷると震わせた。
「おい」
「はっ……」
一連のやり取りの中で空気と化していた側近に、セドリックは命じた。
「メリサをヘルンベルク家に遣いに向かわせろ。そして迅速に支度金を回収させてこい」
「しょ、承知致しました!」
苛立ちを隠そうともしないセドリックの気迫に、側近は逃げるように執務室を出て行った。
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