第19話 優しいお方
(早速やらかしてしまったわ……!!)
寝起きでびっくり仰天してヘッドボードに頭を打ち付けるという、どう見ても鈍臭い生娘のようなムーブをかましてしまった事にアメリアは焦りに焦った。
呼吸は浅く、冷や汗はダラッダラ。
寝起きということもあり軽いパニック状態である。
──そんなアメリアの姿を、ローガンは痛みに呻いていると勘違いした。
「大丈夫じゃ……なさそうだな。ちょっと見せてみろ」
ローガンが、アメリアに覆い被さるように身を乗り出す。
「あ……」
思わず声が漏れた。
ふわりと漂う、シトラス系の甘い香り。
鼻先をくすぐる銀の髪。
視界を覆うローガンの胸板は服の上からも隆起していることがわかる。
思いがけないゼロ距離に、アメリアの体温が急上昇した。
アメリアが打ちつけた箇所を、真面目な表情で見るローガン。
その様子たるや、ローガンがアメリアの頭を抱き締めているようにしか見えない。
バクバクと高鳴る自分の心音がローガンに聞かれていないかと、アメリアは気が気でなかった。
「ふむ……血は出ていない……切れてはいないようだな」
至近距離から聞こえてくるローガンの声に、バクバクに拍車がかかる。
もし切ってしまっていたら、アメリアは頭からぴゅーっと噴水のように血が吹き出していたことだろう。
「少し触るぞ……痛いか?」
「ぃぇ……」
緊張と羞恥から呟かれたアメリアの声は蚊の鳴くようなボリュームで、ローガンの耳に届かない。
深刻な顔で、ローガンは呟く。
「……念のため、医者を呼ぶか」
「いえいえいえいえいえ大丈夫です大丈夫です大丈夫ですから!」
こんなことでお手間をかけさせてしまうわけにはいけないと、アメリアは理性に鞭打って冷静さを取り戻した。
「少し打ちつけただけで、痛くはないです。本当に、大丈夫です!」
「しかし、先程は様子が変な気がしたが」
「それは、その……少し、驚いたと言いますか」
「ああ、なるほど……」
合点がいったという様子のローガンが身を引く。
「驚かせてしまってすまない。思わず触れてしまった、許せ」
「い、いえ……とんでもないです……」
むしろ、こちらこそ昨日に引き続きとんだ醜態を見せてしまい申し訳ない気持ちだった。
ぷしゅーと、アメリアの頭から湯気を吹き出す。
ふと、ローガンが何かに気づいたのか、じっとアメリアを見つめて言う。
「風呂に入ったのか」
「は、はい。シルフィ」
「なるほど」
少し逡巡するそぶりを見せた後、ローガンは一言。
「綺麗になったな」
また、心臓が跳ねた。
不意打ちによる驚きと、気づいてくれたんだと言う嬉しさ。
そして自分とは縁のないと思われていた言葉──綺麗だ──が、アメリアの胸の奥にじんわりと染み渡っていく。
(……ううん、思い上がってはダメよ)
アメリアは頭を振った。
ローガンはあくまでも衛生的なことを言っているのであって、容姿のことを言ってるわけではない。
きっと、そうに違いない。
今まで言われ続けてきた貶言で、アメリアは自分の容姿についてすっかり自信を失っている。
変な勘違いはのちのち傷つくだけと言い聞かせるものの……頬が緩むのを制御できない。
これはいけない、だらしのない顔にも程がある。
「ロ、ローガン様はなぜここに?」
話題を変えるべく、そもそもの疑問を口にする。
聞かされていた話だと、あと三日ほどは仕事が修羅場だと聞いていたのだが。
「様子見だ。午前の仕事が思ったよりも捗ったから、顔でも見ておくかと思って。次の予定もあるから、直に行かねばならない」
「なるほど……」
やや間があって、ローガンが続ける。
「昨晩の件もあったからな。多少は、な」
(ああ、そうか……)
僅かに目を逸らすローガンを見て、アメリアは思い至る。
(心配、してくださったのね……)
先程の頭を打ちつけた時といい、昨日の件といい。
この方は、第一に自分の身を案じてくれる。
その事実に、何故か瞳の奥が熱くなった。
「何をそんなにやけているのだ」
「いえ……ただ……噂とはあてにならないものだなと」
「噂?」
しまった、とアメリアは口に手を当てる。
「気を悪くされたら申し訳ないのですが……」
「良い。話せ」
逡巡した後、アメリアは口にする。
「……暴虐公爵」
ぴくりと、ローガンの眉が動く。
「ローガン様は……その、怒りっぽくてすぐ暴力を振るうことから、そのように言われているとお聞きいたしました」
「……なるほど、噂はそこまで発展していたのか」
「発展?」
「半分本当で、半分デマ、というところだ。あまりにも結婚をしたくなくてな。令嬢たちが結婚をしたくなくなるような噂をいくつか流したのだ。そのうちの冷酷、無慈悲、堅物あたりが曲解されていったのであろう。……まさか、女性に手を上げるとまで拡張されているとは、思いもしなかったがな」
「なるほど……そういう経緯があったのですね」
ふむふむと頷きながらアメリアは深く納得していた。
だって余りにも、ローガンの言動は噂とかけ離れていたから……。
ローガンは自重気味に続ける。
「頭が硬い、無愛想、冷たい、というのは事実だからな」
「い、いえ……!!」
アメリアが声を上げる。
「ローガン様は……とても優しいお方だと思います」
「……俺がか?」
「はい、とても」
ローガンの瞳をまっすぐ見て、アメリアは浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「こんな優しい方が旦那様で良かったと、心より思っております」
淀みないアメリアの断言に、ローガンは所在なさげに頭を掻いた。
「もの好きだな、君は」
「ローガン様ほどではありませんよ」
……そういえば、何故自分が指名されたのだろう。
そんな疑問が浮かんだと同時に、ローガンが尋ねてきた。
「しかし……よく嫁いできたな」
「え?」
「いくら公爵とはいえ、普通そのような噂が立っている男に嫁ごうとは思わないだろう?」
至極当たり前なローガンの指摘。
アメリアは俯き、言葉を溢した。
「……それしか、私に道はなかったのです」
纏う空気が明らかに変化したアメリアに、ローガンが眉を顰める。
「それは、どういう……」
──コンコンッ。
その時、ドアのノック音が部屋に響いた。
「失礼致します……おや、お取り込み中でしたかな?」
オスカーだった。
二人を見るやいなや、ニコニコではなく、ニマニマとした笑みを浮かべる。
「何も取り込んではいない」
「左様ですか」
オスカーは冗談めかしく残念そうにしてから、真面目な表情に切り替えて言った。
「ローガン様、そろそろ」
「……ああ、わかった」
すくりと立ち上がるローガンが、最後にアメリアの方を向いて言う。
「また、間を見て顔を出す」
「は、はい! ……あ、そうだ!」
アメリアはふと思い出し、ベッドから降りて戸棚を漁り、小袋を一つ取ってローガンに差し出した。
「これは?」
「タージリンという葉です。香りもいいので、こちらは紅茶にして飲むのが良いと思います。リラックス効果と疲労回復効果がありますので」
「ほう……」
思う、と表現したのは紅茶で飲んだことがないからだ。
実家にいた頃は紅茶を作る器具などなかった。
そのためアメリアは、疲労が限界になるたびにこの葉をバリボリと貪り元気を注入していたものだ。
「結構、お疲れのようでしたので」
ローガンの目元にできたクマを、アメリアは心配そうに見つめて言う。
その言葉に、ローガンは瞳を瞬かせていたが、やがてふっと小さく笑って小袋を受け取った。
「ありがとう……仕事の合間に頂くとするよ」
ローガンが言うと、アメリアは満面の笑みを浮かべて「どういたしまして!」と答えた。
そんなアメリアを見て、ローガンはぽりぽりと頭を掻く。
「では、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
ローガンが立ち去る。
短い時間だったが、ローガン様とお話ができてよかったとアメリアは思った。
気が抜けて、アメリアは再びベッドに身を倒す。
その後もしばらくの間、アメリアの体温はずっと高いままであった。
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