第15話 一夜明けて
(……なんだか、とても懐かしい夢を見ていた気がするわ)
ヘルンベルク家に嫁いだ翌朝。
自室のベッドの上で、アメリアは寝ぼけ眼を擦った。
どんな内容だったかは思い出せないが、母と遊んだような気がする。
上半身を起こし、「んー」と伸びをしてから、周囲を見回す。
「夢じゃ……ないのよね」
噛み締めるようにアメリアは言った。
これは、現実の話。
昨日まで、目覚めてもアメリアを出迎えるのは埃臭くて薄暗い家屋だった。
今アメリアがいる部屋は広く、清潔感もあり、何よりも明るい。
あまりの落差に、現実感が追いついていない。
だが、大きな窓から差し込むぽかぽかとした朝陽も、外からは聞こえてくる耳心地の良い小鳥のさえずりも、アメリアの五感が確かに捉えているものだ。
──夢じゃない。
その事実に、アメリアは深い安堵の息をついた。
「こんなに寝たの、いつぶりかしら……」
ベッドから降りて、頭が非常にスッキリしていることに気づきアメリアは溢す。
実家にいた頃は、簡易的で小さなベッドに薄っぺらいシーツを敷いて寝ていたため、非常に寝つきが悪かった。
背中が痛くなって夜中に目覚めることはしょっちゅう。
冬の寒い季節などは危うく凍死しかけたこともある。
なので、自分に充てがわれたこのふかふかで大きくて暖かいベッドはまさに天国としか言いようのない天国だった。
つまり天国。
「うふふっ」
ばふんっと、なんだか嬉しくなってベッドに身をダイブさせる。
柔らかい、ふかふか、まだ体温が残ってて温かい。
「うふふふふふふふふふ」
ごろごろごろごろと、大きなベッドを簀巻きを回すみたいに転がる。
(一度やってみたかったのよねこれ……!!)
以前、エリンに部屋を自慢された時に見た大きなベッドを見て、ゴロゴロ転がってみたら気持ちよさそうと思ったものだ。
数年越しに夢が叶って、アメリアのテンションが跳ね上がる。
故に、あまりにもはしゃぎすぎて目算を誤りベッドから墜落し「ぶうへっ!?」と変な声が出てしまったのは致し方がないことだろう。
「アメリア様、ご朝食をお持ちに……って、何をされているんですか?」
床に這いつくばるアメリアの姿はまるでトカゲのよう。
ちょうど朝食を持ってきたシルフィが不審者を見るような目になる。
アメリアは何事もなかったかのように立ち上がって、真顔で告げた。
「気にしないで。長年の夢を叶って、嬉しさを表現していただけだから」
「はあ、よくわかりませんが……とりあえず、ここに朝食を置いておきますね」
シルフィがテーブルにお盆を置く。
「朝ごはん!」
お腹をすかした子猫のように身体をスキップさせ、アメリアはお行儀よく席についた。
「あら、朝食は胃に優しそうなものばかりね」
水分をたくさん吸った粥に、小さめのサラダ、コンソメスープ、デザートにフルーツが添えられてある。
「旦那様の指示です。胃袋がびっくりしてしまうので、少しずつ慣らしていった方が良いだろうという」
(やっぱり優しいのね……ローガン様)
シルフィの言葉に、胸のあたりにじんわりと温かいものが灯る。
アメリアの口元がひとりでに緩んだ。
「昨日のように倒られたら困りますからね」
「その節はとんだご迷惑をおかけしました……」
「いえ、お気になさらず。……ご無事でよかったです」
少しだけ、シルフィは口角を持ち上げた。
優しい朝食を口に運びながら、昨晩の一幕を思い返す。
胃もそんなに強くないのにバクバクと料理を胃に入れて腹痛を発作させるなど、どこのわんぱく坊やの所業か。
完全なやらかしである。
(でも……今だに信じられないわね……)
腹痛を緩和するために使った自分の薬が、どうやら凄かったっぽい。
ローガンはアメリアが使った薬の威力に驚愕していた。
オスカー様に至っては、その薬は王都の最高クラスの品と言っていた。
(いまいち、実感がないわ……)
レタスを齧りながら、考える。
薬の調合は、アメリアの唯一と言っていい趣味だ。
母の教えと、書庫に並んでいた本の知識をベースに、母が残してくれた薬草の種を育て、それを離れの庭園に生えていた植物と色々組み合わせて作っている。
父に押しつけられた書類仕事以外の時間は全て植物採集と調合に時間を割き、自分の身体を使って実験に明け暮れ、効果の高い薬ができた時は手を叩いて喜んでいたものだ。
アメリア自身も、結構良い出来だという自負はあったが、まさかそれが公爵様もびっくり仰天な効力を持っているなど夢にも思うまい。
アメリアの調合スキルに関しては後日、ローガン様からヒアリングを受けることになっている。
(面倒なことにならないといいけども……)
母の言葉を思い出す。
──ここの人たちは……この魔法を悪用して、良くないことをするからよ。
今なら、その意味がわかる。
アメリアが望むのは、平和で気楽な日々だ。
自分の能力が、悪い方向に使われるのは真平ごめんである。
温かいスープを啜りながら、改めて思った。
「本日はどのようなご予定で?」
朝食後、シルフィに尋ねられた。
「予定……」
特に考えていなかった。
(そもそも……公爵様の奥さんって、普段何をしているんだろう……)
契約書では、特に仕事が課されるわけでもない。
つまり暇であった。
「あ! じゃあ是非ともお庭に! どんな草花がいらっしゃるのか、とても気になって……」
「いけませんよ」
目を輝かせるアメリアに、シルフィがぴしゃりと言う。
「昨日、お医者様に安静にしておきなさいと言われたじゃありませんか」
「う……そうだったわ」
「ローガン様にも、くれぐれも無理はさせぬようにと言いつけられておりますので、屋敷内で行動するようお願いします」
「……わかったわ」
しょんぼり肩を落とすアメリアにシルフィはくすりと笑って言う。
「そんなに落ち込まなくても、草花は逃げませんよ。三日ほど安静にしたら出歩いても良いと言われているので、その時は連れて行って差し上げますよ」
「!!!」
アメリアの表情にぱああっと満開の花が咲く。
「うん! 楽しみ!」
ほくほく顔のアメリアを見て、シルフィは内心で(単純だ……)と思ったのは言うまでもない。
「あ、そうだ……」
ふと、アメリアは自分の身体がじっとりと汗ばんでいることき気づいた。
そういえば、昨日は疲労でそのまま寝てしまっている。
「まず身体を拭きたいのだけれど、濡れたタオルとか、あったりする?」
アメリアの質問に、シルフィは瞳をきゅぴんと光らせた。
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