第3話 アメリアのお相手

「婚約……ですか?」


 アメリアは聞き返した。

 だってあまりにも、アメリアに馴染みのない単語だったから。


「そうだ。アメリア、我が家が陞爵を目指しているのは知っているであろう?」

「それは、存じ上げておりますが……」


 爵位がものを言う貴族社会にとって、陞爵は最大目標の一つだ。

 戦役で功績をあげたり、位の高い家に嫁いだりすること爵位が上がる。


 婚約というと、後者の手段とは思うが……。


(だとしても、なぜ急に……?)


 アメリアの現在の立ち位置は、非常に微妙と言わざるを得ない。


 元来、アメリアの出自は秘匿される予定だった。

 新婚早々、不義を働いた上に侍女を身篭らせたとなると外聞が非常に悪い。


 当時は、まだ赤子だったアメリアを秘密裏に山に捨て置かれる話まで出ていたが、ソフィアが身を挺してそれを阻止した。

 不義とはいえ、一度は身体を交えたソフィアの懇願(こんがん)にセドリックは折れて、代わりに親子ともども離れに押し込み存在を隠すことにした。

  

 しかし、噂とは蓋をしても隙間から出てしまうもの。

 セドリックが解雇した使用人から噂が広がり、アメリアの存在は周知の事実となった。

 

 結果、ハグル家の家名に傷がつき、先代の功績により決まっていた陞爵まで取り消されたのは言うまでもない。

 

 もはや、正妻の子であるエリンを立たせるために出来ることは、アメリアを出来る限り貴族社会から隔離し、彼女に関する悪評を流すことしかなかった。

 

 『伯爵令嬢にも関わらずロクに人と話さない無愛想な子』『我が儘で傍若無人』『貧民の子で学がない』『まともに文字すら書けない』『社交会にも出席しないのは、自身の醜い素顔を見せたくないという自分勝手な理由のためだ』


 大人たち(主にセドリック)の思惑によっていいように醜聞を流されるものの、幼きアメリアにはどうすることもできない。

  

 それらの醜聞は瞬く間に歪曲され、事実無根の様相を呈した。

 加えて、アメリアが十六になってデビュタントした際、その見るからに令嬢とは思えない貧相で骨と皮のように細い容貌を目にし、社交会の令嬢たちからは実しやかにこう囁かれることになった。


 『醜穢令嬢』『ハグル家の疫病神』『傍若無人の人でなし』『骨』などなど、と。

 

 もちろん、アメリアのデビュタントにあわせて出来るだけ容貌を醜く見えるよう、極端に食事も与えず、ドレスも買い与えず、化粧もさせずといった奸計(かんけい)の結果である。


 おかげで思惑通りアメリアの噂は地を這い、代わりに義妹のエリンがハドル家の花となった。


 そんな経緯があるからこそ、アメリアは婚約と告げられて信じられない気持ちでいっぱいだった。

 

 言葉を返せないでいるアメリアに構わず、セドリックは言う。


「相手は……ローガン公爵だ」

「ローガン、公爵」


 四文字の音が空気を震わせる。

 瞬間、堪えきれなくなったようにリーチェとエリンが吹き出した。


「ローガン公爵って……!! あの、”暴虐公爵”の!」

「そうですわお母様! 冷酷で無慈悲! 怒りっぽくて、すぐに暴力を振るう公爵! どんなに肝が据わった令嬢でも三日で音を上げるという噂!」

「ちょうどいいですわね! お姉様の腑抜けが直る良い機会だわ!」


 涙が出そうなほどの笑い声をあげる二人から伝わってくる情報に、アメリアはなんの反応も返さない。


 具体的な名を言われて、ようやく婚約の実感が湧いてきて──アメリアは、心の底から吹き上がる喜びが表情に出ないようにするのに必死だったのだ。


(やっと……やっと、この地獄から抜け出すことができる……!!)


 まさに青天の霹靂。

 アメリアは嬉しさで拳を震わせた。


 それを悔しがっていると受け取ったリーチェとエリンはご満悦だ。


「話は以上だ、アメリア。明日には迎えの馬車が来る。それまでに、荷作りを済ませておきなさい」

「明日、ですか……?」

「何か不満でも?」

「……いえ、ございません」


 不満も何も。


(最高、だわ……!!)


 アメリアの頭の中で、ラッパ隊が祝福の音色を奏でた。

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