第2話 アメリアのこれまで

 アメリアはいわゆる”望まれない子”だった。


 十七年前、ハグル家当主である父セドリックと侍女との不貞により誕生。


 セドリックは元々若い頃から女性関係で揉め事を起こす常習犯であり、結婚してようやく落ち着いたかと周囲が安堵していた矢先の不義だった。


 一夜の過ちとはいえ、伯爵家からハグル家に嫁いだリーチェにとっては最悪の出来事。


 セドリックは体裁を保つため、侍女の方から誘惑してきたの一点張りでその場を押し通した。

 元々、似たようなトラブルは過去に何度も経験済みで、口から出まかせで馬を濁すのはお手の物。 


 流石にしばらくの間、セドリックとリーチェはぎこちない夫婦生活を送っていたが、真相を知る使用人たちを一斉に解任した上に、(自称)改心したというセドリックの奮励甲斐ふんれいかいあって、少しずつ仲を持ち直した。


 アメリアが誕生して二年後に晴れてリーチェが懐妊し、ハグル家の正式な子が誕生したということで少しは溜飲が下がったのもあるだろう。

 誕生した子にはエリンと名付けられ、不貞を無かったことにするかの如く大事に大事に育てられた。


 一方の侍女──アメリアの母ソフィは『当主に不義を働いた淫女』という汚名を着せられ、離れの家屋にアメリアもろとも押し込まれた。

 商人の娘とはいえ平民の出で、半ば身売りのような形でハグル家にやってきたソフィには、他に身の置き所が無かった。


 離れでは軟禁生活のようなもので、本邸への出入りは禁じられた上に食事や寝床も粗末なものしか与えられなかった。

 しかもセドリックがソフィの有る事無い事を吹聴し回っていたため、それを鵜呑みにした新米の侍女からの嫌がらせは絶えず、辛酸を嘗める日々が続く。


 そんな状況に置かれても、ソフィはアメリアを大切に育てた。

 決して多くない食事をアメリアに分け与え、読み書きや社会常識、そして生きる術を教えた。


 それがソフィなりの、せめてもの罪滅ぼしであった。

 幸い、離れは書庫としても使われているのもあって教材には困らなかった。


 ソフィとアメリアは貧しいながらも、穏やかな日々を過ごしていた。

 しかしそれも、アメリアが七歳の時に終わりを迎える。


 ソフィが流行り病にかかり命を落としてしまったのだ。

 文字通りひとりぼっちになってしまったアメリアだったが、今更状況が良くなるわけもなく、むしろ悪化した。


 ソフィに向けられていた侍女からの嫌がらせは、まだ子供だったアメリアに向くようになった上に、敷地内を自由に歩き回れるエリンからの意地悪も絶えなかった。


 十七になる今日まで、アメリアを取り巻く環境は変わっていない。


◇◇◇


「遅すぎるわよ」

「……申し訳ございません」

 

 本邸にやってくるなり義母のリーチェに咎められ、アメリアは反射的に頭を下げた。

 応接間のソファには両親と、義妹のエリンが腰を下ろしている。


 アメリアは座る許可が降りず、立ったままだ。


 応接間の一番上等なソファに腰掛けるリーチェは、煌びやかな扇子をぱちんっと閉じてアメリアに向ける。


「それに、なんなのその薄汚れたドレスは? 本邸にはちゃんとした格好で来なさいと言いつけたはずでしょう? 絨毯じゅうたんが汚れたらどうするのよ」


 リーチェはそう言うが、今アメリアが着ているドレスが手持ちの中で一番マシなもの。

 そもそも妾子であるアメリアに、新しいドレスを買うお金など与えられるわけがない。

 リーチェも、そんなことは承知の上で言っているのだ。


 アメリアが不平不満を一言でも返そうものなら、”口の効き方がなっていない”と難癖つけてさらなる罵声を浴びせようという魂胆こんたんだろう。


 アメリア自身、これまでの経験でそれがわかっているからこそ、こう応える。


「……はい、返す言葉もございません。大変申し訳ございませんでした」


 アメリアがより深く頭を下げると、リーチェは忌々しそうに奥歯を噛み締めた。


「これだから貧民の子は……」


 憎しみのこもった声。

 もう何度も向けられた感情だ。

 もうすっかりと、他人からの憎悪には慣れ切ってしまった。

 だから心を無にして、思ってもないことを言える。

  

「お母様、許してあげて」


 隣に座るエリンが、リーチェを見上げて言う。


「アメリア姉様も努力はしているのだと思うの。ただ、ちょっとばかり物覚えが悪いだけで、それは貧民の血が入っているから仕方がないことだと思うわ!」

「あらあら、そうなのね」


 これまでアメリアに向けていたものとは一転、愛おしい我が子に向ける瞳でリーチェは頬を緩ませた。


「お姉ちゃんを庇ってあげるなんて、エリンは優しいわね」

「えへへ〜、それほどでもないよ〜」

 

 リーチェに優しく撫でられて、エリンはわざとらしく猫撫で声を漏らす。

 ちらりと、エリンがアメリアに目配せし勝ち誇ったように笑みを浮かべた。


 ずきんと、胸に小さく痛みが走る。

 アメリアは誰にも気付かれないよう小さく息をつき、二人のそばに控える父セドリックに尋ねた。


「それで、ご用件は何でしょうか?」

 

 途端に、場の空気がピリッと引き締まる気配を感じる。


「ああ、その件についてなんだがな」


 セドリックが書類を取り出して言った。


「アメリア。お前に、婚約の話が来ている」

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