第94話 アルクルム山地⑪

 最初に響いたのは、空気の凍てつくような音だった。音と共に現れたのは、いくつもの氷の槍だ。長さは1メートル程、太さはオレの拳よりも太いくらいの氷の槍が、坑道を埋め尽くす。


 氷という事は、アイリスの魔法なのだろうか?オレの疑問に答えるように、アイリスが腕を振り下ろすと、氷の槍群が音も無く高速で発射された。


「―――ッ!?」


 突然の事に驚愕するトータス、コボルトに氷の群れが襲いかかる。氷の槍は、コボルトの体を容易く貫き、トータスの頑強な体を、堅牢な鎧を削っていく。坑道にはガラスの割れる様な音がいくつも響いた。トータス、コボルトの悲鳴の類は聞こえない。ラトゥーチカの≪沈黙≫が、その効果を発揮しているのだ。


 氷の魔法を使っているからか、坑道に冷気のような白い靄がかかりはじめた。敵の血飛沫も混じっているのか、微かに赤い靄だ。


 その靄が突然切り裂かれる。刀を振ったかのように鋭く、真っ直ぐに。しかし、その正体は見えない。不可視の刃。リリアラの風の魔法だ。


 ≪風刃≫の魔法が、狙いすましたように、氷の嵐に動きを止めたトータスの首を刎ねていく。首を刎ねられたトータスの体から噴水の様に血が噴き出した。靄が更に赤く染まっていく。


 その時、氷の槍を全て発射し終えたアイリスが、両手を大きく広げた。更に何かするつもりだ。


 戦場を漂っていた靄が、まるで吸い込まれるように引いていく。靄が晴れて戦場が良く見える。トータス達が、その身を寄せながら、首を刎ねられた仲間の死体を盾に、氷の嵐を乗りきったようだ。


 靄はその濃さを増しながら、急速に一点へと集中していく。丁度トータスの集団の足元だ。靄が凝縮され、ピンクのピンポン玉ができあがった瞬間だった。


 坑道に巨大な氷の花が咲く。


 ピシッと凍てつくような音を走らせ、爆発する様にその姿を現したのは、いくつもの巨大なつららの集合体だ。先程は花と言ったが、海に居るウニの方がより近い。


 爆心地に居たトータス達は悲惨だ。鎧ごとその身をつららに貫かれ、今は氷の花を彩るオブジェになっている。「針山地獄」という言葉を思い出すような惨状だ。


 氷の花が咲き誇っていたのは、僅かな時間だった。たぶん3秒ほど。3秒後にはその姿は空中に溶けるように消えていく。まるで全てが幻であったかのようだ。


 しかし、空から降ってきたトータスの死体が、氷の花は幻ではなかったと教えてくれる。


 氷の花が消えた後、戦場に立ってる者は居なかった。そりゃね、あんな魔法を受けたら全滅だろうよ。


「突撃―!」


 マリアドネの号令が響く。でも突撃って何に?もう敵は居ないよ?あるのは死体だけだ。


 マリアドネの声に反応したのか、死体の山に動きがあった。嘘だろ。まだ生きてるのが居たのかよ。


 トータスだ。トータスが3匹、その身をぎこちなく起こす。体中のいたるところに氷が刺さり、血を流している。左腕が穿たれ、今にも千切れそうだ。後の2匹も同じようなものだ。トータスは満身創痍だった。


 これは戦力を追加しなくても勝てそうだな。相手は半分死んでるようなものだし。


 マリアドネが疾走する。誰よりも早くトータスの元にたどり着きそうだ。トータスが緩慢な動きで突き出してきた槍を躱し、大きく跳び上がる。高さよりも鋭さのあるジャンプだ。トータスの首目掛けて一直線に跳ぶ。


 マリアドネは剣を振るうと、トータスの胸に足で着地し、トータスの体を蹴るように後ろへと跳ぶ。そのまま空中で縦に一回転をすると、乱れも無く綺麗に着地した。


 マリアドネに蹴られたトータスの体は、そのまま後ろへと倒れていく。その首からは、今頃思い出したかのように血が噴き出した。まずは1匹。


 残りの2匹もほどなく片付くだろう。剥ぎ取りでも始めようかな、と一歩歩き始めた時だった。


 ピ――――――――――――――――――ッ!


 突然、笛の音が鳴り響いた。笛なんて優雅な音じゃない。鋭い汽笛のようなホイッスルの音だ。


 ピ――――――――――――ッ!


 またホイッスルが鳴る。出所はどこだ?


 その時、エバノンが坑道の壁に向かって矢を放つのが見えた。


 ピ――――――ピッ!


 エバノンが矢を放つと、一度高く鳴り響いてホイッスルが鳴り止む。


 矢が放たれた壁を見ると、そこには小さな死体があった。コボルトだ。右足を失い、腹にも穴が穿たれ、脳天に矢を受けた死体。そのコボルトの口から何かが零れるのが見えた。見慣れた金属製の笛だ


 コボルトの死体を漁ると、たまに持っていた金属製の笛。それを吹いたのだろう。


 何でだ?ラトゥーチカの≪沈黙≫の魔法が効いてるはずなのに、何故笛を鳴らすことができたんだ?魔法の効果が切れたのか?


 いや、残った3匹のトータス達は声を発していなかった。魔法は確かに効果を発揮していた。


 ひょっとして、笛だから『沈黙』の効果が無いとか?


 オレの目は、いつの間にか答えを求めるようにラトゥーチカを見ていた。


 ラトゥーチカはオレの視線を受けてコクリと頷く。


「笛は、ダメ…」


「そっかー…」


 ダメか―…。≪沈黙≫の魔法は、相手の声を奪う魔法だ。音を奪う魔法ではない。奪うのは声だけだ。


「いや、それよりも…」


 原因究明は後でもできる。今は……。


 ピ―――――――ッ!


 またホイッスルの音がが響く。だが、音源は此処ではない。何処か違う場所だ。


 ピ――――――ッ!ピ――――――ッ!ピ―――――――――ッ!ピ―――――――――ッ!ピ―――――――――ッ!ピ―――――――――ッ!ピ―――――――――ッ!ピ―――――ッ!ピ―――――ッ!ピ―――――――ッ!ピ―――――――――ッ!ピ―――――――ッ!ピ――――――――ッ!ピ――――――――ッ!ピ―――――――ッ!


 ホイッスルの音が、連なり、重なり、坑道内に溢れ出す。


 そこら中からホイッスルの音が聞こえる。これってもしかしなくてもマズイ状況じゃない?


 このホイッスルにどんな意図があるのかは知らない。けど、薄々は分かる。これってたぶん警報だ。敵を見つけた、もしくは何か異常があった事を知らせるサインだと思う。


 オレ達は隠密行動を心掛けてきた。それは此処が敵地だからだ。敵がわんさか居る。敵にオレ達の存在が知られたら、数の暴力で捻り潰されてしまう。だから≪沈黙≫の魔法を使って、敵が仲間にオレ達の事を知らせないようにしてきた。


 でも知られてしまった。


 ホイッスルの音がピタリと止まる。あれだけ騒がしかったというのに、今は静寂が坑道を包んでいる。何故か不安になる静寂だ。


 鳴り響いていたホイッスルは、異常があったことを周知する為だろう。それが止んだ。異常の周知が済んだのだ。次に敵の取る行動は……。


「撤退ッ!」


 静寂を破り、マリアドネが宣言する。


「撤退です!走りますよ!アル!白虎様を!」


「了解!」


 オレはマリアドネの指示に弾かれた様に動き出す。


「出でよ!白虎!」


 白虎を召喚し、近くに居たリリアラとラトゥーチカを抱き上げた。


「きゃ…!」


「レディーはもっと丁寧に扱いなさいよ!もてないわよ!」


 リリアラの文句を切り捨て、オレは走り出す。


 後ろから白虎の咆哮が聞こえた。自分達の居場所を敵に知らせるような行為だが、もうバレているのだ。今更構うもんか。それよりも一時でも早くこの場から逃げなければ!


 咆哮の声の圧に、体がつんのめりそうになりながら、オレはひたすら走った。

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