第92話 アルクルム山地⑨

 トータスが左腕を大きく振りかぶった。狙いはマリアドネとホフマンだろう。薙ぎ払うつもりだ。


 マリアドネとホフマンはトータスの懐に入ろうと飛び込んだところだ。鋭い飛び込みだが、来ると分かっていれば的でしかない。前傾姿勢で勢いのついた体は急には止まれない。回避は難しいだろう。


 トータスはその巨体に相応しく膂力に優れる種族だ。それは先程の重いハルバートの一撃を見れば分かる。


 このままでは、マリアドネとホフマンはトータスの左腕に薙ぎ払われてしまう。勢いのついた2人の体に、トータスの重い一撃がカウンターのように炸裂する。


 その瞬間、振り下ろされるトータスの左腕と2人の間に影が飛び込んでくる。ハインリスだ。ハインリスが盾を構え、トータスの腕を迎え撃つ。


 重苦しい音を立てて、ハインリスの構える盾とトータスの左腕がぶつかる。両者は一瞬の硬直の後、トータスに軍配が上がる。トータスの腕力の前に、ハインリスの体は吹き飛ばされてしまった。


 だが、ハインリスが作り出したその一瞬を見逃さなかった者がいる。ホフマンだ。ホフマンがそのバカでかい大剣をトータスの左腕に振り下ろした。


 不思議と音は無かった。気が付いたら剣を振り下ろしたホフマンと、左腕を半ばから失ったトータスがいた。遠くの方に切り飛ばされた左腕がドチャッと落ちる音が妙に印象的だった。


 トータスが悲鳴を上げているのだろう。しきりに口を開いているが、その声が聞こえる事は無い。アイリスの≪沈黙≫の魔法だ。


 左腕を失い、形勢不利を覚ったのか、トータスが走り出した。逃走するつもりだ。出口であるこちらに突っ込んでくる。


 その亀の様なもしくは鳥の嘴の様な口をしきりに動かし、半ばから失った左腕を振り回し、必死の形相だ。いつの間に右腕に持っていたハルバートが無い。その右腕も太さが半分になった歪なものだった。たぶんマリアドネが削いだのだろう。エグいことをする。


 武器を失い、両腕も失ったと言って良いトータスだが、突っこんで来ると怖い。その巨体はそれだけで十分な脅威だ。トータスの足に2本、3本と矢が生える。エバノンがトータスを止めようと射っているのだろう。しかしトータスは矢など意にも介さずこちらに突っこんでくる。


 このままではトータスに轢かれてしまう。逃げようと思ったところで、横に居たアイリスが腕を振り上げるのが視界の端に見えた。


 ピシッと何かが凍り付くような音を立てて、トータスの真下から巨大な氷のつららが生え、トータスを貫いた。


 その直後、また視界が歪んだと思ったら、トータスの首が落ちた。その断面は鋭利な刃物でもこうは切れないというほどまっ平らだ。リリアラの魔法だろう。すごい切れ味だ。


「はい、おわりおわりー」


 リリアラの緩い声が響き、戦闘の終わりを告げる。


「はー…」


 オレは太い息を漏らした。いつの間にか体に力が入っていた。短い戦闘をただ見ているだけだったというのに、なんだかちょっと疲れた気分だ。


「最後良く逃げなかったわね。偉い偉い」


 リリアラが頭をぺチぺチと叩いて褒めてくれるが、そこを褒められてもなぁ。たぶんオレの頭を叩きたいだけだろう。リリアラがオレの頭をぺチッぺぺチぺチとリズミカルに叩き始める。痛くはないけど、止めてくれ。


「お~ああ~お~、ふーっ!」


 オレの頭を叩くリズムに乗って歌い始めたリリアラを無視して、オレはトータスの死体へと近づく。トータスの死体は地面から生えた氷のつららに貫かれ、直立していた。近くで見ると大きい。頭を入れれば2メートル半はあるだろう。こんな化け物とやり合うなんて、前衛の胆力ってすげーな。


 トータスの威容もさることながら、オレとしてはその鎧の方が気になる。トータスは直立した亀の様な姿をしているが、その甲羅は生来の物ではない。金属でできた鎧だ。鎧は全体的には黒っぽく、青緑色の部分もある。何の金属でできているんだろう?トータスを見に来たのか、近くに居たライエルに訊いてみる事にした。


「ライエル、これって何の金属?」


「ブロンズだ。下っ端だな」


 ライエルに言われて思い出す。ブロンズか、確かに銅像とかこんな色してたわ。


 ライエルが下っ端と言ったのは、このトータスの鎧がブロンズ製だったからだ。トータスはその鎧を見れば大体の地位が分かる。貴金属になればなるほど偉くなる感じだ。ブロンズは一番下である。確かブロンズ、ブラス、アイアン、カッパー、シルバー、ゴールドの順番だ。更に上にはミスリル、オリハルコン、アダマンタイトが居る。


 トータスの巨体を覆う亀の甲羅の様な鎧は、当然巨大だ。しかも分厚い。トータス1匹倒すだけで、かなりの分量の金属が入手できる。トータスが「生きた鉱脈」と呼ばれる所以だ。今回はブロンズが大量に手に入ったわけだけど……。


「これって持ち帰った方が良い?」


「持って帰れるのか?」


 ですよねー。ブロンズが大量に手に入ったは良いけど、持ち運ぶ手段が無い。トータスの鎧は大きい。大き過ぎるのだ。持ち運べないほどに巨大な金属の塊なんて、手に入ったとは言えない。


「はぁ…」


「そうしょげるな。所詮はブロンズだ」


 確かに単価で言えば銅や鉄の方が高いけど、この量だ。売ればかなりの値段になるだろう。それを捨てていくのは……でも仕方ないか。これが金や銀なら無理してでも持っていくところだけど、ブロンズだし。


「はぁ…」


 また溜息が漏れる。


「ほら、元気を出せ。少しは頭の上の嬢ちゃんでも見習うんだな。ガッハッハ」


 ライエルに背中をバシバシ叩かれる。けっこう痛い。


「おういえ~」


 頭の上のリリアラは絶好調だ。




 気を取り直して、オレはコボルト達の身ぐるみを剥いでいく。リリアラには肩車から降りてもらった。リリアラは不満そうだったけど、刃物とか使うからね、普通に危ない。


 コボルトの持ち物を漁り、死体を漁り、金目の物を拾っていく。あまり気分の良い仕事じゃないけど、オレは戦闘には参加していないので、せめてこれくらいやらないとな。

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