第88話 文字
「えーっと、ここで丸書いてぐにょぐにょぐにょ。三日月に太陽……」
自分でも意味不明の文言を唱えつつ、手に持った木の枝を動かして地面に線を描いていく。別にラリってるわけでも、頭がおかしくなったわけでもない。これは文字の練習だ。
此処は城塞都市ハーリッシュの外、門を出たすぐ脇。道行く人々に不審者を見るような目で見られながら、オレは地面に文字を書いていく。そうだね、腰ミノを巻いた裸の男がブツブツ言いながら地面に何かを描いているのだ。どう見ても不審者である。しかもこの男、全身を骨のアクセサリーで飾り、尚且つ全身に禍々しい刺青までしているのだ。見る人が見れば、邪悪な背信者の邪悪な儀式に見えるのだろう。もう3回も衛兵に通報された。勘弁して欲しい。
何故オレが外で地面に向かって文字の練習をしているのかと言えば、筆記用具の持ち合わせが無いからだ。
オレも文字を勉強するのに筆記用具を揃えようと思ったよ? ノートと鉛筆、消しゴムで銅貨数枚あれば足りるだろうと思ったら、そんな物はこの世界には無かった。有るのは羊皮紙と羽ペン、インク壺である。しかも羊皮紙とインクがべらぼうに高い。ボッタクリかと思うくらい高い。切れ端であろう歪な形の小さな羊皮紙でも銀貨を持っていかれる。
買えなくはない。買えなくはないけど、アルクルム山地で得た稼ぎの半分を失いそうだった。文字を習う為とはいえ、今は懐が潤っているとはいえ、流石にそこまで散財できない。
考えたオレは、人々の奇異の目に晒される事も覚悟して、この場で地面に向かって文字の練習をしているのである。これなら金は掛からない。良い考えだと思ったんだけどなぁ……流石に通報までされるとは思わなかった。
「はい。お上手です。では今書いたものを消して、もう一度書いてみましょう」
「はい」
<堕ちた聖女>メアリアリアの優しい声に従い、一度地面を均してオレの書いた文字を消す。そして、メアリアリアの書いてくれた見本を見ながら文字を地面に書いていく。
これがオレの考えた文字を覚える為の秘策だ。
英霊の持つ力はその武力だけじゃない。その知識も大きな力だ。オレは英霊に文字を教えてもらおうと思いついたのだ。
聞いてみたら、英霊の大半が文字の読み書きができるとのことだった。むしろ読み書きできないのは少数派だということに驚いたね。随分前に、読み書きができない人はけっこう居ると聞いた覚えがあるんだけど……間違った情報だったのかもしれないな。
オレは数居る英霊の中でも、メアリアリアに文字を教えてくれるように頼んだ。だって美人だし、優しそうだから。美人の教師とか一種の憧れだろ? どうせなら楽しく勉強したいじゃん?
メアリアリアは快く引き受けてくれた。予想通り優しく丁寧に教えてくれて大満足だ。マリアドネにも文字を習っているけど、アイツわりと厳しめだからなぁ……。いや、教えてくれるだけで嬉しいんだけどさ。
でも、マリアドネにはいつでも教えてもらえるわけじゃない。マリアドネにも時間の都合というものがある。オレの好きな時に学べるのは英霊に習う利点だと思う。それに、マリアドネの負担が減るのも大きい。人にものを教えるのって案外大変なのだ。
なんだか英霊に習うのって利点しかないな。もっと早くこの方法に気が付けば良かったと切に思う。文字どころかこの世界の常識にも疎いオレだ。英霊の持つ知識は大いに役立つはずだ。まぁ気を付ける点としては、情報が古いかもしれない事だな。英霊が生きていた時代は、当たり前だけど過去だ。その当時の常識が今では通用しないかもしれない。
「ここは、こうすると、もっと見栄えが良くなりますよ」
「なるほどねー」
今は基本である26文字を覚える為に書き取りをしている最中である。奇しくもアルファベットと同じ文字数だ。大文字と小文字があるのも共通している。全部で52文字だ。いや、0~9の数字も加えると62文字か。……覚えるのに苦労しそうだなぁ。萎えそうになる心を叱咤して、オレは書き取りを続けたのだった。
◇
「また貴様か、ネクロマンサー」
聞き慣れた声が、呆れを帯びたように響く。見上げると、軽装の鎧を着たルドネ族の男性が居た。それを見てオレも思う。“またか”と。
「えっと、また通報ですか?」
「うむ……」
男は此処、城塞都市ハーリッシュを守る警備隊の隊員だ。また市民の通報を受けてやって来たのだろう。これで4回目だ。オレの方も嫌でもなれてしまう。
「やるなとは言わんが、もう少しどうにかならんのか? 恰好だったり場所だったり。そんな邪教徒のような恰好で、こんな人通りの多い場所に居たら、通報されるに決まっているだろう?」
「オレも好きでこの格好をしているわけじゃないんですが……。いやまぁ、そうっすよね。すいません……」
ぶっちゃけ、服を買えるお金ぐらいは稼いではいるが、なにか遭った時のために貯蓄しているのだ。これは好きでこの格好をしていると言われても仕方ないかもしれない……。
「もうちょい奥の方でやるんで。お手数おかけしてすいません」
「うむ……」
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