第76話 アイリス

 たしかアイリスはかなり古い時代の人だった気がする。人魔大戦よりずっと前だ。おそらく100年や200年ではきかないくらいずっと昔。


 アイリスは生前、エルヴィン族のパン屋の娘だった。見る角度によって色の違う不思議な虹色の瞳を持って生まれたらしい。そして、その瞳は特別だった。アイリスは魔力の流れを見ることができたのだ。


 魔力の流れを見ることができるアイリスは、誰に教わるでもなく魔法を使うことができた。彼女は幼少期から高度な魔法を使い遊んでいたらしい。


 人々はアイリスを褒め称えた。“この子は天才だ”と。


 アイリスは一度見た魔法はすぐさま模倣することができた。模倣に留まらず改良までやってのけた。魔力の流れが見える虹の瞳を持つ彼女にとって、そんなことは簡単だった。彼女にとってこんな簡単な事が皆できないことが不思議であった。


 アイリスの噂はすぐに広まった。“貧民街に天才が生まれた”と。


 その噂を耳にした貴族が一人。面白半分にアイリスを召喚した。そしてアイリスの才を目の当たりにすると、貴族は強引にアイリスを自分の養子にしてしまった。アイリスもアイリスの両親も嫌がったが、貴族には逆らえない。アイリスは貴族の令嬢となった。


 アイリスを養子にした貴族は、アイリスの才を自分の出世の助けにしようとしたらしい。アイリスを養子にした貴族は、辛うじて貴族を名乗ることを許されているような、木っ端貴族であった。


 強引にアイリスを養子にし、政治の駒として利用しようという貴族であったが、アイリスの扱いについてはそう悪いものではなかった。ちゃんと衣食住を揃え、アイリスに教育も施したという。虐待を受けていたわけではないようだ。アイリスも両親との別れや急な環境の変化に戸惑ったが次第に慣れていった。


 そんなアイリスに転機が訪れるのは、10代の中頃。学園への入学を転機にアイリスの運命は大きく動き出す。


 学園は貴族の子どもが通い、魔法や礼儀作法を学ぶ王立機関だ。この学園を卒業しなければ貴族とは認められないらしい。アイリスを養子にした貴族は、アイリスの政略結婚も視野に入れていた。アイリスの付加価値を高める為にアイリスの学園への入学を認めた。


 学院に入学したアイリスは、たちまち頭角を現した。特に魔法の腕前は頭一つどころか、教師さえアイリスの足元にも及ばないほど圧倒的だった。アイリスは既存の魔法の常識を一新するほど、魔法の改良や新魔法の開発を行った。アイリスの称号<大魔導士>はこの功績に対して贈られたものらしい。


 アイリスの噂はたちまち学園中に広まった。曰く“本物の天才”“大魔導士”と。


 誰もがアイリスに注目した。時の王子もその一人だ。彼はアイリスの魔法の才に、その美貌に傾倒していった。それが後に悲劇を生むことになる。




 王子に見初められたアイリス。王子は周囲にアイリスを婚約者として宣言するほど盲目的にアイリスを愛してしまった。


 面白くないのが王子の婚約者だ。王子の婚約者は自分なのに、王子はアイリスばかりかまって、自分は蔑ろにされている。彼女の不安、怒り、憎しみはアイリスへと向けられる。


 アイリスを快く思わない者はまだ居る。貴族達だ。貴族の大半がアイリスの事を良く思わなかった。彼らは血を尊ぶ。元々貧民の生まれのアイリスなど、彼らにとっては汚らわしい存在でしかない。そんなアイリスに、彼らの主人である王族が傅いている姿は、貴族達の怒りさえ買っていた。




 王子は周囲が何と言おうとアイリスを諦めなかった。アイリスは貧民の生まれだと知らされても、アイリスを引き取った貴族の家とは家格が違い過ぎると反対されても、王子は頑なに諦めなかった。


 王子の愛は、それ自体は美しい真実の愛だったかもしれない。しかし、この王子の態度が悲劇を呼ぶことになる。


 王子を諫めるべき王は、病に臥せっており、誰も王子の暴走を止めることはできなかった。或いは、王子にはこの状況が天祐に思えたかもしれない。


 その事に危機感を覚えたのが王子の婚約者だ。このままでは、なし崩し的に王子とアイリスの婚約が認められてしまうかもしれない。彼女は自分には後が無いと自覚していた。自分には見向きもせずアイリスばかりかまう王子。誰も王子を諫めることができず、王子の言い分が通ってしまいそうな状況。彼女は追い詰められていた。


 本当はそんな簡単に王子とアイリスが婚約できるわけなんて無い。貴族達の反対に遭ってポシャるのがオチだ。貴族達の誰も、貧民が自分たちの上に立つなど認められない。


 しかし、精神的に追い詰められていた婚約者は、短絡的な発想へと至る。


 アイリスさえ居なくなれば良い。


 婚約者はアイリスの元を訪ね、王子の目の前でアイリスの胸に短刀を突き立てて殺してしまう。婚約者は終始にこやかな笑顔を浮かべていたそうだ。或いは追い詰められた婚約者は心を病んでしまっていたのかもしれない。


 王子は激昂し婚約者を斬り殺してしまう。その後王子は捕らえられ、廃嫡、幽閉、病死のコースだ。病死になっているが、実際は殺されたのだろう。事実上の処刑だ。


 誰も幸せにならずに終わってしまった。不幸にもアイリスは16という若さでその短い生涯を閉じた。




 王子の身勝手さには腹が立つが、実際のところどうだったのだろう?アイリスの気持ちをオレは知らない。王子を愛していたのだろうか?王子との婚約を望んでいたのだろうか?気になるけど、流石に聞けないな。




 不幸にも亡くなってしまったアイリスだが、彼女の不幸はこれでは終わらない。むしろここからが始まりだ。


 今回の騒動における恨み辛みが全てアイリスへと向いてしまったのだ。我が子を処刑するしかなくなった王の恨み、家族が死んだ王子の婚約者の家族の恨み、アイリスの才を僻んでいた貴族達の嫉妬。その全てがアイリスの遺体へと向けられた。


 死後、アイリスの遺体には凌辱が加えられた。遺体は切り分けられ、盗まれ、棺桶には何一つ残らなかったという。


 切り分けられた遺体は方々へと散った。ある貴族はアイリスを食した。貴族はアイリスの魔法の才を僻んでいた。アイリスの魔法の才を己に取り込もうとしたのだ。ある商人はアイリスの骨を売り捌いた。潰して飲めば魔力の上がる妖精の骨と呼ばれ、事情を知る貴族に高値で売れたらしい。ある貴族はアイリスの骨を祀っていた。アイリスの魔法の才に肖ろうとしたのだろう。


 自分の遺体を切り売りされるって、ましてや食べられるなんてどんな気分なんだろうな…。きっと想像を絶するに違いない。考えただけでも反吐が出る。


 アイリスの遺体の中でも、特に人気があったのはその目だ。ミスリルの様に虹色に輝く瞳は、見ているだけでも美しい。アイリスの目が魔力の流れを映す一種の魔眼であることは周知の事実だった。


 何人もの人間がアイリスの目の移植を試みた。だが悉く失敗した。




 時は移り、ゲームの時にはアイリスの目は黄色く濁った保存液に漬けられた状態で古物商の片隅で売られている。それを買うとアイリスの霊が現れてクエストがスタートする。


 アイリスのお願いは『アイリスの遺体を見つけ出して弔う事』だ。クエストの自体は面倒なお使い系のクエストだ。何人かのNPCに話を聞いて、アイリスの骨を持っている人を探し出し、アイリスの骨を手放す代わりに要求される物を集めてくる。なんだかかぐや姫みたいなクエストだ。


 要求される物が全て金でそろえることができる物のため、簡単な部類のクエストでもある。金があればだが。最初に古物商で売られているアイリスの目を買うのにも結構な金は掛かるし、その後要求される物も高い買い物だ。アイリスのクエストをクリアするのは金が掛かる。アイリスは御高い女なのだ。


 クエストをクリアすると、アイリスと契約して、アイリスを召喚できるようになる。


 ちなみに、オレがアイリスを召喚する触媒にしているのは、アイリスの目だったりする。今も背中の鞄の中にアイリスの目が入っている。

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