第4話 生きたいっていう人を、放っておけませんよ

 話は池の畔になっていた。寺社の池の畔。

 友達曰く、月見神社は月がよく映るという評判の池があった。

落葉樹に囲まれ、春には桜、秋には紅葉、夏には……。

 そうはしゃぐ友達の声を、私ははんば呆然としながら聞いていた。

 なんだか、随分遠い話に聞こえる。身体はじんじんと痛むし、頬の青あざは何日たっても消えない。素敵ね……と話す自分の声は、明らかに力が入ってなかった。


「何言ってんの、今度行こうよ、琴乃」


 私はその言葉に戸惑った。そんなことを言われても、どうしようとしか言えない。最近彼はとてもとても壊れそうで、目を離してはいけないと思う。だけど近づきすぎれば殴られる。距離の取り方がとても難しい、そんな時に出かけるなんて……何度も何度も迷った。行きたい気持ちと行ってはまずいと思う気持ちと。


 けれど、行くにふりきってしまったのは、友達のこの言葉だった。


「あんたに会いたいのよ、もう、ずっと家なんでしょ……顔が、見たい」


 私の真に迫った言葉だった。馬鹿な話だが、私は友達にそう言われて、たくさんの「会いたい」という気持ちに襲われた。


 ……友達に会いたい。

 

 ……両親に会いたい。

 

 ……妹に会いたい。

 

 ああ、外の世界に、出たいっ……。


 私の心を覆う氷の一角が崩れたようだ。

 私は行くと行った。会いたいと話した。

 当日は友達が車で来てくれるらしい。私はこそこそと、うきうきした。


 彼には病院に行くと話し、友達が迎えに来てくれると言った。彼は存外、大人しく。


「そうか……」


 と言った。静かすぎるくらいの声音だった。

 抑揚がない……深く考えれば、ここで彼のあらゆるものは。


 死んだのかもしれない。



 私は鳥居をくぐった先で、膝を崩していた。

 今のは、なんだったのかな……夢だったのかな、悪い妄想だったのかな……現実じゃないよね……。自分が彼に殺され、彼も自殺していたなんて……。


 嘘だって、誰か言ってよ。


 私は吐き捨てるように言う。

 そんな私の前に、木島が膝をつく。


「そう言ってあげたいです……でもあなたは、死んでたんです、魂だけが、ここにいる」


「そんな……なんで、そんな大事なこと忘れて……」


 感情がこみ上げる。怒りなのか、動揺なのか、悲しみなのか。

混ぜこぜな感情が、目から溢れた。熱い雫だった。

 木島は深く目をつむる。


「ここに来る前、私の母がDVを受けていたことを話しましたよね」


 急にどうしてそんな話が出たのかわからず困惑したが、木島の真剣な様子に気圧されて、私はただ頷いた。


「私は母の死後、それを知った……と思っていました。けど、違ったんです。実際はもっと昔に私は知っていて、母に励ましの手紙を送っていました。母はそれを死ぬまで大事に持っていたんです」


 木島は深く息を吐いた。やりきれないという表情を浮かべる。


「人は記憶を改ざんするんです……都合よく。自分を守るために、最悪な事実を消してしまうことも、あるんです」


 なんだかんだで、両親のことが大好きだったから……俺は。


 私は深くうなだれた。


「わかる、気がする……私、死ぬなら、智彦さんの腕のナカがいいなって、思うもの……」


 でも実際は、彼の持った冷たいダンベルに殴られて、殺されてしまった。どうしてこうなってしまったのだろう、何で間違えてしまったのだろう。とりかえそうにも、私の人生を取り返せない。


「私だけどうしてここにいるの……置いてかれたの。智彦さんはどこに……」


 木島は遠く、神社本殿に向かう階段を見た。


「智彦さんは、とても罪を犯した……それ相応の場所に行ったのでしょう。あなたは智彦さんへの思いの強さから、此処にいる」


 木島はすいませんと言った。


「俺、祓い屋なんです……なんでも屋じゃない。依頼を受けて、あなたを祓いに来ました」


 私はから笑いをした。生真面目に言う話す木島がおかしくてしょうがなかった。私はもう生きてもないし、人間でもないものになっているだろうし、祓われる存在に成り果てていたのだ。


 笑い疲れると、私は唇を噛み締めた。

 嗚咽が漏れる。


「私、生きたかった……智彦さん、ひどい、ひどいよっ」


 私は拳をにぎって、木島の胸を殴った。

 悔しい、悲しい……私はもっと、色んなことをしたかった。

 色んなものを見たかった。何より、智彦さんと一緒に、生きたかった。


 呪うような嘆きが響き渡る中、木島は私の肩を叩いた。


「琴乃さん、俺から出来る提案があります」


 木島の言葉に私は目を丸くした。

 提案……? とは何なのか。祓い屋なら問答無用で祓えるかもしれないだろうに、私は戸惑った。


「なんですか……」


 おぼつかない口調で尋ねると、彼は咳払いした。


「普通だったら、天にあなたを導かないといけないと思ってますけど……俺と一緒にいれば、あなたは地上にいれます、仕事を多少手伝ってもらいますけど……もし良かったら、少しだけでもいいから、俺の人生に付き合ってもらえませんか?」


 それは突然の告白だった。

私は口をぱくぱくと動かした。


「い、いきなり何を……」


 彼は恥ずかしそうに視線をそらした。


「だって……」


 彼は独り言のように言った。


「生きたいって言う人を、放っておけないですよ……」

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