第55話

少しだけ湧き出ていた労働意欲も例の竹内事件で雲散霧消し、再びただの職なしとなってしまった。

件の出来事のあとは1週間ほど家から一歩も出ず、元々心許ない自分の全財産が尽きかけるころに再び日雇いバイトに赴き、数日分の生活費を稼ぐ。

そんなことを繰り返しながら、また1ヶ月が経過していた。


とは言え、1週間ほど前にりほから誘いがありデートの予定が決まっていたので、そのデート代を稼ぐべく、今週は怒涛の日雇いバイト4連勤が確定している。


今日はその4連勤目だ。


医療機器のピッキング作業を行うその日雇いバイトは、空調が整備された屋内で作業ができるため快適で、尚且つ働く時間も残業がなければ3時間程度で済む。

さらに、ノルマもなければ他の従業員と関わるような煩わしさもないので、1人でただ淡々と資料に書かれた医療機器を荷台に積み上げ、検品し、所定の場所にその荷台を置くという一連の作業を繰り返すだけの単純かつ簡単なものだ。極度の根性なしにできている自分にとってこのアルバイトは天国のようで、最近は毎回この派遣先に出向いていた。


「はい、全員揃いましたかね。じゃあいきま〜す」

倉庫前の喫煙所近くに集合した、今日の日雇いバイトは5名。

大学生であろう若い男、何度か顔を見たことのある主婦、年金生活者であろう60代ぐらいの老爺に、いつ行ってもいない日がなく、毎度日雇いバイトの点呼とまとめ役をしている松倉という50代ぐらいのおやじだ。

この松倉という男は派遣バイトから正社員登用でも狙っているのか、毎度社員の人たちに大声で挨拶し、ノルマもないのに小走りで作業をし、頼まれてもいないのに残業をしている。

50にもなってこんな場所で作業をしているということはそれなりの理由があるのだろうが、それにしても熱心かつ暑苦しいその姿には辟易としてしまう。


「おはようございます、よろしくお願いします」

エレベーターに乗って3階まで上がり、作業服に着替え、誰にも聞こえないような小さく覇気のない声で社員たちに挨拶をする。

しかし、社員からしてみれば自分たちなど歯車以下の存在でしかなく、機械同然だとでも思っているのだろう。

僕が横を通っても頭を下げても、こちらには一瞥もせずに作業を続けている。

変にコミュニケーションを取らなくてもいい分楽ではあるのだが、まるで人間とも思われていないようなぞんざいな扱いには少々自分のプライドが傷つけられるような気分。


机の上に積まれたピッキングリストの中から、ピッキングする機械の量が少ないリストを厳選して取り、そのリストを荷台に乗っけて倉庫内をグルグル回る。

単純な作業でノルマもない分、体感時間が以上に長く、10分が1時間ぐらいのように感じられる。

少しでも体感時間を早くするために時計は敢えて見ず、頭の中で好きな音楽をかけ続ける。

最近は「脳内ライブ」と称し、前もって決めておいたセットリストをひたすら流し、観客の声援や拍手を想像しながら、自分がステージ上で歌い、走り、飛び回る様を脳内に浮かばせるという難度の高いこともできるようになってきた。


集積と検品をひたすら繰り返し、脳内ライブの2公演も折り返しになろうかというところで、倉庫内にアラームが鳴り響いた。

作業の終了時刻を知らせる、僕にとってはとても喜ばしいメロディだ。

社員と松倉だけは基本的にこの後も1時間ほど作業を続けるが、僕を含む日雇いバイトの連中は、待ってましたと言わんばかりにそそくさと倉庫内を後にする。


「おつっしたー」

作業開始の時と同様、誰にも聞こえないような声量で挨拶をしながら社員の横を通り過ぎるが、やはりこちらも作業開始の時と同様、たかが日雇いバイトの僕のような人間のことは気にも留めない。

誰よりも早く更衣室についた僕は作業着を剥ぐようにして脱ぎ捨て、エレベーターからぞろぞろと出てきた日雇いバイトの連中には挨拶もせずに倉庫を後にした。


集合場所の近くにある喫煙所に着くと、バッグから加熱式タバコを取り出し、貪るようにニコチンを摂取する。

時刻は19時過ぎ。

普通に正社員として働いていれば、ちょうど今が退勤の頃合いだろうか。

わずか3時間の単純作業を終えただけでこの疲労感だというのに、朝の10時から19時までの労働なんて、到底自分には務まるはずがないと改めて思う。

しかし、なにはともあれ怒涛の4連勤を終えた。

1週間家に引きこもっていたあの時期から考えれば、4日連続で労働に従事するなんて、僕にとっては快挙中の快挙だ。

そしてなにより、明日は久しぶりにりほと会える。


この4日間の充実した疲労感と、明日の楽しみで胸がいっぱいになった僕は、

二本目のタバコをデバイスに差し込み、また貪るようにニコチンを摂取するのであった。


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