第42話
「はい、それじゃ定刻になりましたので、開場してお客様を入れます。
アルバイトの方にも共有をお願いします。
とりあえず私は本部にいるので、何か連絡があればここで話すか本部に来てください。それでは、何卒よろしくおねがいします」
右耳につけたイヤホンを通じて、中西さんの指示が聞こえる。
社員に1人1個渡されたトランシーバーを生意気にズボンのポケットに噛ませる。
「あっ、開場したっぽいんで、お願いします。
疲れたりなんかあったら全然休憩取っていいんで、適当にやりましょう」
社員とは思えない、いい加減な言葉をアルバイトの方にかけると、
分かりました!お願いします!と僕よりも元気の良い返事が届いた。
いよいよイベントが始まった。
今日は親子向けのイベントで、公園の広場に近くの飲食店が出店している屋台や子供が遊べる遊具がある。
広場の中央にはステージとレジャーシートを敷きながらピクニックができるスペースもあり、子供と一緒にピクニックをするもよし、ステージを見るもよし、屋台でご飯を食べるもよし、遊具で一緒に遊ぶもよし、という初めてのイベントにしてはコンテンツが盛り沢山だ。
その中で僕はバブルサッカーのエリアを担当する。
一丁前に担当とは言うものの、子供が怪我をしないように見守り、混雑してきたら利用時間の長い親子から交代を要請するだけの仕事だ。
利用するのにかかる料金の精算もここでは行わないため、金銭に関わるトラブルがないということも有り難い。
社員は僕1人のみで、アルバイトの方4名と一緒にこのエリアを担当する。
アルバイトとは言え、こういった現場にはアルバイトとして何度か足を運んでいるらしく、入社8日目の僕よりよっぽどイベントに対する知識も経験もありそうだ。
しかし、ここでリーダーシップを発揮しなければまたいつも通り怒号を浴びることになるだろう。
一応アルバイトの方の動向に目を配るものの、僕よりもよっぽど明るく、ハキハキと親子に対して接客をしていた。
バブルに入った子供たちは元気満々にボールを蹴り、体をぶつけ、転び、それでも笑顔でバブルサッカーを楽しんでいる。
自分がした仕事が回り回って誰かの笑顔を作っているのだな。
これがいわゆる「やりがい」ってやつか。
などと生意気に一端の社会人を気取って物思いに耽っていると、ある一組の親子が僕に声をかけてきた。
「すみません、このバブルの入り方?って言うか、この肩ベルトの使い方が分からないんで教えてもらってもいいですかー?」
推定30代前半の若々しい母親と、小学校低学年であろう可愛らしい男の子が僕に近づいてくる。
「あっ分かりました。ちょっと待ってくださいね〜」
と言い、僕はバブルのもとへと駆け寄った。
そしてその瞬間、僕はあることに気づいてしまった。
そういえば、このバブルの肩ベルトって、どうやって使うんだっけ?
使い方も何も、バブルに体を入れ、腕を通した後に肩ベルトを締めるだけの話だ。
このバブルの使い方の説明を先輩からわざわざされなかったということは、それほど使用方法も簡単だということだろう。
現に、今遊んでいる何組かは親が手伝いはしたものの簡単にバブルに体を固定しているように見えるし、自分にバブルの使い方を聞いてきたのはこの親子が初めてだ。
しかし、生来不器用かつ鈍臭い僕は改めてそのバブルを見た時に、
どの向きに腕を入れ、どのように肩ベルトを固定するのか全くイメージが湧かなかった。
トランシーバーを持っているのだから、このタイミングで今回のイベントのリーダーである中西さんに使用方法を聞くという手段もある。
しかし、イベント本番になって今更こんな簡単な道具の使用方法を聞くなんていう暴挙に出たら、それこそまた怒号を浴びる結果になるのではないか?
と思った僕は、使用方法を聞くことをやめた。
「使い方聞くの忘れたけど、こんなん適当に腕を通してベルトにくくるだけっしょ。いけるいける」
などと心の中で唱え、まずはバブルの中にその子供を入れた。
どんなに小さな疑問点でも、分からないことがあれば聞く。
こんな当たり前すぎる社会人の常識を、僕はまだ持ち合わせてはいなかった。
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