第18話
部屋を出て廊下を見渡すとほとんど空室になっていた。
結局1時間延長した後にさらに30分延長し、閉店の5時半まで店に居座った。
終盤はお互い机に突っ伏して寝ているだけだったが、それでもよかった。
お会計をしてくれた店員さんの「閉店ぎりぎりまでいやがって」という憤怒が接客態度に現れていて少し気まずい。
長く居座った罪悪感を少しでも晴らすべくスムーズに財布からお金を取り出し、お釣りが出ないように支払った。
「ありがとうございました」
ぶっきらぼうな店員さんの挨拶を背中で受けながら店を出る。
「いやー歌いまくったね」
「後半ほとんどお酒飲んで喋ってただけだけどね。最後の方なんてもはや寝てたし」
カラオケとアルコールで消耗しきった喉で僕はつっこむ。
「前半戦の怒涛のラッシュがあったからいいの。あ、これさっきのカラオケ代。」
「ああ大丈夫、奢ります。」
「奢りますじゃないの。ほら早く受け取って。コンビニのお酒代も受け取ってくれなかったし」
そう言ってりほは無理やり僕のポケットに千円札を入れようとしてくる。
いつものパターンだ。
先に僕がお金を払って、店を出るとりほが僕にお金を渡してくる。
僕はそれを拒む。金欠のくせに格好つけて奢るよと言い張る。
それをりほが拒み無理やり僕にお金を渡してくる。
2人で遊んだ時にはいつもこの攻防が繰り広げられる。
いつもより長い時間をお酒を飲んでお互い酔っていたからだろうか。
カラオケ代をめぐる攻防はいつもより激しさを増していた。
いつもだったら僕のバッグの中に入れてくるだけだったのだが、今日はしきりに僕の手に直接渡してくる。
「早く受け取ってくれないと服の中入れちゃうよ!」
そう言いながらお金を渡してくるりほの手を何度も払うと、今度は僕の腕を両手でがしっと掴んで掌の中に無理やり札を忍び込ませてきた。
「受け取ってくれないとここに座り込むからね」
そうやって駄々をこねはじめたところで僕は観念し、お金を受け取るのもいつもの流れだった。
「分かった分かった。財布の中に入れるから腕離して」
無理やり渡された野口英世を財布に入れようとしたが、さっきから僕の腕を掴んで離さないので左手が動かせない。
「いつもそんなこと言ってすぐりほのバッグに入れてくるもん。
ちゃんとお金入れたら離す」
やれやれ、というような表情を装うが、悪い気はしない。
遊ぶ回数に比例して僕らの距離感は近くなっていったが、ここまで体に触れる回数が多いのは初めてだ。アルコールの力は偉大さを改めて知る。
ポケットに入れていた財布を取り出す。
さっきよりは力が弱まったが、左腕をまだ掴まれているので、右手で財布のジッパーを開き、右手でぐしゃぐしゃになった札を無理やり財布に押し込んだ。
「ほら、しっかり財布の中に入れました」
「大変よくできました。あーやっと受け取ってくれた」
満足げな顔でそう言うと、りほは僕をロックしていた両腕の力を緩めた。
緩めたと思いきや、解放感と寂しさが入り混じる僕の左腕に、りほはそのまま自分の右腕を絡めてきた。
簡単に言うと、腕を組んできた。
両腕を離してから腕を組むまでの動きがあまりにも自然過ぎて、僕は呆気にとられた。
今まで女子と腕と組んだことなんて一度もないのに、僕の左腕はりほの右腕をすんなりと受け入れた。初めからそこにあったかのように、当たり前のように僕たちの腕は互いに絡みついた。
酔ってるの?なんでそんなに今日ベタベタしてくるの?なんで腕組んできたの?
言いたいことは山ほどあったが、そんなことはどうでもよかった。
そんなことよりも言うべきことが、言わなければいけないことがあると思った。
腕を組んだまま無言で数十メートル歩き、僕は口を開く。
「あ、あのさ、ずっと前から言おうと、、」
そう言いかけたところでりほは急にその場に立ち止まり、
「あ、ここのコンビニ寄っていい?トイレ行きたい」と言った。
僕は高鳴る心臓を押さえながら「分かった。ここで待ってるね」と言うと、
りほは組んでいた腕をゆっくりと離し、コンビニに入っていった。
トイレから戻ってきたりほがコンビニの外で待っていた僕に向かってスキップをしながら近づいてきて再び腕を絡めてくる。
腕を組んだまま2人で家に向かって歩いている途中、何度もさっき言いかけた言葉の途中を言おうか迷った。
結局、言えなかった。
僕が話し始めたタイミングで運悪くコンビニがあったこと。
勇気を出して振り絞った声が小さ過ぎてりほに聞き取ってもらえなかったこと。色々な不運が重なった今日みたいな日に告白をしてもうまくいかないだろう。
今日は運が悪かった。仕方がない、と勇気を出せなかった自分にそう言い聞かせた。
くだらない話をしているうちに気づいたらにりほの家の前まで来てしまった。
「毎回家まで送ってくれなくていいのに。
次は絶対りほがゆうちゃんを送ってくから」
「大丈夫だって。なんか今日りほいつもより酔ってたから心配だったし」
「酔ってないわ!」そう言うりほの顔は少し赤かった。
「家着いたらちゃんとLINEしてね」
「分かった分かった。ありがとう。またね」
「うん。また遊ぼうね」
組んでいた腕を僕らは離し、りほが家に入っていくところを見届け、僕は1人で家に向かって歩いた。
イヤホンを両耳に装着し、最近ハマっているバンドの曲の再生ボタンを押す。
男女の出会いと恋心を歌った爽やかなサウンドが左右の耳に充満する。
前まではそんなに聞かなかったラブソングが胸に沁みるようになったのはいつからだろうか。
ラブソングに出てくる「君」を勝手にりほと重ねるようになったのはいつからだろうか。
世の中には「3回目のデートまでに告白をしないと成功率が下がる」という噂があるらしい。
5回目のデートを終え、今日も告白出来なかった僕が持つ今の成功率は何%ぐらいなのだろう。
次こそは、次こそはといつも通り自分自身に誓いを立て、いつもの帰り道を歩いた。
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