第7話
大学生や専門学生が放課後に集まると、やる事はほとんど決まっている。
居酒屋の安い飲み放題に行くかラウンドワンに行くかカラオケオールをするか。これは全国共通なのではないだろうか。
更に言えば、大学生専門学生が安い居酒屋に集まった時にする会話の内容も全国共通だと思う。
十中八苦、下ネタか恋愛の話か。
大学デビューならぬ専門デビューの僕ら5人も、もれなく全国共通の型にハマり、安い居酒屋で飲み慣れないお酒を飲みながら学校の可愛い子、気になる子、好きな子の話題で盛り上がっていた。
「優歌が好きなのはどうせあれだろ?里穂ちゃんだろ?」
向かい側に座る中川が茶化すように言ってきた。
「まあ好きって言うか、、。もっと仲良くなりたいなとは思うよ」
「出た!優歌の得意技、スカし!素直になれ!好きなんだろー!」
吉田が冷やかし、そうだそうだーと3人がガヤを飛ばしてきた。自分の中では精一杯真っ直ぐな言葉で伝えたはずなのに、これでもスカしと言われるとは。
高校時代の僕なら、それこそスカして好意自体を完全に否定していたと思う。
真っ直ぐな世界で生きてきた4人と捻くれマックスの世界で生きてきた自分のジェネレーションギャップに目眩がしてしまう。
「里穂ちゃんのこと狙ってるんだろうなーとは結構前から思ってたわ」
吉田がそう勘ぐるほどには、客観的に見て僕と村山さんは仲がいいと思う。
伝説のおはよう事件の日もグループワークを一緒にやったし、席も近くになることが多いので話す回数は多かった。
僕はそれが嬉しくて、少し大袈裟に言えば村山さんと話すのが楽しみで学校に行っているところもあるのだけど、彼女にとって僕は別に特別な存在ではないと思う。
たまたま地元が一緒で家が近くて席が近くになることの多い男子。
それ以上でもそれ以下でもないだろうから、僕からは積極的に話しかけられないでいる。
「いつから好きなん?ゆーてまだ入学から一ヶ月たってないぐらいだけど。まさか一目惚れ?」
ただの面食いじゃねえかよ!と4人がまた勝手に盛り上がっている。
好きな人がいるとか彼女がいるとかそういう類の話になると決まって「いつから好きなの?」「いつから気になってたの?」という質問が飛び交うが、いつも僕はこの質問にピンとこない。
「好きになる瞬間」って、この世に存在するものなのだろうか。
入学式に参加することで専門学生になったように、入社式を終えてその会社の社員になるみたいに、恋愛にも「好きになった日」が存在するものなのだろうか。
多分違うと思う。
恋愛において卒業式はあっても入学式はない。
エンドロールはあっても予告編はない。
いつの間にかその学校の生徒になっていて、いつの間にかその映画の出演者になっているような感覚の方が近いはずだ。好きというのはそれほど曖昧で、不確かで、不安定な感情のはずだ。
僕だって村山さんを「気になった日」なんて覚えていない。
一目惚れなんていうものではなかった。
自己紹介で初めて話して、次の日におはようって言ってくれて、、。あれ。ちょっと待て。「気になった日」ではないけど、僕の心の奥の奥が動いたのは、見えない何かが音を立てたのは、あの瞬間だったのかもしれない。
「あー、、。好きになった瞬間ではないけど、自己紹介の次の日にグループワークあったじゃん?あの日隣の席が村山さんで、俺が席に座った時に俺の方を見ておはようございますって言ってくれたんだよね。あの時になんか嬉しかったっていうかドキドキしたっていうか、、。あの瞬間に好きになったわけではないけど、なんかそれは覚えてる」
嘘じゃない。
あの瞬間、僕は今まで開いたことのない心の部屋の扉が開いたような気がするし、なによりも嬉しかった。僕みたいな人間におはようございますと言ってくれたことが。
皆が共感してくれると思いそう発言したが、4人の反応は予想だにしないものだった。
「え、?つまり、里穂ちゃんが挨拶してくれたから好きになったってこと?お前ちょろいなー!」
「さすがチェリーボーイ!可愛いぞー!」
高原と元田が全力で煽り、大爆笑が生まれた。
僕は驚いた。こんなに笑われると思わなかったし、誰も共感してくれなかったことがなんか悲しかった。
「挨拶なんて普通に誰にでもするし、なんなら俺、朝誰かに会ったら自分からするけどなあ。好意がなくても」
高原の意見はごもっともだと思うし、この意見がいわゆる「普通」なのだと思う。4人と僕の違いを再び味わった。
幼少時代から当たり前に女子と話し、良好な人間関係を築いてきた人間には、あの日言ってくれたおはようの破壊力が分からないのだろう。
多分この4人は、好きな子に話しかけられなくて悔しい思いをしたことも、いつの間にかその子にイケメン彼氏ができていた時に感じる虚無感も、おはようと言われたときの嬉しさも、全て経験したことがないのだと思う。
それが普通だし、僕だって経験しなくていいのならしたくなかった。
だけど僕の人生はそんなことばっかりだった。そんな経験を積みすぎて、自分は誰からも愛されない人間なんだろうと諦めている部分もあるし、これが自分なんだと割り切っている部分もある。そんな僕に彼女はおはようと言ってくれた。
勿論、僕だって挨拶をされたぐらいで人を好きになれるほど軽薄な人間ではない。
だけど、あの日のおはようは、あの時の彼女の声は、僕を変える決定的な何かがあったんだ。
「いや違うって。挨拶されて好きになったわけじゃない。でもなんかあの瞬間がとにかく嬉しかったんだよ。自分でもよく分からないけど」
ちょっとムッとして珍しく反論してしまった。
「まあ好きになるのなんてその人の自由だからな〜。で、いつデート行くの?」
「いやそんなデートなんて大袈裟な、、。学校でもそんなに話してないんだし。」
「じゃあ、このまま里穂ちゃんが誰かと付き合ってもいいの?」
それは嫌だ。確実に、嫌だった。素直に嫌だとは言えずに頭の中で相応しい言葉を探っていると、吉田が食い気味に口を挟んできた。
「そうだよ、はやくデート誘え!今誘ってみろよ!」
「早く誘わないと他の男とホテル行っちゃうかもよ〜?」
「そうだな。誘うなら今しかない」
3人がまるで台詞を読むかのように歯切れ良く僕を煽り、最後の元田のセリフを皮切りにさーそーえ!さーそーえ!と一斉に誘えコールが始まってしまった。
「栗原優歌くん、誘いますか?誘いませんか?」
どこかのテレビ番組で聞いたような台詞を中川が僕に放つ。
また急展開だ。
人生には予兆なんてないのかもしれない。
何事も急に始まって、急に終わる。
ああ、面倒なことになってきた。
今までの人生で無理をしてよかったことなんて一つもないじゃないか。ちょっと背伸びしたりちょっと無理をするといつも空回りして後悔する。やめとけ。どうせうまくいかない。調子に乗るな。そんな器じゃない。
お酒を飲んでいたからであろうか。4人が放ついわゆる陽キャのノリに流されたからだろうか。
それとも、自分の意思だろうか。
今となってはもう分からないが、自分を塞ぎ込もうとするもう1人の自分をシカトし、僕は言った。
「さ、、誘います!」
おおー!と4人が沸いた。何故か全員グラスを掲げ、杯を交わしていた。
赤らめた顔で自分のお酒を一気飲みする僕ら5人の姿は、最高に恥ずかしくて、最高に眩しかったと思う。
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