第6話
ズボンの右ポケットに入れていた携帯がブブッと音を立てて振動し、目が覚めた。
危ない危ない。いつの間にか電車の中で微睡んでいたようだ。
ポケットから取り出し画面を確認するとLINEの通知だった。
「今日は昼飯学食で食べよー」
グループラインで元田せいやが発言していた。
いいね!と書かれたパンダのキャラクターのスタンプで返信する。
激動の自己紹介オリエンテーションから一夜明け、僕は今日もいつもの電車に揺られながら学校に向かっていた。
昨日の自己紹介、1回目こそ緊張はしたもののそこからは割と順調だった。
アイドルオタク、バンド好き、ガールズバーで働く人、地下アイドルをやっている人、留年生。
話してみれば個性が強い人ばかりで、無個性すぎる自分が不安になった。
自己紹介をきっかけに4人の男子と仲良くなり、昨日は学校帰りに5人でラーメンを食べた。
自分の人生において失敗することやうまくいかないことがベーシックになっているので、順調に物事が進むと逆に怖くなってしまう。
へたに調子に乗らないように、自分を戒める。
昨日はまぐれだ。1回目にたまたま村山さんと上手く話せたからちょっと勢いが付いただけだ。図に乗るな調子に乗るな。
自信を持ちながらも謙虚に。
そのバランスが上手く取れずに今まで何度も失敗してきた。
今日でもう3回目の登校だというのに未だに学校の地図が把握できずにいる。
オリエンテーションで配られた校内マップを頼りにやっとの思いで僕は教室に辿り着いた。
「おはよーう」昨日仲良くなった男子四人組の元田、中川、吉田、高原(順不同)から一斉に挨拶を浴びた。
おはようのトーンからこの4人のコミュケーション力の高さが窺えるような気がする。
「おはよ。これ今日の席って自由なの?」
「いや、前に座席表載ってるよ。学籍番号順で分けられてるっぽいな」
「俺みかんちゃんの隣の席でめちゃくちゃラッキーなんだけど!仲良くなっちゃお」
「おいおいお前早すぎるだろ!抜け駆けすんなよ!」
プレイボーイの雰囲気がある吉田のいかにもプレイボーイな発言に高原がすかさずツッこむ。
「おっけありがと。席見てくるわ〜」
盛り上がる4人の輪から一旦外れ、ホワイトボードに貼ってある座席表を確認した。
1435、、。
ラッキー。一番後ろの席だ。
今日はグループワークらしいので睡魔に襲われる心配はないが、後ろの席はなんとなく安心する。
ホワイトボードから後ろまで歩き自分の席を確認すると、隣に見覚えのある顔があった。
村山さんだ。
携帯を触っている。
それまでは普通に歩けていたのに村山さんの姿を確認した瞬間、何故か自分の席まで歩く足取りが重くなっていた。
ゆっくりと歩きながら僕の頭の中に2つの選択肢が思い浮かぶ。
・村山さんに挨拶をするべきか?否か?
昨日話して今日隣の席なのだからおはようぐらいは言うべきか?
…イエス。
言うべきだ。挨拶をしたらそこから会話が生まれ、さらに仲良くなれる可能性も高まる。
でも挨拶するほど仲良くなってもないし、馴れ馴れしいと思われたくないし、、。
普通の人間なら深く考えず挨拶をして終わりだろう。しかし、この僕だ。高校時代女子とまともに関わっていなかったこの僕だ。昨日出会った女子に挨拶するかどうかでさえ一世一代の大イベントなのだ。迷う。迷う。
歩きながら迷っている間に、いつの間にか自分の席に着いてしまった。
背負っていたリュックを机に置き、椅子をひいて座る。
ああ、挨拶できなかった。
結局、何も言えなかった。
隣の女の子に挨拶さえできなくて、おはようさえ言えなくて、僕は一体何ができるのだろう。なんでこんな簡単なことが、誰にでもできることが、僕にはできないのだろう。朝から最悪の気分だ。今日は駄目な日だ。恨むべきはこの性格に生んだ親か、それとも神様か、あるいはこの世界か、宇宙か。もうどうだっていい。僕は隣の女の子に挨拶が出来なかった。それ以上でも、それ以下でもない。
と、朝から絶望の落とし穴に落ちかけていると、隣に座る村山さんが僕の方を見て、言った。確かに言った。
「おはようございます」
今までに言われたどのおはようございますよりも綺麗で、透き通っていて、暖かくて、美しくて、嬉しかった。
後にも先にも、お前の人生でこれを超えるおはようございますはないぞと、僕の第六感がそう叫んでいた。
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