第4話
「まもなく蒲田〜。蒲田〜。蒲田に到着いたします」
昨日のデジャブかのように、駅員の気の抜けたアナウンスが車内にぬるっと流れ出す。
昨日と同じ駅員なのだろうか。どうして駅員の声はあんなに個性がないのだろう。統一された発声法の訓練でも受けているのだろうか。
入学二日目。
2年間付き合うことになるクラスで初めて顔合わせをし、自己紹介を含めたオリエンテーションをするらしい。
高校時代の嫌な夢で目が覚めた今日だが、どうにか予定の時間通り学校に到着できそうだ。
今日の夢で改めて思った。高校時代のような生活を、この2年間ではしたくない。無駄な自意識とプライドはできるだけ捨てて、真っ直ぐに素直に生きていくのだ。
嘲笑するぐらいならされたほうがいい。笑うより笑われろ。自己紹介で一発ギャグをかますぐらいでいいんだ。尾崎豊を聴きながら学校に向かって歩いているからなのか、今日の僕はいつもよりちょっとだけ強気である。
昨日ぶりに訪れた大きい校舎に足を踏み入れる。
廊下を歩く人も一階の教室に入っていく人も全員同じクラスの人に見えて仕方がない。さりげなく周りの人間の顔や雰囲気を観察しながらエレベーターに乗り込み、7のボタンを押す。
エレベーターが上昇していくのと比例して、僕の心拍数が次第に増えていく。
駅から学校に向かって歩く時には持っていた自信が学校に入った途端消え、今はただただ不安だ。そんな僕の心情を無視するかのようにエレベーターは淡々と自分の仕事をこなし、僕を目的地へと運んだ。
廊下を歩きながら今日の教室を探す。30711、30711、、。発見。
教室の中には既に20人程いた。
今の緊張や不安をこの20人に悟られまいと、堂々と胸を張り、顔を上げて教室に進入。ホワイトボードに貼られている席順を確認し着席。
大丈夫、大丈夫。
今のところ自分の挙動に何も違和感はないはずだ。このまま堂々と座っていればいい。
自席に座りスマホでぼーっとSNSを眺めるが、緊張と不安で何も頭に入ってこない。
しかし、この不安を表情や行動に出すわけにもいかず、さあ誰と仲良くなろうかな?ここからの2年間が楽しみだぜ。というような自信に満ちた顔を必死に作りながら液晶画面をなぞっていた。
そうこうしているうちに席が徐々に埋まり始め、気づけば開始の時間になっていた。
誰も口を開かず独特の緊張感が走る教室に、頭髪の薄い中年男性が入ってきた。
「はい、ちょっと遅れちゃってすみません。とりあえずまあ顔合わせということで、まずは挨拶しましょうか。気をつけ、礼。お願いしま〜す」
おそらく僕らの担任であろうその男は手慣れた様子で挨拶をした。
僕らも周りの様子を伺いながらよそよそしい声色でお願いしますと担任に続く。
「はい、という事でね、今日は初日のレクリエーションということで、よろしくお願いします。
まずは僕の方から軽く自己紹介しますか。
えー、このクラスの担任になりました吉野です。
この学校の教員やってもう8年目かな。45歳で皆さんと歳は離れているので、もっと若い先生がよかった〜みたいのもあると思いますけども、歳が離れている分色々話できればいいかなあと思ってます。2年間よろしくお願いします」
やはりこの男が僕らの担任だった。
専門学校の教員って一体どんな雰囲気なのだろうかと身構えていたが、思っていたよりも柔らかい雰囲気の中年男性でなんだかほっとした。
皆もそう思ったのだろうか。担任が入ってきてから、若干だが教室の空気が柔らかくなった気がする。
その後、今後の予定やコロナ禍のおける授業の進め方等を説明し、本格的なレクリエーションが始まった。
「はい。ということで早速ですが本題に入りま〜す。クラスルームに送った予定表に書いといたから知ってる人は知ってると思うんだけど、今日はまあ第一回目ということでまずは自己紹介をします」
担任から発せられた自己紹介という一言で教室には再び緊張感が増す。
当然だ。自己紹介が好きな人間なんて、この世に一人として存在しないのだ。
「とはいえ、一人一人前に出てきてもらって自己紹介‼︎みたいなのはしません。時間かかるしね。今日やってもらうのはペア自己紹介ね」
聞き慣れないワードに僕は困惑する。
「今から僕が30秒間はかります。その間に皆は2人1組を作ってください。30秒経ったら今度は5分測ります。その5分の間にそのペアでお互い自己紹介をして、聞きたいことがあれば質問する。基本的にはこれだけなんだけど、もうひとつルール。5分間でできるだけ沈黙を作らないこと。自己紹介が早く終わったからって黙り込まない事。いいね?」
最悪だ。これだったらまだ皆の前で自己紹介をしたほうがましだ。
皆の前でするだけなら地獄は一瞬だが、この形式では地獄が永遠に続く。そもそも2人1組を作る事自体のハードルが高いし、そこからさらに5分間?沈黙はNG?無理だ。人見知りの僕には無理すぎる。絶望的な僕を一瞥もせず、担任は続けた。
「はい、じゃあさっそく1回目はじめるよ〜。席から立って〜」
ガタガタっと音を立て、教室にいる約50人が一斉に席から立ち上がる。
50人は揃いも揃って不安そうな表情を浮かべる。
「はい、それじゃ1回目30秒ね〜。はいどうぞ!」
担任から悪魔のゴングが鳴らされた。
肉食動物が今日の食料を狙うかのように、全員が目をギラつかせながらけたたましく動き出す。「ペア組みません?」「やりましょやりましょ‼︎」「だれかー、組んでくださーい‼︎」
四方八方から声が聞こえ、光の速さで2人1組のペアが出来上がっていく。
そんな中、僕はキョロキョロしながらふらふら教室を歩いていた。
まずい。これはまずい。完全にスタートダッシュに失敗した。
高校時代の苦い日々が脳裏をよぎる。あの時もそうだった。
最初に流れに乗れず、結局周りを伺いながら、彷徨いながら3年間終わってしまったじゃないか。ここで勇気を出せ、俺。
自分を必死で鼓舞している間にもペアはどんどん生み出され、気付けば教室のほとんどが2人1組で埋め尽くされていた。僕はもう泣きそうだった。また駄目なのか、俺。
涙目になりながら必死にまだ組んでいない人を探した。すると、ペアとペアの間に、僕と同じように周りをキョロキョロ見渡しながら漂っている人がいた。
一瞬、目があった。気がした。
今しかない。
気付いたら体が勝手に動いた。ペアとペアの間をすり抜け、抜けた先にまたペアの群れがいて、またそこをくぐりぬけて、衝動的にその人に声をかけた。
「あっ、僕と、、ペア組みませんか?」僕の人生を象徴するような情けなくて弱弱しい声だった。
「あっ、はい。やりましょう、、!」
僕らの出会いは、特別運命的でも、ロマンチックでも、美しいものでもなかった。
無駄に広い教室の隅っこで、僕らは初めてお互いの顔を見た。
情けない余り者同士の僕らが、巡り合った瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます