第5話 恵の国オルディラ

 人肉の焼ける香りが鼻に付く、胃液を逆流させるような嫌に残る臭気は、怪我の消えると同時に消えていく。先ほどまで見えていた赤黒い傷口も緑の光に包まれ徐々に塞がっていく。裂傷ややけどが見る見るうちに小さくなるその光景は、まさに奇跡と形容すべき御業。

 「まったく...無茶しますねぇ。」

 額に汗を浮かべ必死に魔法を唱えるアリアは呆れたように呟く。当の本人は我関せずと丸焼きのコカトリス肉を齧り、灰にまみれた家の残骸を見つめている。

 「なぁ...こいつはこの村の人間を食い尽くしたのか?死体のただ一つも無い。」

 迅の疑問は最もで、壊滅状態の瓦礫山には絶命した家畜が打ち捨てられ、飼い主の姿はまったく見えない。聞けばコカトリスは人食いの怪物、呑気に暮らす人間を殺さないわけが無い。胃を裂いても中からは人間らしき物は出てこない。コカトリスが何時からこの村を襲っていたのかは分からないが、それにしても何も無い。

 「可能性は高いですね、だから私はその肉を食べたいとは思いません。」

 彼女はそう言うが、昨日から何も入れてない腹が唸りを上げている。そんなに涎を垂らすなら素直に食えば良いのに...

 困るのは残った巨体の後始末だ、手土産にするにしては量も大きさも余剰がありすぎる。

 自分の体を食べる男を見つめる生首は、今だ息をしているような眼力を持っていて、アリアは見せつけるように羽を毟っている。こういうところは、人語を介するくせに猫っぽい。


 腹を満たした一人と一匹(アリアも結局食べた)は残ったコカトリスの体を土に埋め、瓦礫の探索をする。小さな村だったのが幸いし、一軒一軒見回る時間もある。崩壊した屋根に押しつぶされ見る必要もないのがほとんどだが、一番大きい家の残骸には確かな生活の跡が見えた。大鍋には、家族で食べるつもりだったのだろう、今はもう腐ってしまったスープが、散乱し地面にしみこんでいる。

 「家族の団欒中に突然怪鳥が襲ってきた、慌てて逃げだし料理はそのまま。腐り方からしてそこまで長い時間経っているわけではないと思うけれど...」

 アリアは悲し気に俯く、しかし他人にいちいち感情を動かされてはどうしようもない、この先障害となるのは間違いない。

 「ほら、行くぞ猫。日が暮れる前に泊まれるとこ探さねぇと。」

 無償の優しさは時に身を亡ぼす。迅にとって大切なのは自分だけだ、それが悲しいとも思わない、他者は全て自分の足を引くおもりでしかない。アリアを諭した無意識は欠片の優しさか、ただの気まぐれか今この時は誰にも分からなかった。



 村からの道のりは最悪の一言だった。街に続く道なりにある村は蹂躙の限りが尽くされ、全てが壊滅状態だった。明らかにコカトリス一体によるものではない凄惨な状況は、他の怪物、もしくは単体でも強力な怪鳥複数体の存在を示唆していた。

 足早に向かったおかげか麓の都へ日の暮れる前に到着することが叶った。門前に立つ二人の衛兵がこちらを警戒し、抜き身の剣を向けている。

 「止まれぇえ!」

 滅ぼされた村々の方角から、見慣れない服を着た男に灰色の猫の異様な旅人。当然の態度だ。道中アリアに釘を刺されていた迅も両手を上げて無抵抗の意を示す。衛兵とやりあうのは得策では無い。

 

 場所は変わって街の中、衛兵に連れられて小屋に入る。持ち物を見せろと言われ背負っていた布袋を開くと彼らの顔が変わった。驚愕に目を見開くと、テーブルに中身を出す。鈍い音と共に少し血の付いた生首がゴロッと転がる。

 「コ、コカトリス!!?これはいったい...」

 顎が外れそうな程口を開けた男の悲鳴に外に居た衛兵らも入ってくる。皆が皆首を見て驚きに口を開く。

 迅は道中の悲惨な光景とコカトリスとの戦闘を詳しく話した、人前では一言も発さないアリアを一撫でし、話を終える。衛兵たちは皆内容に唖然と固まっていたが、一人が口を開いた。ジョンと名乗る背高の男は、今いる連中では一番偉い人間らしい。

 「コカトリスを単騎撃破、にわかには信じがたい話だが嘘をついているようには思えんな...いきなり尋問のような真似をしたことを許してほしい、君も知っているように最近は緊張が続いていてね。名前を聞いても?」

 難しい顔で頭を掻く苦労顔のジョンに、アリアを含めて名乗る。握手を交わすと彼は話し始めた。それはここ二週間前後の事。突如街を襲ったコカトリスの話だ。

 日中のことだった。衛兵が街目掛けて疾走する近くの村人を見て異変を感じたのだ。村人の顔は恐怖に染まり、話を聞くと怪物に襲われ逃げてきたのだという。特徴を聞いてすぐに怪物がコカトリスであると分かった。相次いで他の村からも避難民が来て、直面した事態の大きさに話が皇帝陛下まで回った。

 すぐに討伐体が編成されたが結果は芳しくなく、最悪なことにコカトリスは複数体いることが判明した。そして現在。

 「幸い、この国は神の御加護によって豊だ。避難民を保護するのに困るほどではない、しかしいつまでもこの状況が続いては...」

 苦悩顔で語り終える。若干気まずい雰囲気が室内に流れたが、突然両手をテーブルに叩きつけジョンが立ち上がと、カッと開かれた目が迅の方を見つめる。

 「そこへだ!!これは神のお導きだ...コカトリスを単騎討伐するほどの強者を遣わせてくださった!」

 強い信仰心か、ジョンが祈るのを見て衛兵皆が手を合わせる。この街、延いてはこの国の民はとても強い信仰心を持っている。後ろに聳える神山の恵みを直接的に享受しているせいか、おかげか。

 期待の目が集中する、迅はこの先待っている面倒に辟易した顔で、アリアの頬っぺたを引っ張った。


 

 

 

 

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