第3話 冬の夜
短い言葉はあっけなく願いを切り捨てる。
「話を、、!」
慌てて足元へと駆け寄るアリアに脇目もふらず、迅はそそくさと歩き始める。話をする余地すらない横暴な獣は、理性があるだけに扱い辛い。
「別に聞かないってわけじゃあないぜ?そういうのは仁に話してくれってことだ。自分で言うのもなんだが、ここが悪い。難しい話は専門外なんだよ。だから俺は断る。」
完全な拒絶ではないことに少しの安堵を覚える。頭をつついてアピールする迅は卑屈に笑うとアリアを持ち上げた。頭を撫でられ、少し居心地悪そうに手の中で動くが、撫でられることに抵抗はないようだ。
「そんなにむすっとするな、いずれ仁と代わるさ。」
アリアを地面に下ろし先に進む。広大な世界はどこまでも続き、見える全ては自然の産物。行く当てもない進みを徐々に緩める。さて、何処に行けばいいのだろうか。
後ろを振り返ると呆れたように溜息をつく可愛い猫が。腰に手を当てる女性の姿が見えるようだ。
「はぁ、今しがたこれから旅を思い、苦悩したところです。難儀なものですねぇ。」
頭を抱えてしまう。ジンの特殊体質には一つ弱点ともとれる一面がある。仁と迅、姿に声は同じだが、口調やしぐさは似ても似つかない彼らは、身体同じくする別人と言うべき存在。腕力に頭脳など身体的能力までもがジンの身体の主となる人格、今では迅のものによって決定されるのだ。仁にあった優しい青年然とした雰囲気も、仁の持つ攻撃性に上塗りされてしまうのだ。
「馬鹿にされている気もするが、、まあいい。それで俺はどこに向かえばいいんだ?」
深いことは気にしない、あっけらかんとした性格と言えば聞こえは良いが、単に難しいことを考えるのが嫌いなだけだ。
「向かうは帝国オルディラ。氷の女帝が治める武断主義国家です。」
別名、血濡れの帝国。オルの神山を背に広がる小さな国だが、高い軍事力を持った強国として名高い。
「軍事国家っつうわけか、ぴったりだな。」
迅は拳を握り不敵に笑う。
「はい、オルディラは今戦力を集めています。戦争が近いのか、目的は定かではありませんが、とにかく行ってみましょう。」
一人と一匹は南へと進む。
目指すは未だ遠く頂上に霧がかかる神の山。人々に知恵をもたらし、繁栄を享受させた賢神オルが宿る霊峰だ。
麓にはオルディラの都が栄えている。山の恵みを独占するこの国は、他国と比べ人口が少ないこともあり国民が皆豊かに暮らしている。
「しっかし、憎らしいほどに良い天気だな。それに平和すぎる。」
歩き始めて二時間ほどが経過した青い空の下。退屈そうに迅は欠伸を嚙み殺す。歩き疲れたのか少し前から方に乗るアリアが重い。女性に重いは禁句だがこいつなら良いだろう、猫だし。
ペシッ
「良くありません。全く...当然です、私が外敵を遠ざけていますから。」
心を読む彼女が、可愛い尻尾で頬を叩く。短い足を腰に当て、自慢げに言う。しかしそれを聞いた迅は歩みを止め肩に乗るアリアを下ろした。
「何してくれてんだ、お前は!暇で暇で暇で暇で仕方無かったんだぞ!!」
上から見下ろす迅は大声で叱る。怒られていることが信じられないという表情のアリアは、しゅんとしてしまう。
「...まあいい、変な警戒はいらん。来るもの拒まず、去るもの全て皆殺しだ。」
歯を剝き出しに笑う顔は邪悪が過ぎる。アリアは若干、いや大層引いた様子で魔法を解除する。外敵不干渉の結界魔法は、術者へ敵意に準ずる感情を持つ者全てを遠ざける。物理的にではなく対象の意識に作用する高度な精神魔法。欠点は自分より力劣る者にしか効果が無いという事。
「よし、さあどっからでもかかって来い!」
数十秒沈黙が続き、迅の声は空しく消える。
「はぁ...そんなすぐ来るわけないでしょう。それにプロト平野と呼ばれる、一帯の草原は怪物の目撃情報などめったにありません。」
アリアの言葉を聞き崩れ落ちる迅は大の字に寝転がる。
「休憩だ...」
心から残念がる迅、遂には目を閉じて眠りについてしまった。呆れるアリアも彼に身を寄せ、夢の世界へと旅立った。
「来たぜぇ...お前は手を出すなよ!」
突然跳ね起きた迅は一瞬で臨戦態勢をとる。獣が如し動きがアリアの夢を終わらせた。せっかく最強の魔法使いになって世界征服したところだったのに...そんな世界も霧散した現実は、どうやら敵の接近を確認したらしい。
アリアは大きな欠伸をして再び寝転ぶ、もとより戦闘に参加するつもりなど無い彼女は完全傍観を決め込む。
徐々に気配が濃いものとなっていく。足音から、敵は十を超える群れのようだ。
目算1.4mはあるだろう人型で骨ばった細い体に醜悪な顔、鋭い爪に高い叫び声。獲物目掛けて疾走する小鬼、この世界で「
「お、いい顔してるじゃねぇか。見ろアリア!こいつら自分が捕食者だと勘違いしてやがる。」
心底面白そうに言う迅をアリアは軽くあしらうと、全ての力を抜いて地面に横たわる。勝手にやって頂戴、と目が言っている。
数は十二。一体が動くと全員が一気に迫ってくる。しかし、
パンッ!
目で追うなど馬鹿馬鹿しい、三体の屍鬼の頭が破裂した。いや、認識出来たのは爆ぜた音のみで、アリアでさえ例外ではない。
「ほら、どうした。理性の無い獣同士、殺しあおうぜ。まあ狩られるのはお前らだけだがな。ひははは!!」
次々と小鬼を屠る男は、命を遊戯が如く散らしていく。この世界に来たばかりの身で当然だが得物はない。しかしそんなものは必要ないだろう血まみれの手は、ゆっくりと楽しむように殺戮の歩みを続けていく。
「驚いた...」
無意識に零れた言葉が虚空に舞う。笑い声と悲鳴を背景に追憶するのは元の世界で見た仁、いや迅の姿。
深夜二時、車の音はない。道いっぱいに蹲り転がる男たちは全員が重症を負っていて、呻くだけの石ころが山麓の細い道路を埋めている。灰猫はしばらく身体を飛び伝い進んで行くと、やっとコンクリートの道が見える。そこには煙草を踏み潰し、退屈そうに欠伸をする男が一人。
「寝起きは身体が鈍って仕方ねぇ。」
吐いた息が白い、冷たい風が草木を揺らす。灰咬仁、彼と出会ったのは冬に差し掛かった寒い夜だった。それからというもの、彼を尾行しては影から見守ってきた。
彼はほぼ毎日、一度眠りにつき数分すると再び起き上がる。大体は散歩をしたり夜釣りをしたりと退屈気に夜を過ごしていたが、時々仕掛けられた多対一の喧嘩にはとても楽し気に挑んでいた。それにいつも彼の圧倒的勝利に終わるそれは、いじめとも言えるほどに一方的で相手が哀れに思えて仕方なかった。
人格の分離に気づくのに時間は要らなかった、そして導くには最適な人間だとも、半年もの時間をかけて見定めた。
「こちらへ。」
六月三日。初夏の季節に魅了した男は、夜に出会った彼とは違い、優しい顔で誘われた。
「終わったぜ。」
迅の声に戻される。差し出された血まみれの両手を魔法で洗い流してやると、彼は一息つく。涼しい顔で隣に立つこの男を見ると、もしかしたら。なんて希望は置いておく。今はとにかく先へ進むしかない。
「生きましょうか、オルディラはまだまだ先です。」
旅初めに今日は良い日だ、心地いい風が身体を吹き抜ける。文句を垂れる迅を横目にアリアは歩き始めた。
旅の始まりは血に濡れている。
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