第8話 ルルと再会
私の最初の仕事は単純なものだった。本部から送られてくる書類にひたすら判子を押すだけのものだ。その判子は、ほぼオマケみたいなもので、上が決定したことの再々確認を表すものらしい。
杉本が書類の山を運んでくる。それを私のデスクのスペースに、有無を言わずドサリと置いていく。私が睨むように彼を見上げると、彼は私に背中を見せていた。
何よ。仕事全部私に押し付けているんじゃないでしょうね。と、私は1人個室みたいなところで恨み言をあたまに浮かべていた。
ここ最近、杉本としか会ってない。ずっと同じ部屋に閉じめこられていて、同じ作業をずっと繰り返している。田中さんに指示されてこの部屋に来たのだが、変わり映えしない毎日に私は飽き飽きとしていた。
特にこの世界は、食事や便意、睡眠がないのが苦痛だ。ちょっとした一服もなければ気分転換になるキッカケもない。休みなく永遠と同じ作業を続けていると、この世界の職員は皆んな気がおかしくなっているんじゃないかと疑問に思った。
山がひとつ終わって隣の山に手を出したところで、田中さんの声が聞こえてきた。
「お〜い、明梨?入るぞ」
ノックなしに扉が開かれて、田中さんが笑顔で隙間から顔を出した。
「その仕事も飽きてきただろう。少し休暇しないか?君が前世で死別した君のペットに合わせてやろう。驚くぞ、なんせ犬が人間になっているんだからな。」
そう言われて、私はピンと茶色の毛並みをした中型犬がこちらに走ってくる映像が頭に浮かんだ。柴犬のルルだ。確か私が12歳の時に12年の生涯を終えた元大親友だ。
彼は、私の生誕の翌年に隣人の愛犬家から引き取った犬だ。私の父と母は、ルルを私と一緒に育て上げたため、実は私の幼少期の一番の友達は彼だったのかもしれない。
田中さんがきた道を振り返って、手で何か合図を出している。しばらくその動作を見ていると、別の人の足音が聞こえてくるようになり、それが徐々に大きくなっていった。
田中さんが道を譲るように数歩後ずさりすると、田中さんより少し歳をとったおじさんが顔を出した。彼は入室するなり私に笑顔を見せて、無言で私の向かい側の椅子に腰を下ろした。
見知らぬ風貌に、私は終始戸惑いつつも彼に適当な会釈を振る舞った。
「お二人さん、つもる話もあるだろうから、私はここでお暇させてもらうよ。」
田中さんの声の後、直ぐに扉が閉められた。私が扉の方を振り向くと同時に、扉の隙間が消えたため、私はガチャンという音にビクッとなった。
「明梨ちゃん。久しぶりだね。」
ルルは顔に笑みを作りながら、そう言った。
「うん。もう30年くらい経つかな?」
私の応答でルルの笑みも少しだが本物らしくなった。
「早いねぇ。人間になりたいと思って、死んですぐ職員になったけど、まだまだ徳は溜まりそうにないよぉ。」
「結構ブラックなんですね。ここの職員って。私多分、3日くらいしか働いていないですけど、もうしんど過ぎて気が滅入りそうですよ。」
「いやまぁ。長期休暇もあるからね、ここの職員にも。それは最高だよ。なんでも置いてある職員専用のテーマパークみたいなところがあるんだ。私はそこで毎年、半年はダラダラ遊び惚けているからねぇ。」
ルルはヘッヘッヘッと笑った。
私は返す言葉が見つからず、愛想笑いで彼のご機嫌をとった。
「明梨の死因はなんだったの?思ったより早く来てしまったねぇ。パパさんママさんはまだこっちに来てないだろ?」
「ちょっと悪い病気にかかったのよ。治せる治療費もないし、会社も辞めてたの。人生つまらなかったし、もういっかなって。ブスだったっしょ?私」
私の悲壮感溢れる瞳に反応して、彼はすぐにこう訊きかえした。
「結婚は?好きな人の1人や2人はいたんでしょ?人間は犬と違って長生きするし、自由だし、すごく羨ましかったんだぞ。」
「結婚は出来なかったの。私、身も心もブッサイクだったから。あ〜あ、もうちょっと良い人生送っておけば良かったな〜。」
私の目からは自然と涙が溢れだしていた。頬をしたる感触ですぐに拭きとろうとするも、次から次へと湧き出す液体に私の手は次第に妥協を感じる雑な動きに変わっていった。
ルルは「ティッシュ、ティッシュ」と呟きながら、部屋中をウロウロと歩き回りだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます