第3話

 缶ビールをいくつか持って戻ってきた秋山は堺に缶ビールを手渡しながら、「お前も一緒に教わればいいのに。今年中に免許取るって言ってただろ?」と滝川に言った。

「ほい、お前も」

 滝川は読んでいたビジネス書から顔を上げ、秋山から缶ビールを受け取った。

「俺はお前ほど図々しくないんだよ」

 神経質そうに眼鏡をかけ直すと、滝川は缶を持った手で秋山を指さした。

「大体、お前は人の良い先輩に甘え過ぎだ。先輩の身にもなれ。あの車だって買ってまだ半年なんだぞ。傷でもつけたらお前どうするつもりだ? それに、もし何かあった場合、先輩の責任になるんだからな。分かってんのか?」

 秋山は口元を手で覆い、滝川の言葉を反芻はんすうするように黙り込んだ。

「……そっか。考えもしなかった」

「考えてからものを言え」

「うぇー。おかんと同じこと言うなよ」

 秋山が口をへの字にしてぼやいた。ころころと表情が変わる。ここで一番感情表現が豊かなのは間違いなく秋山だ。

 滝川は呆れ顔になり、「同じこと言わせるな。成長しろ」と言うとプルタブを開けてビールをあおった。

「ちぇっ。滝川って年寄りくせぇ」

 秋山は残念そうに唇を尖らせ、

「先輩。今の話、なしの方向でお願いします。すみませんでした」

 二人のやり取りをニヤニヤしながら見ていた堺は、「了解。免許取れたら乗せてやるよ。滝川もな」と答えた。

「あー、来年取りに行きます。今年は無理っす」

 秋山はそのまま畳の上に大の字に倒れ込んだ。それでも未練がましくブツブツ言う秋山に、「しつこい」と滝川がぴしゃりとひと言。

 この二人の掛け合いは遠慮がなくて本当に面白い。

 入居して間もない頃は、さすがの三人も相手の出方を探りながら過ごしていた。特に滝川の人見知りは俺の知る中では一番かもしれない。

 あいさつや軽い話をしていても、目が合わない。多分、というか絶対そうだと思うが、部屋を出るときに他の住人と合わないようにしていたふしがある。陣内も初めの頃は少しおどおどしていたが、それでも二日もすれば馴染んでいた。秋山は、会って五秒後には馴染んでいたな。

 そういえば、滝川を陣内の部屋に引っ張ってきたのも秋山だった。

「いつでもいいぞ。卒業してもここに残るつもりだから、俺」

 ビール片手に壁に寄りかかりながら堺が言うと、「マジすか?」と驚いたように滝川が聞き返してきた。

「ああ。なんだ、俺が残るのは嫌か?」

 苦笑する堺に滝川は慌てて否定した。

「だって、社会人になればもっといいところに住めるじゃないすか」

 理解できないとばかりにまじまじと堺を見つめる滝川に、「ここより居心地いいとこがあればな」と返した。

 言葉を詰まらせる滝川。

「お前も前に言ってただろ。アパートでほとんど交流のないヤツがいるって」

「……ええ」

 一気に滝川の声のトーンが落ちる。滝川にとっても、ここは居心地のいい「家」になっているのだろう。

 堺はふっと息をつき、「ここ知ると、独りになるのってきついよなぁ」

「そう、ですけど」

「俺は残る。それだけだ。卒業とともに出ていくのが普通なんだから、お前も普通に出ていけばいい。俺は俺。お前はお前だ」

 滝川は「変わってますね」と呆れながら言うと、堺に向かって新しい缶ビールを投げて寄こした。

「サンキュ」

 堺は缶ビールを受け取るとプルタブを開けながら、

「賑やかなのが好きなんだよ」

「賑やか過ぎるのも困りものですけど」

 滝川は肩をすくめてみせる。

「神経質すぎるんだよ、滝川は」

 畳の上に転がる秋山が割って入ってきた。復活したらしい。秋山は畳の上で頬杖をつきながら、「俺もここに残るつもりっす。家賃が魅力的すぎる」とニヤリと笑った。

「アッキは奨学金返さなきゃいけないもんな」

 漫画を読み終えた陣内も話に加わってきた。こっちも現実世界へ戻ってきたようだ。

「それに、事務所も持ちたいしな。秋山法律事務所。いいだろ。ちなみに俺がボスで祐一がサブだ。滝川、起業するときは顧問してやるよ」

「結構。けど、三澤もよくお前と組む気になったな」

 テーブルに肘をつきながら驚嘆きょうたんする滝川に、「いや、俺が勝手に言ってるだけ」としれっと秋山が言った。

 閉口する滝川の隣で「やっぱりなぁ」と陣内が笑い声を上げた。

「ジン、お前も来るか?」

「考えとく。アッキが社長だとこき使われそうだし、どうしよっかなぁ」

 軽い調子で答える陣内に、「ジン、お前もっと将来のことちゃんと考えろよ」と滝川がたしなめる。

「考えてるよー」

 陣内はテーブルの缶ビールに手を伸ばしながら、さっきと同じように軽い調子で返した。滝川は美味そうに缶ビールをあおる陣内を見ながら、「ほんとかよ」と呆れるように大きな溜め息をついた。

 三人のやり取りを壁に寄りかかりながら静かに見つめていた堺は、「いいヤツだなぁ、滝川は」と言った。

「は? なんすか、急に」

 急に訳も分からず褒められ、顔を赤らめる滝川に、「だって陣内の将来すげぇ心配してんじゃん。もっとドライなヤツだと思ってたけど、仲間思いのいいヤツだなぁって改めて思ったわけ」と堺が笑いかけた。

「な、違っ、そんなんじゃ」

 さっきよりも顔を真っ赤に染めながら慌てふためく滝川に「タッキありがと」と陣内が予想外に真剣な顔で言うもんだから、「ばっ、あ、秋山! お前、事務所名に三澤の名前くらい入れてやれよ! 可哀相だろっ!」と混乱したのか滝川は秋山を巻き込んだ。

「え、俺? んーじゃぁ、AMJ総合法律事務所」

 躊躇ちゅうちょなく答える秋山に堺だけでなく滝川と陣内が声を上げて笑った。

 ――だから、ここから出る気になれないのだ。

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ひだまり荘 haruka/杏 @haruka_ombrage

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