第2話

「え、何?」

 堺は思わず聞き返した。

「だって教習所って高いじゃないっすか。だから、先輩の車で練習してそのまま免許取りに行こうと思って」

 秋山は畳の上を正座のまま滑り寄ってくると、「可愛い後輩のために、ひと肌脱いで下さい!」と拝むポーズと取ってみせた。

「可愛い後輩って自分で言っちゃう? ひと肌脱げって言われてもねぇ」

 堺は顎を摩りながら唸り声を上げた。

 器用な秋山のことだから車に傷をつけるようなことはないだろう。だが購入してまだ半年。保険の問題もある。練習する場所も考えなくてはならない。あ、大学があるか。いや、逆に危険か。

 どうしたものかと思案していると、「何でも言うこと聞きますからっ」と秋山はせっせと堺の肩を揉み始めた。結構上手いではないか。思わず「ああ、ソコいいね」と声が出る。

 何でも言うこと聞くったってなぁ。できることとできないことがあるだろうに。あんなことやこんなこと。お前、絶対できないだろ。簡単にそんなこと口にするんじゃないよ。膨らみかけた妄想を打ち消し、堺が大きなため息をつくと、「ほんと何でもやりますからー」と秋山が堺の背中に寄りかかってきた。

「……重い。子泣きじじぃか、お前は」

 秋山の重みに堺は畳に片手をつき、大きなため息をついた。

 無防備にもほどがあるだろう。誘ってるのか。違うだろ。お前はそんなヤツじゃないだろう。こっちも酒入ってるんだから、少しは気を遣え。って、俺の性癖知らねぇもんなぁ。仕方ないよなぁ。

「おぎゃあ、なんちゃって。先輩、車貸してください。貸してつかーさい」

 耳許で甘えた声を出す秋山。

 わざとやってないか? 俺の性癖に気づいてやってんじゃないのか? まさかな。……ほんと、何も考えていないノンケって質が悪い。

 背中にへばりつく秋山をひと睨みすると、何も知らないこの可愛い後輩は「へへ」と人懐っこい笑顔を浮かべた。

「おもちゃをねだるガキみたいだな」

 畳の上に横たわっていた滝川が、のっそりと起き上ると同時にボソリと呟いた。プロレスごっこのせいでトレードマークのシャツはヨレヨレになり、髪の毛も秋山にいじり倒されたせいかボサボサになっている。クールで常識派を気取るいつもの姿は見る影もなかった。

「なんとでも言え。その代わり、お前には車は貸さないからな」と偉そうな秋山。

「いや、俺の車だから」

「そうでした」

 悪びれる風でもなく秋山は屈託くったくのない笑みを浮かべた。堺は思わず苦笑した。

 ――彼が月ならば、秋山は太陽だな。

 大きくて暖かくて、眩しいほど輝いている。いつも自信に満ち溢れていて、まっすぐ前に進んでいる。自分の進む道を知っている。だから、迷いがない。時折、眩しすぎて直視できない時があるほど、秋山は自分と違う道を歩いている。

「まったく、お前には負けるよ」

 そのまっすぐさは、憧れでもある。

「え、じゃあ」

「傷つけるなよ」

「あざーすっ」

 破顔はがんする秋山に堺は「もちろん、俺も一緒だぞ」と付け加えた。

「もちろんっす」

 鼻唄まじりに台所にビールを取りに行く秋山を滝川は冷めた目で見ながら、「いいんすか?」と堺に尋ねてきた。

「大丈夫だろ。アイツ器用だし。それに、俺も一緒だからなんとかなるさ」

「先輩は人が良過ぎます」

 不満げな滝川に、「よく言われる」と堺は笑ってみせた。

 相変わらず、木製の額縁の外から月がこちらを覗いている。そちら側からは、ここはどんな風に見えているのだろうか。

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