0−3

 戸口のあたりでひゅっと鋭い音が走り、鈍い銀色の軌跡がまっすぐ丸ボタンのへりへと伸びた。

 何かは装置の横のケーブルをすっぱりと断ち切ると、そのまま奥の壁に突き刺さった。断たれた電線の片割れが、ポタッと音を立てて床に転がる。

 二人が同時に部屋の入口へと目を向ける。クナイを投げたままの姿勢で、どこかの高校の制服だろうか、ブレザー姿の少年が憤怒の表情で男を睨みつけていた。よほど急いで駆け込んできたと見え、肩で大きく息をしている。

「終わらせてどうするっ!」

 乱暴に足音を立てながら、少年が男へ迫る。誰とも知らない新手の剣幕に、娘は口元を手で押さえたまま立ち尽くし、男は、こっぴどく叱られた子供のような眼をただ向けるばかりだった。

「ヤケになって全部壊して何になる! 大事なものがあるだろう! 守るべきものがあるだろう!」

「まも、る……?」

 呆けたように繰り返す男の顔が、次第に苦しげにゆがんだものへと変じていく。

「守るだと? ……今さら、俺が? バカを言え……こんなになったら……俺ができることは、もう……」

「それでも、守らなきゃならないものがあるはずだ!」

「そや……」

 横で娘が半ば放心したように声を合わせた。男の元へ近寄りつつも、なぜか視線は少年の横顔に釘付けだ。

「そやで。捨てたらあかんねん。意地になって守ったら……守ってくれる人、いつか来てくれるねん」

 セリフはどこか意味不明だったが、その目は徐々に輝き出し、熱っぽい赤みが顔に広がっている。胸元に手のひらを押し当てながら、なおも少年を見つめつつ、娘は声を励まして言った。

「がんばったら、いつかちゃんと助けてもらえんねん。それまで、がんばらんとあかん!」

 はっと男が息を呑んだ。伏せたままの顔のその両眼が、次第に濡れたような光を帯びる。

 少年がゆっくりと片手を伸ばす。

 一度がっくりとうなだれた男は、やがて顔を上げ、意を決したように頷いた。口元には、今まで見せなかったような清々しい微笑みすら浮かべている。

「そうだな。俺にも……」

 そして一歩前に出ると、少年の手を握り――

「まだ、守るものが……」

 締めることができなかった。少年が男の横をあっさり通り抜けたからだ。

「ああ、これだ。よかった」

 少年が手に取ったのは、デスクの上に置かれたままだった縞メノウだ。

「……この石英成分のほどよい透明度、奇跡のような多色インクルージョン……間違いない」

 まるで秘仏を押し戴く僧侶のような手つきで、丁寧に石を抱え込む。顔は、ピカピカのおもちゃを手にした子供みたいだ。

「やっと見つけた。無事でよかった」

「はい?」

 訝しげに男が少年の方を振り返るが、すでに少年は男には何の興味もないようだった。縞メノウを抱えたまま、さっさと元来た方向へと戻りかける。慌てて男が取りすがった。

「ちょ、ちょっと君、何のつもりだね。それは俺の――」

 ゆっくりと少年が首を巡らせ、失礼な店員を咎めるような目で男を見た。

「あなたはついさっき、自ら死を選ぼうとした。そうですね?」

「え……うん、まあ……そうだが」

「そして、この部屋もろとも、この標本もなくなってもいいと思った。違いますか?」

「いやその……違わないが……」

 しどろもどろで答える男。口を動かしながら、いったい俺はどこで何の話をしているんだろうという顔をしている。

「なら、この縞メノウの所有権は放棄したものと見なされても、文句は言えないのでは?」

「え? それは……いや、しかし……そう、ですな」

「納得してどないすんねん!」

 突然、横にいた娘が声を上げた。まなじりをつり上げ、だだんっと片足を鳴らして、なんだか必要以上に癇癪を起こしてるように見える。

「あんた! ついさっき、さんっざん偉そうにご託並べといて、言うことはそれだけかいな!?」

「ごたく、とは?」

 あからさまにめんどくさそうな顔で、少年が切り返した。

「大事なものとか! 守るべきものとか!」

「ああ」

「ああやない! あんたが守ったもんってなんやねん!」

「これだけど?」

 鉱石を軽く持ち上げる少年。一瞬、口をあんぐり開けた娘は、それでも食い下がるように、

「あ、あんた、建物吹っ飛ぶかも知れん中に突っ込んできたんやで!? そんだけのことする大事なもんって」

「だからこれ」

「いやその、君は、私の命を救いに……来てくれたのでは?」

 おそるおそるというように、横から男が口を挟む。いったんは引き下がったが、やはりこれだけは確認しておかなければ、というような決意がほの見える。だが、少年は無慈悲なまでに冷淡だった。

「あなたの命など、どうでもいい」

 そっくり返って数歩あとじさった男を押しのけ、娘が顔を真っ赤にして怒鳴った。

「そそそ、そんな言い方ってないんとちゃうの!?」

「いや、でも事実だから」

「で、でも、あたしは!? もちろんあたし救いに来てくれたんよね!?」

 少年の眉が、ぎゅっと真ん中に寄り、唇がへの字に曲がった。

「君の命など心底どうでもいい」

 がーんという効果音が聞こえてきそうな、ショック丸出しの顔で、娘が固まった。と思ったら、溶岩を散らすような激しさで叫び始める。

「せ、責任取ってよっ! あんまりやんか! そんなのってないわー!」

「いや、まあまあ君、落ち着きなさい」

 なぜだか成り行き上、娘をなだめにかかる盗撮犯。ちょうどその時、部屋の入口に、音もなくもう一つ人影が現れた。変な形で紛糾している三人は、それには気づかない。ぴったり少年の背後で、影は何やらバカでかい扇のようなものを、ゆっくり大きく頭上に振りかぶっていく。

 つくづくうんざりしたように、少年が男と娘を見渡し、言った。

「用件はそれだけ? じゃ、僕は帰るんで、後はお好きなように――」


 すぱこーん!


 狭い室内に快音が響いて、少年が頭を押さえてしゃがみこんだ。

 今度こそ唖然として、目の前のシーンに言葉をなくす男と娘。

 少年の背後には、少年と同じデザインの、女子用の制服に身を包んだ新手が、ハリセンを手にして仁王立ちになっている。

 新手はいきなりまくしたてた。

「何アホなことやってんねん! 時間ないねんで! いつまで経っても戻って来ぉへん思ったら、案の定や!」

「……痛いじゃないか」

 さして痛くもなさそうな素振りで、少年が立ち上がる。首を左右にポキポキ鳴らして、自分を張り倒した相手を見、小さく長いため息をつくと、ちょっとだけ切り替えたような声で言った。

「で、他の経過は?」

「もう全部終わってるっ。残ってるの、ショウちゃんだけやろっ。さっさと済ませてまいや! それとあと、ドサクサに紛れて人のモン盗ったらあかん!」

 ショウちゃんと呼ばれた少年は、駄々をこねるように眉を曇らせ、縞メノウを両手で抱き込んでハリセンをじとっと見つめた。一方のハリセンはあごを上げ、半閉じの視線でねめつけながら、武器を持つ手に力を込める。

 しばしのにらみ合いの後、結局少年が折れたようだった。努めてゆっくり、未練たらしげに鉱石をデスクの上へと戻す。ぶつくさと不平じみたことまで口の中でつぶやいている。

「さっさとずらかって後始末は中等部にでもと思ったのに……やれやれ」

「な、なんなん、あんたら……人のヤマに横から入ってきて、引っ掻き回して……いったい何者なんよ!」

 どうやら業務上の腹いせだけじゃない何かを込めて、ナイフの娘がいまいましげに叫んだ。が、ついっと振り返った少年の表情は、先ほどまでとは明らかに違う気配を漂わせていた。

千津川ちづがわ観光学園対外情報室作戦部長、昆野こんのセシルさん」

「! なんであたしのこと……」

 瞬時に警戒心全開の現場エージェントの顔に戻る娘。だが、娘がエージェントなら、少年はまるでチーフオフィサーのようだった。今までが嘘のように、厳しさ、鋭さがその身から発せられている。

「上とはもう話がついてます。この作戦オペ、いったん我々に預けてください。悪いようにしません」

「ちょ、いきなりそんなこと!」

「そして、『やまもみじ』社長、鹿戸しかど康平さん」

 男がこわごわと顔を上げる。

「あなたの身柄はしばらく我々が預かります。逮捕も破産も心配ありません」

 我々という言葉を裏付けるかのように、入り口からまた一人、二人、制服姿が現れ、ハリセンと小声でやり取りを始めた。明らかにこの建物全体は、もう少年の側の組織によって掌握されているのだ。

「まあ、このまま警察の厄介になるのと、どちらが楽かは何とも言えませんがね」

「あ、あんたたちは、いったい」

 及び腰で尋ねる鹿戸に、ああ、と少年はようやく思い当たったように首肯した。いつの間にか、彼をおおむね真ん中に、鹿戸と向き合う形で四人の制服姿がひとまとまりになっていた。

「申し遅れました。我々は、裏六甲の情報機関で」

 まるで、ドラマのオープニングみたいに、全員が視線をまっすぐこちら・・・に向け、挨拶するように薄く笑みを浮かべる。

滝多緒たきだお学園諜報戦略評議会と申します」


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