0−2
にわかに画面の背景が騒がしくなり、複数のスリッパの音が近づいてきた。
『あんた達、どないしたん!? ケガは!?』
二十代後半と思しき女性客が数名、血相を変えて駆け寄ってきた。小太りは動じる様子もなく、むしろはきはきと、
『大丈夫です。それより、見てください、鏡の中に盗撮カメラが仕込んでありました』
『何やて!?』
金切り声を上げる女達。やたら演技くさい少女達を怪しむ前に、脳内血管があっさり沸点を超えたようだ。
『鏡の中ってどーゆーこと!? あっ! これ! ケーブルが壁の中に入り込んでる!』
『客の仕業とはまず考えられませんね。ほぼ百パーセント、旅館側の細工でしょう』
絶妙の推理を開陳するおかっぱ髪。思い出したように、どくん、と男の心臓が跳ねた。何だ。何なんだこれは。一体何が起こっているんだ。こいつらはまるで……最初から全てを見通して……。
『有線カメラね。ケーブルの先に犯人がいるはず』
『ちょっと、署に連絡して応援頼んで! もう、せっかく温泉に来たのに!』
『でもでっかいヤマになりそうやし。ラッキーかもしれんで』
女達がてきぱきと動き出した。後から現れた女性客は、よりにもよって非番の婦人警官グループだったらしい。男にとっては悪魔的な間の悪さである。とても偶然とは思えない。だが、その裏をいちいち考えている余裕もなかった。敵がこの場所を特定するのは時間の問題なのだ。
(そ、そうだ、ケーブルを引きちぎってどこかで断線させれば……ディスクだけ一旦持ち出して……)
架空の犯人に罪をおっかぶせることも、まだできるかも。そう考え、あたふたと席を立った、その時だった。すちゃっと軽い金属音がして、男の背後がパネルごと開いた。リネン室裏の物置の、そのまた裏に作り、外部からは鍵の存在すらまず気づかれないはずの秘密の出入り口が、である。
「あんれ~?」
場違いなほど能天気な少女の声だった。小学生にしては大人びている。中学生のやや上か。没個性なジーンズにさっぱりしたショートカットのその娘は、片手でスマホを耳に当て、もう片手にはどう見てもプロ仕様のアーミーナイフを構えていた。
「旅館の中で迷っとったら、変なとこに出てきたで~?」
嘘だ。絶対嘘だ。
「んん、防犯カメラの部屋にしては、モニターがチープやねえ。ああっ、脱衣場が映ってるぅ~。もしもしぃー、リンちゃんの言ってる盗撮カメラのアジトって、ここかもー」
小太り達の仲間の一人らしい。口調と顔つきは、教室の片隅でムダ話に興じていそうな女子校生そのものだったが、ナイフの切っ先に隙はない。
「うんうん、犯人らしいヒトもおるで~。え? このまま待機? 待機でいいの? うん、了解」
「お、お前ら、何もんだ。警察……じゃねえだろう」
いったんスマホを腰ポケットに収めた娘が、くだらないものを見るような眼で男を見返した。
「わからへんの? わからんかったらええやん」
おちゃらけた素振りから一転して、むっつりと陰にこもった表情に変わり、唇の端を嘲笑の形に曲げる。
こんな女子生徒が平日の昼間に――くそ、なぜそこに引っかからなかったのか。こんな日のこんな時間に風呂屋へ現れる中学生たち。何か訳ありの奴らに決まってるじゃないか!
「まあ、おっさんレベルやったら知らへんか。一応、同業者なんやけど」
「同……業……?」
いぶかしげに繰り返す男の脳裏で、ふと、何かが瞬いた。
聞いたことがある。観光産業の裏側で、近年異形の部門が急成長していると。そこでは、有名観光地を根城にする幾多の集団が、その過半を未成年チームとしているにもかかわらず、軍事諜報組織顔負けの情報分析力で、暴力団も遠巻きにするほどの実行部隊を動かし、日々利益拡張のために暗躍し、ひたすらしのぎを削り合っているという。それはまさに――
「! ま、まさか、てめえら」
「なんや、知ってるんか。正解や」
薄笑いで頷きながらも、娘の眼は猛禽類のような鋭さを顕わにし始めていた。
「な、なんでお前らみたいなのが――」
「こんな個人の温泉浴場を潰しにかかるんかって? 当然やん。あたしら、正義の味方やし」
嫌味ったらしく"正義の味方"を強調しつつ、娘がナイフをぶらつかせながら眉に力を込める。対する男は、いっとき青白かった顔色が、怒りと屈辱でほとんど赤黒くなっている。
「ふ、ふざけるな! てめえら、俺をブタ箱に追い払って、会社まるごと乗っ取るつもりか!」
「だったら何やねん、ふざけてるのはどっちやねん。人様のハダカで勝手に稼いで」
「お、お前みたいなガキにそんな説教なんざ――分かったぞ、あいつらだな! お前、南の方から来ただろう!? 金満観光協会の犬ころどもが!」
「うるさい! あたしはあたしの意思でここに来たんや! つべこべ言わんと、さっさと世間様に謝ってこい!」
ヒステリックに喚くような娘の叫び。男が娘の眼をまともに見た。何かに気づいたように、相手の表情の裏を覗き込む顔になる。娘は急に押し黙り、手の構えはそのままに少し視線をそらした。
「お前……もしかすると」
男が一歩踏み出す。娘が押されるように少し下がり、引けた腰でナイフを突き出す。
「やはりそうか。お前」
「な、何っ」
「最近、ここの風呂に入った一人だろう?」
微妙に横向けた娘の顔が、ぶわっと赤くなり、慌てたようにナイフを両手で握り直す。切っ先が震えだしていた。
「ち、ちがっ」
「いや、しかし、そういう体の女を編集した覚えはないんだが」
娘は、よく言えばボーイッシュな筋肉質。はっきり言って、起伏はあまりない。
「ア、アホちゃうんかっ! あんた、ほんまもんのエロ親父やな!」
「いや、分かった。自分のハダカの恨みでここに来たんだな? こうしよう。お前の映像は責任持って回収してやる。だからここは一つ――」
さらに一歩近寄った男の鼻先を、数センチ差でナイフが掠め過ぎた。刀身の風に煽られる形で、泡を食った男がスチールの机まで後退する。娘は本気の顔つきでナイフを構え直し、男を睨み据えていた。
「黙って警察行け! それがあんたの一つっきりの道やろっ!」
「……こんなとこで終わるわけには行かねえんだよ。何がなんでも利益を出さなきゃならねえんだ! 儲け続けなきゃならねえんだ!」
「やかましい! もう何もするな言うてんや! じきに警察来るんや、諦めて――」
「ふん、犬どもが。そっちがあくまで正義の味方ごっこするってんなら――」
男がデスクに置いてあった薄型モニターを、腕で乱暴に薙ぎ払った。鈍い破壊音と共に、モニターが床に転がり、破片を撒き散らした。そして、机の奥から顔をのぞかせたのは、大皿のようなまんまるな器械。
「奥の手ってやつを見せてやらあっ」
横からケーブルが伸びていて、真ん中に出っ張りがあるだけのシンプルなデザインだ。押しボタンらしい。
動きを止めて成り行きを見守っていた娘は、でかいだけのボタンに一旦眼をすがめ、続いて、決死の表情でその装置に手を伸ばす男を見て、ようやく事態の深刻さを悟った。
「お、おっさん、それ、まさか」
「これが大人の覚悟ってやつだ、嬢ちゃん!」
こわばった笑いに顔全体を歪めて、娘を振り返る男。そう、その器械はまさしく、アニメーションがテレビまんがと呼ばれていた時代から綿々と続く、悪人どもの有終の美を飾る神器にして伝家の宝刀。
「ちょ、ちょっと嘘やろ! 何が起こるんか知らんけど、それってじば――」
「おお、終わらせてやる! どうせ終わりになるもんなら、俺がこの手でっ!」
「やめて〜〜〜〜っっっ!!」
男が握りこぶしを振り上げ、娘がなすすべもなくナイフをとりこぼして絶叫した、その時。
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